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地元を好きになるということ

天狼院ライティング・ゼミの課題4回目、今回はウェブ掲載されずにボツになった地元を好きになる話です。

正直言って、採用されると思ってましたw
おかしいなぁ。
前回採用された朝ドラの話より、面白いと思いながら書いたんだけどなぁ。

採用はされなかったけど、自分の人生が変わった瞬間だったと思うので、
文章にまとめてみれたことは良かったなと思います。


・ボツになった地元を好きになる話

〈タイトル〉
地元を好きになるということ

とにかく地元が嫌いだった。

「岡さんは大学生になったら東京に行ってそうだねぇ」
ん? 何当たり前のこと言ってるんだろ、この先生。 

小学校6年生の頃、担任の岩佐先生に言われた言葉を思い出す。

親からはNHKのアナウンサーが話す言葉が正しい日本語と教えられ、塾の帰りになかなか来ない電車を待っていると通る夜行列車「あさかぜ」を見ながら「これに乗ると東京に行けるんだ」と胸を踊らせる。そんな子供だった。

私の地元は広島県福山市。広島県内では広島市に次ぎ2番目となる人口約47万人の中核都市である。よくある田舎の中核都市で、「何もないとは言わせない!」をキャッチコピーに市がキャンペーンをするような、本当に何もないつまらないところだと思っていた。
欲しいブランドの服も売ってない、行きたい店もここにはない。
テレビや雑誌で見るキラッキラな東京に憧れていた。東京こそが自分の生きる場所なんだ、そう思っていた。

そして、岩佐先生の予言通り、私は東京の大学に進学し、そのまま東京で就職、結婚もした。


30歳になった時、東京で同窓会があった。

中高一貫の進学校だったので、東京在住の同級生はたくさん。50人近くが集まった。
同窓会の名前は「半還暦の会」
還暦(60歳)の半分である30歳ということから付けられた名前だった。

「60歳の半分って、もう人生の半分生きたってことじゃろ〜」
「もう折り返し地点じゃない?」
「早っ!!」

そんな話から、だんだんと酔っ払ってきて真面目な話にも。

「福山に育てられたんじゃなぁ、うちら……」
「何か返せとるんかなぁ?」

人生100年時代と言われている昨今。人生60年ってこともないのだが、初めて「死」を意識した。
前だけを向いて生きてきた30年だったが、初めて後ろを振り返ったのだ。

振り返ってみると、地元があった。
生まれてから青春を謳歌した18年間、地元に育まれたからこそ今がある。

そして、こんな想いが生まれた。

……
これまで育ててくれた地元に恩返ししたい。
……


そこからの動きは早かった。
友人たちと4人で事務局を立ち上げ、地元のいいものを紹介できるカタログギフトを作ることになったのだ。

プロジェクト名は「備後のギフトプロジェクト」
地元という言葉からイメージするものは、福山市だけではなく、感覚として生活圏はもう少し広いエリアであることから、かつての地方行政区分である「備後地方」から名前をとった。

地元のために何かしたい。
そんな人たちの少しずつの想いを集めて、備後産品のカタログギフトをつくるプロジェクト。

こんなキャッチコピーで、制作費一人1万円を負担して賛同してくれる仲間に声をかけていった。

すると、最初は同じ高校の同級生だったが、次第に先輩や後輩、別の学校の同年代や学生時代が全く被っていないような色んな年代の人たち。
我々のような東京に住んでいる人から別の地方に住んでいる人、地元に住んでいる人まで、全国からなんと186人が賛同してくれたのだ。

地元のために何かしたい。
この想いは186人の共通の想いになった。


具体的なカタログギフトづくりは、全国各地のカタログギフトを作っている(株)地元カンパニー提供のプラットフォームにのせることになった。
探そう地元、愛そう地元。をコンセプトにしている地元カンパニーは我々の想いと合致し、良きパートナーになってくれた。

ランニングとしても発生する物流や販売の専門的なことを任せたことで、地元のいいものをつくっている生産者さんたちを見つけ、想いを形にするという制作に集中することができたのだ。


