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課題の分離

「課題の分離」は「自分の課題と相手の課題を分けて考える」というアドラー心理学の理論の一つです。

私と娘の関係で「課題の分離」を考えてみました。

娘は大学進学のため、初めてのひとり暮らしを始めてしばらく経ちます。娘の生活を、私は親として心配します。寝坊してないかなぁ、ご飯は食べてるかなぁ、部屋はきれいにしてるかなぁ、ポストの中身を確認してるかなぁ…… 。

いろいろ気になって注意したりしますが、よぉく考えてみたら、私が気がつくことって実は、娘の生活全体のほんの一部に過ぎない。私の思いが及ばないところで、娘はたくさんの課題をすでに自分で引き受けて対処しているはずなんですよね。私自身の思考「こうあるべき、こうすべき」に基づいて、私の中で心配して不安になって、一方的に「ああしたら?こうしたら?」と娘に言うのは…どうなんでしょうね。

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米澤紗智江さんの
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第4回「主体的に生きるために」より、講義の一部をご紹介

課題の分離というのは、自分の課題と、相手の課題を分けていくっていうことなんですね。これが
できると、対人関係の中でのもつれに突破口が見えてきて、どういう風に見ていけばいいのかっていうのがわかりやすいです。

基本的に、 その人の課題は、その人が扱える範囲と考えてください。その人が扱える範囲とは、自分の心の中で何を思うのか、自分の心の中をどういうふうにしておくのかということと、自分が 相手に対してどんな言動をするのか、という2つだけです。

相手も同じですね。相手も自分の心の中をどんなふうにしているか、どんなふうに受け止めるか、どんな感情を使うか、何を考えるのかっていうのは、その人の課題です。 そして、その人が実際にどういう行動を起こすのかっていうのも、その人の課題になります。

相手の課題に踏み込む時っていうのは、相手の心の状態をどうにかしようとしてエネルギーを使ったり、 相手の行動をどうにかしようとしてエネルギーを使ったり。
これは相手に対する期待もそうですね。自分はこうやってほしいみたいな。


結末が娘自身に降りかかる課題について、私が娘に一方的に注意するのは、娘の課題に踏み込んだ行動ですね。注意したとしても全体の一部に過ぎないし。見守る事にして、娘に任せましょうかね。娘は自立しつつあります。親も自立ですね。課題の分離は、つまり「自立」なんでしょうね。

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