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伝えたいことを言葉に

子供たちの新学期がはじまりました。
晩御飯前に寝落ちしてたり。いつもより寝るのがはやい。
クラス替えは、子供たちにとっての大イベント。
新しいクラスや環境に、気をはってるのが伝わってきます。


3姉妹、(当たり前だけど)個性はそれぞれ全然ちがって、3女は、どちらかというと人見知り強め。(家では末っ子アイドル。内弁慶)
小学生の休み時間は一人本を読んでることが多かったんじゃないかな。

学校から帰ってくると、今日読んだ本の内容を、よく聞かせてもらっていました。

たしか、3女が小学校に入学したての頃。毎日、帰宅した彼女に「今日は学校楽しかった?」と聞いてたんです。

そしたら入学から数日のある日、
「毎日楽しくないとだめなの?」と彼女の返し。

この時のことは、すごくよく覚えてる。
めちゃくちゃ目がさめた瞬間。

ほんとだね!いろんな日があるよね。
すごいすごい、すごいね!!!って
めちゃ褒めた記憶。

今年のお花見写真とともに記事をお届け



そこからは、今日はどんな一日だった?と、
彼女のそのままが聞きたいなぁと、帰宅後の会話が変わりました。

学校での出来事とか、読んだ本のことを聞かせてもらったり。
テスト、先生にみつからないように、こっそりゴミ箱に捨てれたよ!とか、ノート毎日白紙でだしても、みつからないんだよ!なんて話も時々ありました。

悪びれゼロ。むしろ、すごい技みつけたよ!と報告してくる様子に、注意するよりも、こっそりワルに尊敬の気持ちが湧いて応援したくなったり。
彼女独特の感性とか、発想が豊かに育ってく様子が面白くて。

あいかわらず、友達と話す。ってことはなかったけれど、彼女の中で育まれてるものがある。のがみえてた。

そんな3女も、小学3年生の3学期、はじめてお友達ができました。同じく、休み時間、一人本を読んでた女の子。

明日は、なにを話そうかな。とか、何して遊ぼうかな。って、すごく嬉しそうな世界がひろがったのが伝わってきました。

その子とは、以来、一度も同じクラスにはなれてないんだけど、交換日記をしたり、今でも休日は遊びにいったりする仲良しさんに。

(その子のママとは、幼稚園の頃から、子供は違うクラスだったけど、気が合って時々遊ぶ中。でも、子供のいない昼間に遊んでたし、子供たちは面識なしだった!から、すごい偶然)

彼女が、お友達と過ごす楽しさや喜びを感じて、いきいきしてる様子、わたしも嬉しかったな。

そして、6年生。クラスに、何人かお友達ができて(はじめてのこと~)、グループで遊ぶ楽しさも拡がって、一番学校を楽しそうにしていた時期でした。

そんな3女。の中学校生活スタート。仲良かった子が一人も同じクラスにいなくて、どんよりモードのスタートとなりました。もう、グループはできてるし、1年間一人かも。と、不安妄想膨らみ気味。

仲良しの子がいたら、いいスタートをきれたのかもしれないけど、、、

6年間の小学校生活の中で、ゆっくりゆっくり、お友達とうちとける、を開いてきた彼女。新しい環境は、またチャレンジなんだけど。
そこでまた、自分らしい心地よい場をつくっていける体験になったらいいなぁ。

と思いつつ、自分の中で、やっぱり、心配さんが顔をだすところもあって。わたしがサポートできることはなんだろ?と、ほっこりできそうなココアを買ってきてみたり。一緒に図書館にいって、面白そうな本を借りてきてみたり。

同じように、みんな元気そうにみえても、あたらしい環境で、不安な気持ちの子はいっぱいいると思うよ。ゆっくりでも、話せることはでてくるから。って話をしてみたりもしたけど、わたしの中でも、彼女に何を伝えあげたらいいのか。何を伝えたいのか、どこかしっくりきてなくて。

心配のエネルギーでなく、彼女のチカラを信じて応援出来たらいいな。と自己調整をしてみたり。そしたら、その調整であがってきたのは、ありのままを受け入れてほしかったインナーチャイルドでした。

お友達がいるから。とか、何かができるからも関係なく、
だたあなたがいるだけで嬉しいよ。って言われたかった子。

言われたこともあるし、なんどかあがってきたこともあるテーマだけど、それでも、この感覚はもっともっと受け取れるし、伝えまくってあげたい。ってすごく湧いてきました。


わたしが、彼女に一番伝えたいことは、いてくれて嬉しいよ。ってことだーーーー!!!とストンと落ちてきました。

帰宅した彼女と、一緒におやつを食べながら、のんぴーと一緒に食べると、すごく嬉しいよ。って言葉がでてきました。

大好きだよとか、いてくれて嬉しいよ。は、よく伝えるし、その思い、にじみでてると思うんだけど、今日の言葉のエネルギーは、いつもと違ったきがする

いつもより、パワフルで、あったかくて。
彼女の表情からも、いつも以上に受け取ってたのがわかったし。その言葉の瞬間、何かが、どーーーっと流れて広がる感じがしました。

何より、伝えたいことを、伝えたいときに、伝えられた!!!っていう嬉しさが私の中で溢れてきました。

自分が伝えたいことは、言葉や表情、わたしを通して、
いつの間にか、何気なく常に現れているのかもしれないけれど

それでも

一番伝えたいこと。を改めて、自分の中で言葉として認識する。
あらためて顕在化させるってパワフル。

大切な人ともより繋がれるし、自分ともより繋がれた。

話しかけてみたよ。とか
彼女の中で、すこしずつ切り開いていく体験を重ね中の様子です。


そうそう。言語化について、もうすこし、備忘録。
先月の多次元キネシオロジーのレベル1クラス「言語化」がテーマだった回の放課後でシェアしたこと。

うちの両親はどうして離婚しないんだろう?と、ずっと思ってた関係だったし、二人は一緒にいない方が、ストレスなく心地よい生活ができるんじゃないかな。と思っていたんだけど。

そんなでも、母が亡き後、母がわたしたちにしてくれてた定期的に送ってくれてた荷物を、父が、同じようにしようと奮闘してたり、(父はそいういうことを一切したことのない人だから、すごい奮闘!)父はてっきり、田舎に帰るかと思ってたら、あいつが帰りたくないっていってたから。と、今でも母が住みたかったところにとどまっていたり。

言語化。ということでいうと、生前に母に言葉として伝える。ってことができなかったし、母が亡くなったあとなんだけど、父は行動やあり方で体現して伝えてることがある。

それは、わたしたちにとっての癒しになったり、父自身も、自分の伝えたかったことと繋がってる時間なのかな。
そして、もしかすると、時間を超えて母に伝わってるのかも。

そんな父の想いを応援できたらいいな。って気持ちが私の中にある。ってことを放課後の時間に、言葉にして、シェア、聞いてもらいました。

そしたら翌日のこと💛

父から電話が。第一声
「今、暇か?」
聞くと、用事はないけど、世間話の電話でした。
こんな不思議ないいことがあったんだ。のニュースばなし。

びびびび!!!!
びっくりです。

そもそも、父から電話がかかってくることも、めったにないし。かかってきたとしても、用事があるから。
世間話で電話がかかってきたのは、生まれて初めてではなかろうか。

自分の中にある思いを、意識に顕在化させる、言葉にする。
物理空間におろすことって、現実化の一歩、後押しとしてパワフル
なツールのひとつだと再認識した出来事でした。

言葉にならないこともあるけれど、
自分と繋がって、それを体現する。
言語化しようとする。そのベクトルを大切にしていきたい。

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