「私、写真の仕事してるからカメラマンやるよ」
「俺もカメラできるよー」
「テレビのディレクターやってるから取材は得意!」 
「ライターやってる先輩がいるから声かけてみるね」
「仕事で子供服のデザインやってるの!デニムエプロンのデザインやらせて欲しい!」
「ホームページ作ろうよ、僕できるからやるし」
「実はキャッチコピーつくる仕事してるんですよ。こんなのはどうでしょう?」
「テレビ局やら新聞に宣伝しといたから」
「みんなで集まる時、うちのお店使って!」

賛同者からは、ここには書ききれないほどの「自分のできること」が集まった。

地元にいるからできること、離れているからできることを知った。
外から関わる人を「風」に、その土地に根づく人を「土」に例える、元信州大学名誉教授、玉井袈裟男氏の「風の人、土の人」という考え方に似ているかもしれない。
「風の人」も「土の人」も両方必要なのだ。


私からしてみると、知らないことばかりだった。
賛同者たちで地元の産品のアイデアを持ち寄ったが、カタログに出品してくれそうな会社や人のつながりがない。地元のいいものを集めるといっても、地元嫌いだった私は地元のことを全く知らなかったのだ。

唯一みんなの役に立てたのは、地元の産品としては欠かせないが、出品者がなかなか見つけられなかった柑橘類の農家さんを紹介できたことだった。

「高根のみかんっていったらここらじゃ有名よ。息子がJA辞めて継いだばかりじゃけぇ、話くらいは聞いてくれると思うよ」
JAに勤めていた叔父に相談したところ、偶然にもみかんの担当だった叔父は、瀬戸田町の高根島で柑橘農家をやっている、元部下の長畠さんを紹介してくれた。

普段はこういった依頼は断っているという長畠さんだったが、元上司からの圧力(笑)と我々の熱意に負けて出品してくれることになった。
今となっては笑い話だが、三原駅前の産直市に押し掛けて初めてお会いした時のドキドキと、取材で高根島に伺った時のみかんと海が眩しすぎた景色は今でも忘れられない。


取材ツアーと称し、都合の合う限り賛同者みんなで出品者さんたちを取材して回った。
長畠さんの柑橘類の他にも、デニムのエプロン、炭焼きの焼き豚、尾道ラーメン、鞆の浦の練り物、入江豊三郎の保命酒、インコアイス、ハートローズ、尾道プリン、松永の下駄。
みんなで取材してみんなでカタログに載せる文章を書いた。
全部で10品だけのカタログギフトだが、出品者さんたちの想いも含めた地元のいいところを知ることができた。

何もないと思っていた地元には、何もないわけじゃなかったのだ。
ただ、知らなかった。知ろうとしていなかったのだ。


地元を好きになるということ。
地元とは、親のようなものである。
若い頃の自分にとっては、ダサいし刺激もなくてつまらないし、ただうざったいものだったかもしれない。
それでも、離れたからこそ分かるありがたみがある。良さがある。
特に鈍感な私は、離れないと気づけなかったかもしれない。
初めて興味を持って地元を見てみたら、たくさんのこだわりやものづくりへのプライド、次の代に伝えたい想いや伝統の技があった。
知らなかったから、当たり前すぎて知ろうとしなかったから、魅力に気づけなかっただけなんだ。

そんなことを教えてくれた「備後のギフト」
5年以上前の話だが、備後のギフトをきっかけにできたつながりは今でも健在だ。
今では「何もないとは言わせない!」と心から思う。

そうだ、そろそろ親孝行もしなきゃな。


・講評

・読みやすい文章ではあったが、全体的な盛り上がりに欠ける印象だったのがもったいなかった
・起きたことを丁寧に書こうとするあまり、冗長な感じが強かった
・必要な情報とそうでない情報の取捨選択を行うと良い
・その上で、文章中のメリハリを意識するとより読みやすくなる


・反省点

全部必要な情報なんだよ〜〜!!と言いたいところをグッと堪えると、確かに色々詰め込み過ぎたかもしれないなぁ。
構成を考えてた時、あれも書きたいこれも書きたいと、エピソードも山のように浮かんできたので、これでも言いたいことの10分の1くらいに削ったんです……
備後のギフトのプロジェクトとか私のことを知ってる人が読む用になっちゃってるのかな。
知らない人が読むと、魅力が伝わらなかったかな。

う〜ん、まだもやもやするけど、知らない人でも”面白く”読めるように、めげずに頑張ります!


・買いたくなってきた人へ

備後のギフト、買いたくなった人がいるかな〜
ここから購入できるので良かったら。


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