見出し画像

いとまん旅(私にとっての糸満市)

糸満市を旅する前から、実はすでに2つことからこの町に出会っていた。

その事実と旅について、考えてみた。


高校時代の文通相手が住んでいた場所

17年前の当時は、ガラケー時代の全盛期のようなもので、パカパカケータイかストレート(どちらも死語か)どちらがいいか好みがあったり、絵文字が出始めたり、プリクラを携帯の裏に貼ったり、「メル友」なんて言葉も飛び交う、まさにデジタル時代への過渡期だったように記憶している。高校から携帯を持ち始めた私の学校は授業中は携帯禁止だったため、マナーモードになっているか冷や冷やしていた、そんな時代。


一体、どんな流れで文通相手が出来たのかは記憶定かではない。幼い頃は、小学校のイベントで、風船に手紙をつけてみんなで飛ばしたら、東北のどこかの学校からビデオレターが届いたという友達がいて大騒ぎになったことがあった。それから手紙を瓶に入れて海に流したら、本当に海外の誰かに届いたりするのかなという空想をしたこともあった。当時高校生の私は、きっとそんな記憶を取り出して、文通するということに憧れ、気ままに検索したのだろう。


昨年、沖縄に行きたいと思っていたときからすでに、その「沖縄の男の子と文通していた文通していた」という思い出がジワジワと記憶の底から湧き始めていた。今はその手紙はどこにあるのか分からないが、水色の便せんで書かれた男の子の文字、はなんとなく覚えている。それからdocomoのピンクの笑顔の絵文字が多用されたメールも覚えている。顔も分からない相手が住む、未知の町や学校を想像した。

南部を旅することにし、ビーチ巡りをこの糸満市にしたのは、残念ながらその男の子の住む町を見たいと思って決めたわけではないが、町を歩きながら少しずつ少しずつ、その手紙の内容を思い出すことがあった。高校はどんなところ、大学はどうするの、どんな町なの、そんな当たり障りのない高校生同士の内容に対して、港町、水産系の高校しかないから那覇にいる、海がすごくきれい、、、と返してくれた。今まさにその景色の前にいるのだ。当時の私も、まさか15年以上もたってから来ることが出来るとは思いもしなかっただろう。万人向けの旅サイトや見知らぬ人のブログで読む「海がきれい」と、私に教えてくれた「海がきれい」ということ。それを実際に見れたときの気持ちの深さは比にならなかった。名前も思い出せない彼はここで海とともに生活しながら育ったんだ。同じ年齢だったので、もしかしたら今もこの町のどこかにいるのかもしれない。


そんな思いを巡らすことが出来た、あの高校時代の小さな思い出に、より心が温められた。この土地の人にすでに出会っていたのだという、自分だけの事実にその時初めて気がついた。そしてこの町のこともすでに聞いていたんだな、この町に来る17年前に。

石川直樹さんの運転免許取得の沖縄

しおざきタウンと糸満漁民食堂付近の道を歩いているときに、のんびりと走る自動車教習の車を2回ほど見かけた。そのとき、あれ、そういえば、と思い出しだことがあった。


「全ての装置を知恵に置き換えること 石川直樹(著)(2009)」という本は、私の愛読書のひとつである。この中の「海」という章の中に、「合宿 糸満」(糸満は小さな文字)という項がある。この文章の印象が強かったのは、文通相手の糸満市であることから親近感を得たことも一つだが、散りばめられた単語「カニ注意」「地元の人向けの食堂」「自分の免許は、沖縄と海外限定」そんな言葉や日々の生活の描写が、旅人としての自分の心をくすぐってくれたからだと思う。白黒の食堂のメニューの写真も印象深く、まじまじとメニューを読んだ。運転免許取得の合宿って、別に地元や隣県でなくてもいいのか、と虚を突かれる思いがしたのもひとつかもしれない。

なので私にとって糸満市を歩く時間は、写真家石川さんが、旅の移動手段となる基本の基本となる手段としての「運転免許」を取得するために滞在された町、として歩く経験になり、以前に文字で触れていたその「糸満市」を自分の眼で歩いていたのだという、新たな意味をもつことが出来た。

夢見た旅なのか、アクシデンタルな旅なのか

大好きな作家である、沢木耕太郎さんの「旅する力」の序章に、「夢見た旅」と「余儀なき旅」(アクシデンタル・ツーリスト)についての記述がある。それを読んだ時にはなるほどと思ったが、この糸満市の旅は「余儀なき旅」では“ない”ことは間違いない。晴れているがガスがかっていた景色に、雨が降ったことで景色がより一層色鮮やかに見えて、何倍も楽しめた、そんな旅だったように思う。それは「夢見た旅」のどんな「旅」と言えるのだろう。

ひとつは自分が足跡を残す旅であり、もうひとつは誰かが踏み残した足跡を巡る旅である。

これは、沖縄の旅中に読んでいた「銀河を渡る 沢木耕太郎(著)(2018)」のエッセイの一つに書かれていた、「夢見た旅」も大きく二つに分かれるのでは、という章からの抜粋である。どちらとも言い難い気がするが、あの時文通をし、石川直樹さんの本を読んでいたからこその年月があったからこそ辿れた、という意味で、偶然性のある=アクシデンタルな旅だったと言えるような気がする。


そのエッセイでは、そしてこう締められている。

大切なことは、一歩を踏み出すこと、そして点線のルートを実線にすることだ。…(略)たぶん、どのような旅でも、その人が旅をいきいきと生きていれば、そこに引かれる線は濃く、太いものになり、忘れがたいものになるだろう。
まず、一歩を。


現在こうやって自分の旅について綴ることも、まさに点と点をつなげて実線を「探す」旅のようなものかもしれない。


静水庭🌿

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?