KINDORU出版 ~こうして私は0円で本を出しました~
神話学者であり、物語についての著作を様々出しているジョーゼフ・キャンベルが「求婚の拒絶」と名付け彼の著作の中で何度か語っている、とあるアメリカ・インディアンの物語がある。
あるところに若く美しい娘がいたが、彼女はいつも周囲の男から受ける求婚を断ってばかりいた。
ある時彼女が母親と薪を拾いに森へと入るとそのうちに日が暮れてしまい、焚火をたいて一晩を森で過ごさなければならなくなってしまう。やがて夜になり母が先に寝てしまうと、どこからとなく若く美しい男が現れ、その娘へと求婚をする。
若者の姿におどろき戸惑う彼女だったが、母をおこし相談をするとその若者の求婚を受けることにした。男は母親に求婚の証をするため玉の飾りを贈り、その晩のうちに娘を自分の家へと迎えた。
娘と若者は彼の家で新婚の二日間をすごすが、三日目になると若者は正体を現し大蛇の姿で彼女の前に現れる。娘は一旦はそれを受け入れ大蛇である夫の世話をしばらくするが、やがて家の表にまで何匹もの蛇が潜んでいるのを見かけると嫌になり、家へ帰ることを考え始める。
すると今度は小さな老人が彼女の前に現れて、その大蛇が自身の弱点である心臓を寝床に隠しているから、それをとって逃げるように彼女に告げた。
その不思議な老人の忠告に従い、蛇の心臓を盗み出しその家から逃げる娘だったが、すぐに大蛇に気づかれて追いかけられてしまう。とうとう追いつかれそうになってしまう娘だったが、またあの老人の声が聞こえ、助けてやろうと語り掛けてくる。
するといままで娘が森の中だと思っていた周囲は水の中であり、娘はその老人の手に捕まりその淵から引き揚げられていた。そしてその老人の周囲には、おなじく小さな老人たちが幾人も立っていた。
——どうやらこのアメリカ・インディアンの物語にはまだまだ続きがあり、この後も娘は様々な不思議なことに出会うらしい。しかし、私としてははじめてキャンベルの著書でこの物語を紹介されたとき、反感のような、なんとも腑に落ちない感じがしたのを覚えている。
娘ははじめ若者が大蛇であったことを一旦は認めたのにもかかわらず、なぜ後になって逃げだしたのか。しかもこの逃げた先で、夜中に求婚してきた大蛇と同じほどには怪しいこの老人が、どうして良い者だと言えるのだろう。
水の中から助け出されてさえ、まるで今でも大蛇の長い尾にからめとられたままのような、悪夢のように不条理な物語。
自分はそのとき、キャンベルの語るような様々な物語を調べており、この「水中に潜りこんでしまう女性」というモチーフに気を取られ、彼が「パンを踏んだ娘」のような文脈でこの娘の物語を引用しているのではないか、という疑念を持ったのである。村の男たちからの求婚を断るというのはこの娘の図に乗った高慢さを表わしており、そうした世間並みの幸せを否定することに対し、このように不条理な罰を受けるという物語を語っているのではないだろうかと。
しかし、もちろんそうした疑念について、今でははっきりと否定することが出来る。
キャンベルにしても、決してそんな意味ではこの物語を語っておらず、アメリカ・インディアン達もそうした意味でこの物語を語り継いできたわけではないだろう。私たちの世界というものは非常に多面的な部分をいくつも持っており、それを映し出す神話・物語の世界というものは、またそれ自身にも多面的な顔をいくつも持つ。
あのジョージ・ルーカス監督が感銘を受け、非常な賛辞を贈った「千の顔を持つ英雄」を著わし、彼自身もまた「スター・ウォーズ」を楽しみ、監督とは友人となったジョーゼフ・キャンベル。
私自身ではまだその一部ではあるものの、そうした著作のいくつかにこうして目を通した今では、あくまで彼自身がそのような多面的な神話・物語世界の一面を説明するために、このアメリカ・インディアンの伝承とその一部を紹介したという事はよくわかる。
そしてなにより彼自身がこうした物語が心底好きで、本当に面白く興味深い物語があるのだと、純粋にこの話を紹介したのだということも。
さて前置きが長くなってしまったが、今回主題として話していきたいのは、そうした物語作品を披露する場・プラット―フォームとしてのAmazon・Kindleについてである。
私自身、けっしてそれほど長いわけではないのだが、以前から自身の創作小説を「カクヨム」さんに掲載している。そして今となっては消してしまったが、その以前には別の名義で「小説家になろう」に投稿しており、言ってしまえば、そのどちらでもあまりPVやポイントを稼げなかった。
だから結局のところ今回のこの試みにしても、そうしたWeb小説サイトでもおなじみな転生物語・追放物語のような、今の自分が評価を受けない場所を離れ、新天地・新たなプラットフォームであればもっと違う評価が受けられるのではないか、という思い付きであることは否めない。
