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髭剃りと大人になること

 君は髭を剃った事があるだろうか?まだかな?もしかしたら毎日その面倒すぎる行動に嫌気がさしているかもしれないね。でも大抵の場合は毎朝、眠い目で鏡に映る自分の顔を見つめながら髭を剃ったりする訳だ。例えばそれは電気のシェイバーだったり、あるいはそれは薬局やコンビニで手に入る簡単な物だったりするのかもしれない。

 髭が剃れたらなんだって良いさ。
 面倒な事に時間を掛けたって仕方がないし、無駄なものは自分の顔から無くなってしまえば良いと思う事だってあるのだろうから、最近は脱毛なんて事も出来るようになったのだろうね。問題解決だ、男の人生でどうしても逃れられない最大の苦労はそれで人生から消してしまえるのかもしれないね。
 だけど話はまだ終わりじゃないんだ。もう少し僕の話に付き合って欲しい。

 僕の子供の頃は大人の髭剃りに憧れていた。ブラシで泡を立て真っ白なホイップのようにきめの細かくなった泡。キラキラと輝くクロームの重い髭剃り。慣れた手つきで道具を扱い、最後のスッキリとした顔と独特な石鹸の良い香り。本当にかっこよい大人に見えたのだ。
僕の場合は育ててくれた祖父に13歳の初夏、最後に教わった事が髭剃りだった。その事を教えて祖父はこの世から退散してしまったのだ。大人になる為にいくつかの事を父や、大人の誰かから教わらなければならない時代がまだそこにはあった。それはキャッチボールだったりサッカーボールの捌き方だったり、喧嘩のやり方だったり、そこには必ず偉大な大人の男が近くに居た時代だったんだよ。

 もしかしたら大人になる為に最後に教わる事が髭剃りだったのかもしれないね。今でも祖父の声が聞こえてくる。ブラシは穴熊の毛で出来た物を使うんだよ。クリームは2回分しっかりきめ細かく作るんだ。髭剃りは重い物を選んで、その重量で上から下に落とすように剃るんだ。絶対に1回目は逆剃りをしちゃいけない。2回目は慎重に細かい場所を逆剃りしたりしながら仕上げるんだ。絶対に力を入れたらダメだよ。


 髭剃りは一枚刃が一番剃りやすく綺麗に剃れる。床屋がたくさん刃の付いた安全剃刀なんて使うのを見た事がないだろ?あれは剃れないからやめておけ。軽い剃刀もダメだ。自重で剃れない物は顔を傷つける。
 そんな蘊蓄を聞きながら何度も失敗して上手くなってゆくんだ。最近では安全剃刀の軽い物や、電気のシェイバーが当たり前になったから教わらないでも出来るよね?どうだい?君は父から髭剃りを教わったかい?喧嘩のやり方はどうだい?サッカーや野球はどうだい?かっこ悪い父親だと思ったのは幾つの頃だい?そんな僕も君もいつかは父親になるのかもしれないし、もうなっているのかもしれない。
 君はカッコ良く髭を剃っているかい?
 僕もどうなのかはわからない。
 面倒な事が全て必要無くなった先にある時代は便利かい?教えてやれる事を失ってしまった父親や、大人達はどうやって子供たちに尊敬されたり、かっこが良いなと憧れてもらえるんだい?

良く出来上がったクリームを顔に塗るブラシの優しい感触。あまい香り。顔に剃刀を当てる瞬間の緊張感、軽く力を入れずに自重で肌を滑る剃刀から流れてくるチリチリという細かくも気持ちの良い音。洗顔だけでは味わえない艶やかな剃った後の肌の感触。さっぱりとした朝のひと時、そして寝ぼけている子供におはようと笑いかけるんだ。そんな日常を見ている子供は何を思うのだろうね?君の親はどうだった?もう一度言おう。僕を育ててくれた祖父が最後に教えてくれた事は髭剃りだったんだ。そして僕は大人になっていったんだ。

そんな事より聞いてくれ。 君の親指が今、何かしでかそうとしているのなら、それは多分大間違いだ。きっとそれは他の人と勘違いしているに違いない。 今すぐ確認する事をお勧めするよ。 だって君と僕は友達だろ?もし、そうなら1通の手紙をくれないか?とても綺麗な押花を添えて。