願う人祈る人
無力過ぎる僕らに出来る事はなんだろう?
世界では悪意が溢れ、いまだに憎悪と殺し合いが続いている。
そんな事はいけない事だとわかってはいても、争う事は誰にも止められないのだ。
誰かの言い分や、誰かの正義
その事が正しいと信じている心や、確固たる信念。
言う場所を変えればそれらはもっともらしい正義になり、僕らをいつも離れ離れにしてゆく。
いま、ぼくらに出来ることとは自分の正しさや、夢の実現や、恋などの為に費やされる時間なのだろうか?
それでも僕も、誰かも、多くの人は自分の事で手がいっぱいになっている。
多くの場合、人生とは、自分の幸福を追求する事で終わってしまうものなのかもしれないな。
いいよ、それでいいんだよ。
君は優しく笑ってくれるだろう。
安全な部屋の中から、たまに危険な悲しみを見て涙して、どうにかならないものだろうか?と、考えて、今できることを行おうと、募金したり、何かを送ってみたりする。
それが出来ることの限界なのかもしれないし、ただ自分が満足しているだけなのかもしれない。
誰かがこんな事を言っていた。
自分が生きる事や、幸せの為にしている事は苦労なんかじゃない。
ほんとうにそうかもしれないな。
僕も両親などいなくて、お金なんか何もなくて、普通や水準に憧れを抱いて、なんとか生きていて。
たまに苦労したんだね?
と、問われたら、何も苦労なんかしてはいないし、悲しい事なんかたいしてなかったよ、と笑っている。
本音なのだよ。
僕は僕のために生きてゆく事には苦しんでいたかもしれないし、時々、あまりにも身勝手な言葉を吐き出して他人を傷つけたりしてきたかも、いや、必ずそうやって多くの他人を傷つけてきたのだろう。
僕の周りにも自分の為に泣いてる人がきっといて、
僕の周りにも僕のせいで泣いた人もいて、
この街の様々な家の中にも泣いてる人がいて、
この国にもたくさん苦しんでる人がいる。
もしかしたら地球上の全てにそんな人がいて、
宇宙の中にも、この瞬間に苦しむ生命がある。
そんな手の届かない壮大な悲しみや、苦しみ、その全てに対して、いま僕ができること、なんて何があるのだろうか?
ちっぽけすぎる箱庭の幸せ
隣で笑っている君の笑顔
友人達との楽しい時間
束の間の旅の空に感じる平和
そんな事すら、そんな純粋でちっぽけで、とても愛おしい小さな小さな幸せですら、平和なこの国の中でも見つけられない、見失なってしまって苦しんでいる人もいる。
もしかしたら何も僕には出来ないのかもしれないし、もしかしたらまだ僕は満たされていないと思っているのかもしれないな。
目の前に出されたコーヒーや、食事、そして酒。
考える時間と、悩めるほどの幸福。
比較したって何が幸せなんてわかる訳もなく、
それでもたまに空を見上げて、手の届かない何かを思うのだ。
それなりの年齢になった。
僕はこれからどこに歩いて行こうか?
たくさんのやりきれない何かを抱えこんだまま。
いま私にできること
何も僕にはしてあげられないさ
だけど、思ってあげられるよ?
君が幸せになりますように。
ぼくの周りがちっぽけな幸せを守れますように。
君の夢が叶いますように。
君が誰かに認めてもらえますように。
僕たちが誰かを傷つけないでいられることを。
公園で遊ぶ子供達が笑顔でいられますように。
争うひとたちが握手をできますように
試験に挑む彼らが受かりますように
死の近い彼らがやすらかであるように
涙を流す人に笑顔が戻りますように
祈りを捧げる人々にも幸福があるように
君の旅が無事に帰りつけるように
君の人生が満足のゆくものであるように
無力でどうしょうもない僕に出来ることがあるとしたら、それだけなのかもしれない。
力がなくて、なにも出来なくて、ほんとうに愚かで、申し訳なくなる。
そんな自分も悔しくて。
だからせめて思うよ。
君のために、誰かさんのために。
#願い #想い #幸せ
そんな事より聞いてくれ。 君の親指が今、何かしでかそうとしているのなら、それは多分大間違いだ。きっとそれは他の人と勘違いしているに違いない。 今すぐ確認する事をお勧めするよ。 だって君と僕は友達だろ?もし、そうなら1通の手紙をくれないか?とても綺麗な押花を添えて。