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バイナル

#はじめて買ったCD
 それはダイヤの針が溝をたどり、その激しい振動が増幅され、目の前の空気が振動し、鼓膜を振るわせる。
いったい俺をいくつだと思っているのだ?
音楽がまだ若者の宝物だった世代だよ。

 それはとてつもなく繊細で、聴きすぎると擦り切れた音を出し、聞いている時に地震でも起きれば傷つき、その傷口に針が到達すると何度も同じ音を永遠に繰り返すもの。
 指紋ひとつ付けられないから慎重に取り出し、ターンテーブルの上に静かにセットする。
5曲も終わればまた慎重に取り外し、裏返してセットしなければならないもの。

 僅かな静電気も大敵で、スプレーをかけ、埃を取る専用のクリーナーで静かに掃除する。
 だから家に彼女が上がり込み、お気に入りを勝手にかけて聴いただけでもちょっとした喧嘩になったり、ターンテーブルに放置したまま帰られたりしたら、話なんかしばらくはしたくもない。

 厚紙で作られたジャケットは様々な工夫や細工がされており、特に二つに折られた見開きのジャケットなんかでリリースされたら嬉しくて仕方がなかった。
買ってきたらすぐにカセットテープにダビングして、それを長持ちさせる為に、テープのほうだけを聴く。

 面倒で不便だろ?
まったくもって君の思う通りだよ、間違ってない。
CDが出たのは十代の途中で、そのあまりにも簡素でいて小さなジャケットや、多少雑に扱っても頑丈な銀色の小さな小さな円盤は、裏返さなくても最後まで音楽を奏で、彼女がほったらかしても喧嘩にもならなかった。
 そいつが噂通りあの面倒な過去の遺産より、良い音だったかどうかはまったく俺にはわからないが、一瞬のうちに主役になってターンテーブルを必要の無い物にした。
 鍛え上げたレコードを瞬時に探す、両手を神のように高速で動かすテクニックも必要なくなり、レコード屋といった言葉すらなくなって、その後なんと呼んだらいいのかわからない店になり、そのうち、そんなCDすら主役の座から引き摺り下ろされ、目に見えないデーターとなった。

 コンポもなくなり、良い音だとか原音再生だとか、まったくなくなって、圧縮されて劣化したデータが取引され流通される。
今度は、バルク売りの定量契約の一部として売られて、いつでもどこでも誰の曲でも聞く事が出来る便利な時代になった。

 はじめて買ったレコードは、Echo&the bunnymen のcutter。12インチシングルだ。
とてつもなく寒々しくも尖った氷のような音は、イギリスのクラブシーン最先端に相応しく、背伸びしたクソガキにとってはただ知ってるだけで個性を演出可能な自慢の逸品だ。
 はじめて買ったCDは、トムウェイツの土曜の夜は。
 日曜日しか休みなどなかった時代に、BARの片隅で流行りのシングルモルトをやりながら聴くのに最高で、行きつけのBARのマスターにプレゼントしたものだ。
 家ではその何年か前に買ったレコードを聞いていたっけかな。

 そしてはじめて買った音楽の、最初の音は忘れない。それはワクワクしながら買い、大切に抱え込みながら部屋に帰りつき、ターンテーブルに乗せて、バイナルの溝に針を慎重に落とした瞬間に聞こえたチリチリという針が擦れる音と、A面の一曲目がはじまる前のドキドキとした自分の鼓動だ。

 まったくもって便利な時代になったものだよな?

#レコード #音楽 #cd #バイナル

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