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大阪・髙島屋史料館のスタジオカメラ

髙島屋東別館 重要文化財 指定記念展。
木の箱のレンズは、きらめく百貨店と、栄えた時代を写しこむ。
髙島屋史料館の貴重な展示。スタジオカメラ。

大大阪だいおおさかの百貨店』
第Ⅱ部:大大阪だいおおさかモダニズム

髙島屋史料館


アーカイヴス展示室

髙島屋といえば、バラの包みの包装紙。
わたしは、白地にバラの輪っかの柄をよく覚えています。
マスコットのローズちゃんも。

◆髙島屋史料館には、むかしの百貨店の思い出がたくさんあります。

◆アーカイヴス展示室と企画展示室の構成です。

今回はアーカイヴス展示室の、髙島屋の包装紙コーナーをご紹介します。

1952年(昭和27)より
髙島屋のシンボルフラワー
懐かしの包装紙


髙島屋東別館から髙島屋史料館へ

ここは、もと松坂屋・大阪店。わたしの親世代 (戦前生まれ) なら、よく知っていました。

「松坂屋が天満橋に移転するさかい、最後に行っとこ」


 ― 歴史 ―
●1923年(大正12)松坂屋大阪店・仮営業所として開業。
●1937年(昭和12)…国内最大級の百貨店に
●1966年(昭和41)…松坂屋・天満橋に移転
●1969年(昭和44)…1階フロアは、家具売り場だったと記憶しています。
●1970年(昭和45)…3階に髙島屋史料館開館。
●2020年(令和2)…開館50周年。リニューアルオープン

髙島屋史料館
大阪市浪速区日本橋なにわくにっぽんばし3-5-25 3階
(火・水)休み


この大きな道路は、堺筋さかいすじです。
御堂筋ができる前の、大阪のメインストリートだったそうです。
市電が走っていたころは、松坂屋でした。
象牙色の上品な、たたずまい。いまは、髙島屋史料館。

この空間
約67メートルのアーケード



企画展示室「大大阪の百貨店」

第Ⅰ部:百貨店建築の登場 (終了)
第Ⅱ部:大大阪モダニズム (~7/4[月])

大大阪時代だいおおさかじだい


本格的な百貨店建築の時代。
約100年前の大阪と百貨店を観に行きました。
今回は、髙島屋 長堀店ながほりてんの展示品を中心に。

1922―1939
 髙島屋長堀店



長堀店で使用したスタジオカメラ

髙島屋長堀店
スタジオカメラ

洗練された、姿かたち。
これが、大大阪モダニズム!?
三本足をつなぐ先端部分は優雅な曲線。
花びらのような、鉄の手回しの輪。
このカメラは、すべて知っているのですね。
レンズごしに、見ていたのです。

栄える大阪や百貨店の全盛期を。モダンな建物で働く人びとを。お客さまを。

ふたたび現代に、完全な姿で。
カメラに詳しい方は、是非とも実物をご覧になってください。

大きなスタジオカメラはインパクトがあります。

細かい展示物から、大きな展示物まで、髙島屋史料館は、いつ行っても見飽きることはありません。

ストッパー
アンソニー型カメラ
すべて手動

小学校の学級写真などを撮った時、写真屋さんのカメラが、こんなのでした。ここまで大きくなかったですが。
箱型でカメラマンが幕を被って。
 ピカッ! バシャッ!
すこしばかり大げさな撮影。
 むかしを思いだしました。

六櫻社
プレート
引き出しがたくさん
カメラマンの技術
撮影の大変さ



公告いろいろ

休む暇もなく、カメラとカメラマンは働いていたのでしょうね。
絵ハガキや、新聞広告。挨拶状。
白黒写真ながら、大きく重厚な建物がリアルに存在しています。

開店記念絵ハガキ
堺筋三大百貨店
絵ハガキ
三越・白木屋・髙島屋
長堀店の水上広告
長堀店開店催
「世帯の会」
パネル

「世帯の会」とは何でしょう?
現在の「友の会」のようなものでしょうか。
今度、スタッフさんに聞いてみます。

ここは台所? おシャレでモダンです。
ガス湯沸し器・ガス炊飯器などが見えます。スマートな流し台も。

当時の女性の、夢と憧れの百貨店。
お人形は、着物姿に割烹着。
髙島屋で呉服をあつらえ、お買い物をするのが、きっと当時のステイタスだったのですね。


髙島屋長堀店のその後

昭和のはじめ、大阪の髙島屋は長堀店と南海店 (現 大阪店) の2店舗体制となりました。長堀店は高級品志向、南海店は大衆志向とそれぞれの特徴を明確に打ち出す戦略でしたが、2店舗の並存は不効率であると判断、1939年 (昭和14) 1月、長堀店は南海店に統合するという形で営業を終え、建物は日立製作所に譲渡しました。その後、戦災を経て、戦後は丸善石油、白水化学工業など所有者が変わりつつ改修が重ねられました。近年は「アルテビル長堀橋」となっていましたが、2008年 (平成20) に解体され、現在その跡地は駐車場となっています。

展示パネルより
長堀店の模型

30~40年ぐらい前、長堀橋付近。
ビルの屋上にツバメのマークの大きなネオン看板。
わたしは、なんとなく覚えがあります。
丸善石油? もしかしたら、この建物が髙島屋長堀店だったのでは。
ふと思いました。
まったくの思い込みや、決めつけかもしれません。


まとめ

百貨店の統廃合で、姿を消した長堀店。
1922年(大正11)~1939年(昭和14)までの営業。

大大阪時代だいおおさかじだいのメインストリート・堺筋にキラキラと輝く百貨店でした。
国産の立派なカメラを駆使して、髙島屋の「モダンな、ひとこま」を撮影。
当時は大阪の堀川も多く、船の水上広告があったのも驚きです。

カメラの他にも、モダンな建築デザインのエレベータ展示・設計図・装飾などにも出会えます。

1階

わたしのようなド素人が行っても、楽しい手書きのチラシや、百貨店のファッション・流行・歴史…がほんとうに、よくわかる展示です。


百貨店、興味はつきません。
また、次の機会に。

髙島屋史料館入り口の看板


髙島屋史料館へ行かれるときは、マスク着用・感染対策にご協力ください。

画像は、髙島屋史料館で撮影しました。ありがとうございます。
(撮影不可の展示もあります)


最後までお読みくださり、
ありがとうございます。

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