新宿駅の私へ
『携帯を握りしめていても思い出はできない』、この一文で、愚かにも走り出してしまう若さがあの頃の私にはあった。
所持金が5000円しかないのに、何とかなるだろと思い飲みに行けるような楽観性が、かつての私にはあった。
好きなことを好きと言っても、弱音や雑考を書き綴っても、すべてゆるされているような安心感が、確かに私にはあった。
今の私には、それが全部ない。
気づいたらなくなっていた。
noteを開いて、しばらくnoteを書いていなかったことに気づく。悪い夢を見ているような日々が続いていたからだ。部屋と胃が信じられないくらい荒れて、顔色は死人かと思うくらい悪い。病院に行く余裕すらなかった。
あの日、新宿で。握りしめた携帯から文字を送り、私は生まれた。病み垢だったアカウントの鍵を外して、高校の、窓際、後ろから2番目の席でつくった筆名をアカウントの名前に設定した。SNSはこわいもの、悪い人しかいないから、そんな恐怖を抱く暇もなかった。焦燥と衝動とスピード感に、一体どれほどの差があるだろう。優秀な行動と愚かな行動に、一体どんな差があるだろう。
どこで何を書けばいいかわからないまま日々が過ぎて、友達にメッセージすら返せなくて、ただひとりパニックを起こす夜、この不安が永続性だったらどうしようと考えながら、パニックを起こす前に思考を文字起こししている。誰かから好かれること、誰かから嫌われること、関心を持たれること無関心でいられること、何が一番こわいんだ。それがわからなくなったことがこわいのか。
SNSを承認欲求のために使っていた時代が、私にはあっただろうか。もう思い出せない。いつからかSNSは、私が生きていることを遺す場所になり、同時に、よく死にかける私が人と繋がるためのものになった。
人がいると人は死ねないことを、私は知っている。
そうか、だから夜がこわいのか。知り合いが誰一人いないこのマンションでひとりでいると、勇気を出せてしまう気がするから。神様に無理やり連れて行かれるような恐怖が、ずっと続いていた。動悸がひどい。まともな食生活と睡眠をとっていないから当たり前だ。私の惨状は私しか知らない。
口内炎で痛む口に水を含む。明日になれば朝がくる。この恐怖に一体いつまで耐えればいいのかわからないまま、朝がくる。
何を変えれば、何を選べば、
何をどうすれば、私は、
あの時確かに、夕空を見上げながら自分の足で立っていた、私に戻れるんだろう。
私は私を失えないのに。
私だけは、私と別れられないのに。
私は
2022.1.28
眠れない夜のための詩を、そっとつくります。