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「ありがとう」家族はチームじゃない。

天狼院ライティング・ゼミの課題5回目、またウェブ掲載されずにボツになってしまいました・・・残念。

今回は「ありがとう」という言葉と家族の話です。
いつも思っていたことをベースに、何気なく読んだ記事から疑問を持って考えてみたことを2000文字の文章にしています。
素朴だけど、ふむふむと思ってもらえると嬉しいです。


・ボツになった「ありがとう」という言葉と家族の話

〈タイトル〉
「ありがとう」家族はチームじゃない。

結婚してみると、本当にいろんな家族ってものがあるんだなぁと思う。
やたら夫が「ありがとう」と言うのだ。

「お風呂湧いたよー」
「おぉ、ありがとう」

「このお菓子、美味しかったから残しといたよ。食べていいよ」
「ありがとう。美味しそうだねー」

夫は終始こんな感じで、私としては気分良く暮らしている
でもなんでこんなに「ありがとう」って言うんだろう。
夫の実家に遊びに行くと、その謎が解けた。
夫の両親も兄弟もみんな、「ありがとう」を言いまくっているのだ。
ありがとうの祭りか?と思ってしまうくらい、挨拶か!とツッコミを入れたくなるくらい。
何気ないことに感謝の言葉を使う。夫は、それが当たり前の環境で育ったのだ。

この件は、自分の実家ではあまり使わなかった言葉なので、家族って色々だなーと衝撃的な事件だった。
衝撃は受けたが、感謝を伝えられると嬉しいものだと実感したので、私も真似して使うようになっていった。

「ゴミ捨てたよ〜」
「あー!忘れてた、ありがとう!」 

「会議室の予約しておきました!」
「ありがとう!さすが!気が利く!」

「資料作ってみたんですけど……」
「お〜、ありがとう!見てみるね!」

こんな感じで、家庭だけでなく会社でも「ありがとう」を連発し、自分なりにチームメンバーが心地よく仕事をする環境づくりができていると満足していた。 


そんな時、ふとコルク代表佐渡島庸平さんの「ありがとうを言わないチーム作り」というnoteが目に留まった。

ん?ありがとうを言わない??
いや、言った方がいいに決まってんだろ。
そう思いながら読んでみた。

まずは「スラムダンク」の話。
湘北キャプテンの赤木が、相手に一歩も怯まないメンバーを誇らしく思い、ありがとうと言うと、チームメイトである桜木たちが「バカヤロウ! オレは自分のためにやってんだ!」と答えた。
この話が原体験になり、佐渡島さんは「ありがとう」を言うのがかっこよくないと思っていること。
チーム作りについて、「タックマンモデル」という4つの成長段階を経て成果が出せる状態になることから考えると、
チームでプロジェクトを行なっている時、お礼というフォームである「ありがとう」という言葉や挨拶が必要なのは、チームとして一番未熟な段階であることを示す。
チームが次の段階に成長すると、チームの理由が自分の理由と繋がるので、「ありがとう」がなくてもモチベーションは下がらなくなる。
だから、「ありがとう」が不要なチームを作り上げたい。

というようなことが書いてあった。
確かにおっしゃる通りである。

仕事で「ありがとう」と言われても、あなたのためにやっているわけではない、そう思うのは自然だ。
同じゴールを向いているプロジェクトチームに「ありがとう」は必要ない。

仕事で何でもかんでも軽はずみに「ありがとう」を連発していた自分の過去を後悔した。


……だけど。
家族には「ありがとう」が必要だと感じている。
私のこの気持ちは何なんだ?

チームに「ありがとう」は要らない。
それは分かった。
でも、家族ってチームじゃなかったっけ?
その前提が間違っているのか?

ちょっと調べてみると、こんな言葉たちが並んでいた。
・家族は「幸せ」という目的を達成するために編成された人の集まり。
・共働き子育て夫婦の家事のコツは「家族がチーム」という考え方だ。
・子育てを楽しむコツは、「家族=チーム」と捉えること。つまり、会社でやっていることを家庭にも持ち込めば、そう難しいことではない。

目的を達成する?
家事のコツ?
家庭にも持ち込む?
……何だか違和感がある。

分からなくもないが、確実に違和感がある。

ちょっと考えてみると、違和感の正体が分かった。 
・家族がチームという考え方は、仕事の考え方を家族に当てはめるとうまくいく、というただの「方法論」なのではないか?
・家族の本質って、お互いを尊重し合い、心地よく暮らせることを配慮する。時には迷惑もかけるが、その時は感謝の気持ちと言葉を忘れない。そんなことなんじゃないか?

つまり、何かを「する」ためのチームというより、心地よく「いる」ためのチームというのが家族なのではないか?
私は家族というものをこのように捉えているのだ。

何かを「しなきゃいけない」ってしんどい。
ただそこに「いるだけでいい」
それが許されるのが家族なんじゃないか。

それには、いるだけでいいという許しを表現するための「ありがとう」という言葉が必要だと思う。
家族に「ありがとう」って言われたら、「こちらこそありがとう」と返したい。
何もないけど、ただいるだけだけど、自然に感謝を感じるって、いいじゃないか。

家族はチームじゃない。
だからこそ「ありがとう」が必要なんだ。


・講評

・前半は読みやすい文章だったが、佐度島さんの話以降、説明的なところが多くなってしまった
・家族とチームの関係の部分は、思考の過程がそのまま書いてあり、冗長でわかりにくい
・あくまで『第3者』に読まれることを意識して、読みやすい文章になっているかどうか、意識して書くと良い


・反省点

学生時代、読書感想文が超苦手だった黒歴史を思い出してしまった……。
とにかく、誰かの文章を「こういうこと」と要約するのが苦手です。
読んだ本を「こんな本だったよ」と紹介するのとか、受けた講義を「こんな講義だったよ」と人に伝えることができない……。
まさにそれ!
それを指摘されたなと思いました。
家族とチームの関係については、自分の中では分かるつもりで書いてるんだけどなぁ。自分ワールドに入っちゃってるのかな。
ムムム。難しい!

とりあえず言いたいのは、
家族同士や仕事でもチームがまだ未熟な時は「ありがとう」を言い合おうよ!ということです。

そんなわけで、最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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