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自分以外のことで悩む

こんばんは。
今日は思ってることを書きます。

自分以外の誰かや何かのことで悩んでるとき。
その時は本気で悩んでて、どうにかしなきゃ
って解決策を模索したりするけど。

ほんとは自分以外のことで悩むのって
自分にとってのメリットだということに
意外と気が付かない。
私がまさにこれだった。

親の事、子どもの事、パートナーの事、
友達や職場の人の事etc…

そうやって自分以外のことで悩んでるときって
自分の中にある向き合うべきことから
目をそらすことができるから
自分にとってラクなことでメリット
なんだよね。

私は、子どもの発達の遅れについて悩んでた。
言葉が遅い、動作の発達が遅い、などなど。
そんな事に悩んで、それをどうにかしようと
必死になってた。

なぜ、子どものことを”問題”と私は思うのか。
そこの自分の感情や内面とは向き合わずに。
感覚訓練とか言葉の訓練とか
足りないと(私が)感じることを
外側から必死に埋めようとしていた。

公立の療育に行かせるか、私立の療育に行かせるか。
どんなことをすれば我が子は改善するだろう。
自分のことは棚に上げて、我が子をどうにかすること
ばかり考えて、悩んでた。

本当に向き合うべきは
本当に改善すべきは
目の前の我が子やその相手が見せてくる
自分が”問題”と思う、その感情の出所なんだよ。

自分の悩みのタネだと思ってるその相手のことは
何も問題ではない。
それを”問題”と感じ、問題にしたのは自分。

じゃあ、なんでそれを”問題”って思うんだろう?
その”問題”と思う相手の行動の中に、自分の何を見てる?

本当に向き合うべきところはそこなんだよ。
自分に”問題”をみせてくるその相手は
私に気づいてほしくて、見せてきてる。
要するに、自分の中に在るものが引き起こしてる。

でも、そこに気が付けず、ずっと外側に
正解を探してしまうのって多いんじゃないかな。
もっと言うと、親子関係も夫婦関係も友人関係も、
人間関係って正解は無いと思うんだ。

だから、必死に正解を探したって見つからないと思う。
特に外側にはね。
内側にも正解は無いんだけど、自分の中に在る
色んな自分を知ることでラクになる部分はあると思う。

ひたすら正解を追い求めるのではなくて
自分を知り、自分の中に在る色んな自分を認めることで
目の前の悩み事や問題がひっくり返ることって
沢山あると私は思ってる。

自分以外のことで必死に悩んでることがあったら。
もしかしたら、自分の中に向き合いたくないことが
隠れているのかも。
それを見せてくるから、目の前のことで悩んじゃうのかもね。
イライラするのかもね。

でも
それもすべて自分にとってのメリットだということ。
それだけは知っておいた方がいいと思う。

別に、向き合いたくないなら無理しなくていい。
向き合うことが正解じゃないから。

きっと、人それぞれキッカケやタイミングがあって。
必要であれば強制的に向き合わされる時ってくるから。
それまではメリット握ってたらいいと思うんだ。

冷たい言い方に聞こえたら申し訳ないけど
それがどんな事であれ、自分にとってのメリットだから。
大丈夫。いいんだよ。握っていても。
これも正解はないんだから。





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