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時に刻むもの。時を超えて届くもの。

内側にあるものを現す。ってパワフルだなぁと。以前にもまして、この頃は実感しています。
ワークでも、よく「書き出す」ってことをするのですが、内側が整い、エネルギーが変化していくのがよくわかる。
そして、「現れたもの。現したもの」って、ずーっとそこで振動していて、必要な時に現れてくるのかも。

母の葬儀も終わった翌日の朝。なんだか空っぽで。
でもやることが沢山あって。
そんな中リビングの書類コーナーからポロリとでてきたノート一冊。

母が突然難病を発症した頃のノートでした。
開いてみたら、表紙の裏にハガキが貼ってありました。

わたしは、すっかりそのハガキのことは憶えてなかったのだけど、それは、母が7年前に突然、進行性の難病になり、一か月後の生存も不確かと言われた時のもの。

インドから帰国し、入院と手術に付き添った後、またインドへと戻るときに、どうやら私が病室の母宛に、空港から投函したハガキでした。

そこに書いてあった一文。

「時間も場所もほんとうには超えられると思っています。これからもサポートするのでよろしくね」

イシュナックの丘1

それを励みのようにノートに貼っていたことなんてちっとも知らなかったのだけれど。
それを見た瞬間、あふれ出してくるものが止められなくって、自分でも聞いたことのないような声がでてきて。
ダムの決壊の勢いで、多分、、、わたし倒れました。笑
家族が驚いてかけよってきて支えてくれた。

その一文が、今でも時々ふと、わたしの中に浮かんできて。

その度に、ああそうだった。と励みなって。
別の時空で現したわたしの言葉が、わたしにまたかえってきた。
何度も何度もかえってきてくれる。

帰国して、病室に飛び込んだときの母の様子が浮かんできます。
場違いなくらい、やわらかい日差しの中で、ふふふ。って笑っていた母。
お互いほっとしながらみつめあって。

あの頃は、必死で母にヒーリングをし続けていた日々だったのだけど、術後の母にヒーリングしながら、「癒す」っていう何かをほろりと手放した瞬間があって。
ふーっとゼロになったような時がありました。

それから、私の中でヒーリング。が何か大きく変わった。
委ねる。という感覚が深いところでストンとやってきた。

でも、変わってなかったかもしれない。
もっともっと能力を磨いて、母を癒したいって、やっぱりずっとどこかでは思っていたのかもしれない。
ふと、また先日、そんな何かを手放したような時がありました。
それは、ゼロ。というよりは、大きな大きな祝福、ただただ大きな愛に包まれているような感覚でした。

イシュナックの丘5

そして♡
時を超えた贈り物はいろいろとあって。
妹が生まれたときの音声テープ
もでてきました。

カセットテープ。って、そもそも、今は、機器がみあたらず、すぐ再生できないと思うけど、我が家の、20年以上選手のラシーン君は、いまだ、オーディオはカセットデッキでして。
みんなで、カセットテープを聞くことができました。

母のチカラを使い果たしたような声に、妹の元気すぎる産声、
廊下でまっていた祖母が何度も「ありがとうございます。ありがとうございます」といっている声。父の声。
そして、看護師さんが「お姉ちゃん。妹だよ」って紹介している声もありました。わたしが生まれたての妹に、はじめましてをした瞬間。

母が亡くなって集っている中で、一つの命が生まれた瞬間の時の音にみんなで耳を澄ましながら、
わたしたちは大きな大きないのち。
その中で、わたしたちは生きているんだなぁってことを感じていた時間。

ここに、あるものないもの。も超えて、
いつだって届けたいものは届いていく。

ピンクのカーテン4

母と妹が明石に来た時に撮ってた空、一緒にみた空かな

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