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この家どうするの?(7) 道楽むすめ


シリーズ・親の持ち家の記録です。
父の一軒家。3年前に離婚をした父子家庭なのに。ずっと父の世話をする祖母。
わたしは、家に寄りつきませんでした。



遺産は要るが仏壇はいらない

真面目にコツコツ働けば、家が買えた昭和のころ。
新築。父は、銀行に借金をして購入したようだ。祖母の手引きや援助を受けて。

祖母の死後。その遺産は父の弟と妹が相続しました。
戸籍上、父は年の離れた祖母の弟。
お金のセンセイは
「なんで早くに届け出て【長男】に変えとかなかったの?」
で、終わり。


変更はできたのかもしれないが、無理か、面倒だったのだろう。
いまなら、DNA検査などで何とかできたかもしれない。
それを見越して、祖母は一軒家を父に与えたのだと思います。


数年間、祖母の入った仏壇は、父の妹 (叔母) が持っていた。
ある時、何か理由をつけて仏壇を父に押しつけた。
《遺産は必要、仏壇は不要》


まあ、親戚とはそんなもの。
世の中、そんなものです。



父の一軒家

父は自営業を、たたんで別荘に移住した。住民票だけ連れて。
仏壇となった我が母と気兼ねなく暮らしていたのだ。
年に一度、お坊さんが、お経を唱えに来るだけ。


父は知り合いのツテで、一年ほど外へ働きに出かけた。
が、それ以上は続かなかった。
もともと無口な父。
人と接するのは、もう嫌だと背中に書いてあった。


わたしは、父や実家となった別荘に寄りつきもせず遊んでいた。
母親代わりに世話したくれた祖母の言うことも聞かず。
祖母にはいつも、怒られていた。
「おまえは、道楽者どうらくもんや」


道楽者

わたしは、家事全般をやらされるのが嫌で嫌で、逃げていた。
父は離婚をして、娘のわたしに詫びることも、話し合いなどもなかった。


いまから思えば、父は娘にどう接していいか、わからないのだ。
じぶんも父がいなかったので。
祖母が何とかしてくれると思ったのだろう。これまでのように。


「なんでわたしが、家事をしないといけないの?」
父は「そんなことない」と言うだけ。
女・子どもは自然に家事をするものだと思っていたのだ。
それで掃除ひとつできない人間わたしは、祖母や父にとっては、ただの「道楽者」でありました。

「娘なのに、すこしは家の事をしろ」
「なんでわたしが、しないといかんの?」
「この道楽者!」
「こんな家、わたしが買ったんちがうわ、将来は知らんで」
「お前の世話にはならん。わしは老人ホームに行くからな!」


では、なぜ家を買ったのか?
わたしは、そこで思った。
自分のことを棚にあげたまま。


それなら、この家どうするの?



毎週金曜は
「親の持ち家」の日


いつも こころに うるおいを。水分補給も わすれずに。


最後までお読みくださり、
ありがとうございます。

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