というのも、Xのポストでも少し触れたように現在のPVや読者からのポイント獲得に重きを置いたそうしたWeb小説サイトの設計では、ある種の形式をとった作品が有利になってしまっているのではないか、と感じられていた。
そのサイトの中での流行のジャンルでなければ、まず読者が得られずらい。
そして連載形式で短めの話数で区切ったほうが、全体でのPV数は伸びやすい。
またカクヨムでは読者の票獲得の受付は基本的に最新話の終わりのページで行われ、まだ文字・話数の少ないうちに多くの読者に期待を抱かせる展開を置かなければ、そうした評価を受けづらくなってしまう。
別段そうした作品自体を批判したいわけではない(私自身もちろんそうした話を読み、好きになった作品も多い)。しかしそうした評価や更新によってトップページのランキングやおすすめに乗ることが、小説としての在り方とは関係がなく、Web小説サイトの基本的な戦略となってしまっているのではないかとも思ってしまう。
そしてそうした形式に適していない小説はどうしても全体の読者の目から触れづらくなってしまっているのではないか。
逆に、もともと様々なジャンルの作品や商品を扱っており、それらを効果的に消費者にお勧めすることで業績を伸ばしてきたAmazonのプラットフォームの中でなら、自分では光る部分があると思っている自身の作品も、もっと違う評価や位置づけを得られるのではないだろうか。
正直このnoteの界隈ではいまさらのことにも感じるだろうが、去年(2023年)私の見ているとあるVTuberさんが御自身で書いた小説をKindle上で出版しており、個人でもそんなことが出来るのかと驚いた。
そして、カクヨムに掲載していた拙著「the Throne of the Blood」は、一応一つの作品としての形式を成していたものの、すでに完結ししばらくたってしまっていたため、更新によるトップページやランキングでの露出が絶えており、上記の通り新規読者からの票がほぼ望めない状況となっていた。
そういう訳で、私は自分でもいろいろ調べKindleでの自著の出版を考えたのだが……これはなかなか上手くいかなそうであった。
なぜなら恥ずかしい話、私の執筆環境はとてもお粗末なものでしかなく、電子書籍としてそれなりに整った体裁のものを用意する環境が整っていなかった。
現在使っているPCではマイクロソフト・オフィスは有効化されておらず、アカウントを作って登録等を行うのは、なんか勝手にEdgeとかを既定のブラウザに設定してきそうで嫌だったのである。
またこのnoteもそうだが、カクヨムでもそのサイトのテキストコンテンツを書くのに、別段自前のソフトは必要なかった。しかもそのサイト独自の表記法でルビや特殊な記号を書く必要もあったため、むしろ小説自体の執筆もほとんどそこで行っていた。
そういう訳で、いざ電子書籍用の装飾テキストを書こうと考えたとき、自分は無料で使えるLibreOfficeというソフトをインストールし、そのソフトでワードソフトの形式である.docxのテキストデータを出力。Amazonが電子書籍出版社に提供しているKindlePreviewerでその具合を確認し、同ソフトでkindle用の.kpf形式へエクスポートして出版しようと考えた。
だが、結果から言うとこの方法には問題があった。
何故かこのLibreOfficeで出力した,docxや.doc形式のファイルはKindlePreviewerで開こうとしても、エラーが出てしまって読み込ませることが出来ないからである。
例えばこのようにLibreOfficeWriterで適当に描いた文章を保存して、ファイルをKindlePreviewerにドラッグ&ドロップして読み込ませようとする
しかし、この方法ではこの通り・・・
あれ、出来た。
……出来た!?
・・・・・・DEKITA!!??
・・・どうやら考えるに、当時自分がゴチャゴチャと書式を弄ってしまったうちの何かが干渉していたか、あれからKindlePreviewerのバージョンがアップデートされたため、問題が解消されたらしい。
何はともあれ、現代ではこうして誰でも簡単に電子書籍を制作し、出版することが出来ます。
少なくともこうしたブラウザによってサイトが見られるようなPC、そしてある程度のデータのやり取りが可能なインターネット環境が揃っていれば、ほとんど費用は抑えることも可能です。
さあ、皆もKindle出版やってみよう!!
売れるかどうかは、わからないよ!
あと、外伝もあります。
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