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初めての子育ては③

こんにちは。
①、②、と続いている私の
初めての子育ての話です。
この回で全部書ききれると思います。

では、今日もお付き合いください。

長男に何か習い事をさせたい
と、思っていた矢先に双子を授かった。
嬉しい気持ちと不安な気持ち。

私の行った産婦人科では
里帰り出産を希望するなら16週くらいで
帰ることを勧めます、と言われて
早々に産院を探し始めた(8週くらいだったな)

ただ、私としては必ず出生前診断は受けたかった。
過去の事情も話して、産婦人科の先生が
何やら腕のいい先生がいるらしい病院へ
紹介状を出してくれた。(感謝)

双子の妊娠が発覚して(大体8週くらい)
見事にやってきた悪阻。
長男の頃よりもずっとキツかった。

1日に10回くらい嘔吐したり(汚くてスミマセン)
何も食べられないけど空腹も気持ち悪い。。
食べたら吐く、飲んでも吐く、、
15週くらいかな?少しずつ落ち着きました。。

悪阻の間、何がつらかったかって
長男のオムツ替え。
1歳7か月くらいだったと思うけど
本当にきつかった。

出生前診断は初期と中期の二回受けた。
中期で問題がなければ染色体異常などは
ほぼ無いとのことで。
二回目の検査が終わるまで本当にビクビクしてた。

結果は問題なし。
性別もそこで男女と判明した。
出生前診断が終わってから里帰りした。

私は双子の分娩を自然分娩したかったので
双胎でも対応してくれる病院を予約した。

実家では自宅と変わらず長男の世話は
1人で全部こなしていた。
日中は近所の公園で外遊びか
屋内の遊び場に行ったり
1日中アクティブだった。

それを出産のギリギリまで継続してた。
妊娠35週くらいで子宮頸管長が
短くなってることを指摘されて
急遽、入院することになった。

突然のことでパニック。
今日、荷物をまとめて入院と言われ
長男と離れることが寂しくて怖くて
病院からの帰り道、泣きすぎて
居合わせた女性に声をかけられたほど。。

長男は私と離れることの
理解ができていなかったのか
平然としていて、私の方はとにかく
パニックだった。

幸い、5日間の管理入院で済んで
何事もなく退院した。

ただ、経産婦であることと
子宮頸管長が短いことには変わりなく
3日後にまた入院し、計画分娩することになった。

5日ぶりに帰り、長男と会う。
可愛くて愛おしくてたまらなかった。

当時は本当に無意識だったけど
長男に相当依存していることがこうして
書いてて痛いほど感じられる。。
長男にもしかり、”母親である自分”に
もの凄く依存していたなとつくづく思う。。


双子の出産はこれまたスピーディーだった。
入院初日に促進剤を入れたものの反応なし。
翌日の昼に人工破膜してからは1時間以内に
二人とも生まれた。

早すぎて、母子手帳にも推定時間しか記されてない。
長男のときは少しだけ会陰切開もしていたし
出血も多量だったみたいだし、深夜のお産で私も
記憶が途切れ途切れ。。。

翌朝、とにかく体がめちゃ痛くて
なかなか動けなかった記憶しかない。
それなのに、双子出産では1時間後には
自分で立って歩けていたし心身ともに元気だった。

後陣痛だけはもの凄くつらくて
産後3日くらいは痛みに耐えてたかな。
母子ともに元気だったのですぐに母子同室になった。

次男だけほんの数グラム体重が少なく生まれて
低出生体重児だったので2日間だけGCUに入ってた。
3日目には母子同室になって3人で過ごしていた。

二人目の余裕なのか、いろいろと忘れてる部分は
あったけど概ね順調に過ごせた。
親子で予定通り退院して実家に戻った。

長男には、双子が生まれる前から特に
”妹と弟ができるよ”、などとは伝えていなかった。

色んな考えがあると思うけど、私は長男に対して
”お兄ちゃん”で在ることを求めなかった。

長男は長男だし、娘は娘だし、次男は次男だけど。
そこに何か差をつける気はゼロだったので
3人に対して、シンプルに”1人の我が子”
として育てるつもりだったし、今でもそうだから。

一般的に”お兄ちゃん”になった長男だけど
私は今まで一度も彼を”お兄ちゃん”と呼んでいない。
娘のことも次男のことも妹、弟、としては育てていない。

突然現れた二人の赤ちゃんに対して
長男は特に動揺することもなかったし
敵意を示したり警戒することもなかった。

2歳になりたてだったし、実家にいてジジババが
長男についててくれたので赤ちゃん返りもなかった。
もしかしたら、発達がゆっくりだからその点は
救われていたのかもしれない。

双子が生まれてからも私はなるべく長男を優先していた。
生後3か月くらいまで、双子は夜間授乳や昼夜逆転の
生活は大変だったけど、日中は手がかからなかったから。

それでも3人の子育てはほぼ1人で全部こなした。
日中、長男の遊び相手を父にお願いしたり
たまに双子のどっちかを母に寝かしつけてもらったり
そーゆうことは頼ってたけど、沐浴してもらったりとかは
特にお願いしなかった。

常に、自宅に戻ったらワンオペが待ってると思って
何でも一人でできるようにしなきゃ
自分をひたすら追い込んでた。。

自宅に帰ってからもこのシンドイ子育ての仕方、
自分の生き方の思考は暫く変わらなかった。

夫とは衝突しまくっていたし
衝突するごとに性格とか相性とか
本当に合わないんじゃないかとか
色んな事を一方的に考えてました。。

こんなハードモード設定だった私が
少しずつ変わり始めたのもちょうど
これくらいの時期。
子どもを3人連れて自宅に戻ってから。

ここら辺のことは過去記事にあるので
是非読んでみてください。
やっと、過去記事とかポツポツ
書いていた私の過去の子育てのことが
ようやく出揃いだしたかな。

あとは長男の発達のことで超絶悩み
始めることとか、その辺も書いていきます。

ではでは、ここまで読んでくださり
ありがとうございました。



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