【読み途中】              私たちは子どもに何ができるのか


私たちは子どもに何ができるのか
こちらの御本の一部をまとめ。

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モチベーションについて p87〜

※前章で、ある実験、インセンティブ(刺激)は、モチベーションの低い生徒や貧困層の生徒に効果がなかったことから続きます。

1970年代、心理学の歴史の中では、"行動主義者"が優勢な時代でした。
これはつまり、"人間の行動はひとえに、生物学的な必要を満たすためになされるため、人はストレートな褒美と罰に敏感に反応する”という考え方です。

多くの行動主義者に共通する1つの仮説は、
「自由意志は錯覚であり、行動は遺伝と環境の両因子の組み合わせによって決定されていく」というものである。
(Wikipedia/行動主義心理学より引用)

本書では、行動主義者の優勢な時代、2人の心理学者であるエドワード・デシとリチャード・ライアンのライフワークである「自己決定理論」の重要性を引用しています。


私たちは多くの場合、自分の行動が生む表面的な結果ではなく、その行動によってもたらされる内面的な楽しみや意義を動機として決断を下す。
2人はこれを「内発的動機付け」と名付けた。
さらに2人は、人が求める3つの鍵を見極めた。
「有能感」「自律性」「関係性(人とのつながり)」である。
そしてこの3つが満たされるときに限り、人は内発的動機を維持できると述べた。

デシとライアンは数十年をかけて複雑な実験を行い、
外的報酬(物質的なインセンティブ)は、長期にわたるプロジェクトへの動機づけとしては効果がなく、多くの場合、むしろ逆効果であることを示した。
デシが昔に行った有名な研究の話は、ダニエル・ピンクの著書「モチベーション3.0」(講談社)にも出てくる。

彼らは前提として、人間は生まれながらの学習者であり、子どもたちは生まれつき創造力と好奇心を持っており、「学習と発達を促進する行動をとるよう、内発的動機づけがなされている」、としました。

しかしながら、このアイデアは「退屈さ」によって複雑なものと化します。
私たちにも経験があるように、何かを学ぼうと思ったら、掛け算の九九など、多くの反復練習が必要になります。
そしてこの反復練習こそが、退屈。
掛け算の九九の暗記に内発的動機をもっている子どもは稀です。
この瞬間、内なる満足のためでなく、外発的動機づけが必要になり、これを教師や養育者が促すことが必要と言います。

ここで心理学者は人が求める3つの項目に立ち戻る。
「自律性」「有能感」「関係性」である。
この3つを促進する環境を教師がつくりだせれば、生徒のモチベーションはぐっと上がるわけだ。

生徒たち教室で「自律性」を実感するのは、
教師が「生徒に自分で選んで、自分の意志でやっているのだという実感を最大限に持たせ」、管理・強制されていると感じさせないとき
である。

有能感」を持つのは、生徒たちの現在の能力をほんの少し上回る課題を教師が与える時である。

「関係性」を感じるのは、教師に好感を持たれ、価値を認められ、尊重されていると感じる時である。

「この3つを実感でる環境は内発的動機づけを育てるだけでなく、あまり面白くない学習作業も進んでやる気にさせるものだ」
と、前述の心理学者2人は結論付けます。

こちらの章では学校等の教育現場を例にした実験を踏まえたものになっています。
親は子どもの安全地帯、絶対的存在であるとともに教師のような養育者である側面も持ちます。
(家庭によってこれらの表現の仕方は異なるとは思いますが)


親が子どもにできること、そのひとつが、環境の整備です。
例えば、好奇心を持つことのすばらしさは、環境によってもたらされます。多くの玩具を提供すること、
食事中の子どもの手を制限することは、時として、彼らの好奇心の発育に影響します。

まだ途中読みではありますが、親が子どもにできることはさほど多くなく、少ないが故に、その質を随時確認・整備することが必要なのだろうか、と感じている次第です。



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