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77年周期説

歴史的に見て77年周期は時代の転換点ともいえるようです。

明治維新(1868年)から太平洋戦争終戦(1945年)まで77年。

どちらも怒涛のような時代変化の波の中で日本人は生き抜いてきたのです。

特に、2022年は世界中を巻き込んだコロナ禍とまさかのウクライナ21世紀戦争が起きようとは!

(余談ながらロシア革命からソ連崩壊までは74年だそうです)

世界中が行き過ぎたグローバル化というもののもろさ、弱さ、崩れやすさ... つまり脆弱さを突き付けられました。

日本という国は、こんなにも自国で生産せず、何もかも輸入していたのかと。

それが今、あらゆる製品の物価高につながっていることを知りました。



政権与党がしてきた外交というのは、

相手国の〇〇を年間△△トン買いますから、日本の★★を輸出させてください。

当然、政治家の外遊には関係団体を引き連れていきます。

これは外交なんでしょうか? 民間では、商談というのです。

国家の防衛よりも商談を優先してきたことが77年経た今、知らされました。

それ以上に口惜しいのは、 当時、その国では人気があり政権を取った某女史が初めて日本へ来ました。

時の総理は8000億円を融資ではなく提供したようです。

某女史はほどなく失脚。政権が代わりました。

あの、日本国民の血税の8000億円はどうなったのでしょうか?

某女史を失脚させたのもその金が目当てだったのか? この国の指導者は姿を見せません。


77年というのは、ひとりの人生丸ごとの時間。

それ以上の時間はなく、誰も77年後の世界と自分の国のありさまを見ることはできません。

昭和から令和への77年間を生かされて、何が残ったのか?

政府は、住宅ローンを借りさせて新築住宅を建てれば税制面で有利になるとその政策を優先させてきました。

確かに、銀行は金利で儲けることができたし、家一軒に収める家具ゃ調度品の諸々を買わざるを得ないので経済が回りました。

しかしほぼ50年後の現実は空き家問題で自治体は困っています。

少子高齢化問題もわかっていたのにほったらかしにしていて30年の空白を作ってしまいました。30年前から取り組んでいれば....。


あるちいさな人口10万人未満の地方都市ですが、

30余年まえ、歴史的にその町の名花、名木をとことんきれいにしようと公園化しました。

市長は世襲政治家ではなく、ふつうの自営業のいわばおじさんです。

毎日毎日公園整備をしている姿は、よくも悪くも公園市長と言われていました。

名花、名木は年経るごとに美しく育ち、20数年たったころテレビのローカルニュースで紹介されるようになり、花の時期は、今では爆発的な人気観光ととなっています。


30年前、誰も町のシンボルフラワーのフラワーパークを作ってほしいと頼んでいませんでしたが、その時代は団塊世代が働き盛りで税収も伸びていたのです。

30年後だったら介護施設や保育園を作るほうが優先されて、同時にそこで働く人も大切な人材でそのための予算が必要となり、とても公園づくりに予算を掛けられませんでした。

世襲政治家の市長なら思いつかなかったでしょう。

その後の話では、こんなちいさな町の市会議員が北の果ての島々を視察に行っているのです。
その議員の娘さんが言いました。
現地では父たちが訪問したことを新聞で取り上げてくれたのに、地元ではまったく話題にもならないと嘆く。
バカかと思いました。

議員の観光旅行に市税は使われているのです。

77年、人間もそろそろくたびれどきでしょうか?

私の77歳はどんなかな?
白髪頭がステキでいたいな...



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