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南海ホークス・メモリアルギャラリー

南海ホークス」とは?
芸人さんではありません。
ヒント、「タカ (鷹) 軍団」「大阪球場」
マンガ「あぶさん」……
そうです、プロ野球パ・リーグの球団、南海ホークスなのでした。

南海ホークス・メモリアルギャラリー

昭和時代の大阪。戦後から高度成長期といわれるこの時代は、在阪プロ野球チームの華やかなりし頃でした。


大阪の各私鉄の多くは、球団を持ち、沿線に球場を建設しました。南海電鉄の南海ホークスもそのひとつ。

大阪スタヂアム跡のショッピングセンター・なんばパークス。
南海ホークスメモリアル ギャラリー
南海ホークスの聖地、かつての栄光の想い出が、屋上の小さなギャラリーで輝いています。

南海ホークス メモリアル ギャラリー
大阪市中央区難波中2-10-70
なんばパークス9F


最寄り駅は……
☆南海電車・南海難波駅
☆近鉄・阪神なんば線・大阪難波駅おおさかなんばえき
☆Osaka Metro(大阪メトロ)・なんば駅
(御堂筋線・四つ橋線・千日前線)

なんばパークス・エレベータで9Fへ。なんばパークスの休館日もあるので事前にチェックしてください。
はらっぱ広場には、有名人の手形のレプリカもあるので、探すのも楽しくなりますよ。


パ・リーグの南海ホークス

日本のプロ野球の歴史は古く、南海ホークスは1938年(昭和3)誕生。
「南海軍」という球団名でした。

じぶんが覚えている、昭和50年代の在阪球団名を書きます。
兵庫県もありますので、正しくは「関西の球団」です。


球団譲渡・合併などで現在とは、球団名や本拠地が全く違います。
……わかりますか?

パ・リーグ
●南海電鉄……南海ホークス
●近鉄(近畿日本鉄道)……近鉄バッファローズ
●阪急電鉄……阪急ブレーブス

(おまけ セ・リーグ)
●阪神電鉄……阪神タイガース

なんと、阪神タイガースだけ健在です。

娯楽は野球

戦後、スポーツといえば、野球かプロレス。
あとは、ボクシングぐらいでした。
野球マンガも多数、南海ホークスといえば、やはり水島新司先生です。


関西の野球ファンの世のお父さんと、その家族は、ご贔屓球団ひいききゅうだん・球場の沿線に住み、休みはファミリーで電車に乗って球場まで野球観戦。


当時はドーム球場がなくて、雨天の時は試合中止。テレビ中継も中止。
急きょ、別の番組に (お笑い番組)差し替え……
そんな時代でした。


電鉄各社は、百貨店・遊園地も持っていて、大人から子どもまでの娯楽を一手いってに担っていました。

パ・リーグの南海ホークス。
野球にうといわたしですが、この時代の在阪球団は、みんなの生活に刷り込まれていたのです。

百貨店・駅のポスター・電車の吊り広告など、どこでもプロ野球選手にあふれていましたから。

南海ホークス絶頂期は、1950年(昭和25)~1973年(昭和48)。
「人気のセ (リーグ)・実力のパ (リーグ)」と言われていましたね。

昭和の終わりとともに、南海ホークスも終焉を迎えます。

大阪スタヂアムは、野球だけではなく芸能界のコンサートに使用されました。
国内外からアーティストが公演を開催。

1988年・南海ホークスは、ダイエーへ球団譲渡。
「身売り」という言葉が流行りました。
南海ホークスだけではなく、
阪急ブレーブス、2004年・近鉄バッファローズも……

電鉄会社の経営難で遊園地も、なくなりました。
奇しくも、球団を持たない京阪電鉄の遊園地「ひらかたパーク」のみ大阪府にあります。

1998年(平成10)大阪スタジアム解体へ。スタジアム跡地に「なんばパークス」が誕生しました。


各球団・球場の跡 (日生球場にっせいきゅうじょう西宮球場にしのみやきゅうじょう)も、今はショッピングセンターになりました。
藤井寺球場ふじいでらきゅうじょうは住宅になった。
今では誰も知ることもなく。



高卒でプロへ、名選手たち

男女とも今ほど大学進学率も高くなく、高校野球で甲子園に出ていた選手が即、プロへ……の時代でした。

高校野球の人気選手も多かった。
サッカーも卓球も、またまだマイナー・スポーツでしたね。


南海ホークスのスター、といえば、この人。同年代です。

香川伸行かがわのぶゆきさん◆
いつも本名は出てこない選手。
「ドカベン」そのまんま。
体型も愛くるしさもスターでした。
相方の牛島くん、人気ありましたよ。
(ウシジマくんでは ありません)


記憶に残る選手といえば……
野村克也のむらかつやさん◆
監督業の印象が強いのですが、南海ホークスの選手として活躍。
奥さま (野村沙知代さん)もメディアによく出ていました。

わたしや、まわりの人は、ここを大阪球場とか、ナンバ球場とか呼んでました。
正式には「大阪スタヂアム
日本野球 聖地・名所認定証もあります。

◆伝説の鶴岡監督。
◆杉浦選手も覚えています。

チームカラーの緑のボードに往年の名選手がズラリ!

ビデオコーナーでは名勝負も再生されています。
南海ホークスのファンが、ずっとずっと画面を観ていました。

ユニフォーム・バットや賞状の展示。
昭和の終わりまで、この場所で野球の熱戦が、連日繰り返されていたのです……



やはりこの人……

門田博光かどたひろみつさん◆
「不惑の星」という言葉。
昭和の頃はスポーツの選手生命は短かったのです。
いくら自己管理をしていても怪我は、つきもの。
中年男性の、みんなの星でした。


  ご冥福をお祈りします。



大阪スタヂアムのプレート

実際のマウンドがあったところ。
なんばパークス・2Fの広場に再現されています。
御影石のホームベースに、気づく人もなく、大阪スタヂアムを知る人もなく。

現在、ライトアップで、門のようなオブジェがあります。
その左・足元にホームベースがあります。見えにくいのが残念。

安全上、ボールを投げないでくださいね。

奥に小さく、女性が立っているところがピッチャーの位置です。
ここも、ぜひご覧ください。


歴史の地層が重なる南海ホークスの本拠地。平成、令和と静かな眠りについています。
そして日本のプロ野球は、どんどん進化。


わたしは、近鉄や阪急の現在の球団名すら、わからなくなってきました……


えっと、何だっけ?
  南海ホークスの今の名前……



毎週水曜日は
「たてもの」の日


いつも こころに うるおいを。水分補給も わすれずに。


最後までお読みくださり、
ありがとうございます。


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