見出し画像

傷を負った戦士

また、あの記憶が蘇る。

なんの前触れもなく突然やってきては私を苦しめ、気力を奪う。

深く傷つけ、深く傷つけられた記憶。

生々しさは薄れても、まだ痛みは消えない。

蓋をしてもフタをしても、忘れるな、忘れてはいけない、と溢れてくる。


「逃げていいんだよ」

誰かの言っていた言葉。

逃げた記憶と、どんな結果であれ戦い抜いた記憶、どちらが苦しみから救ってくれるのだろう。

私は、器用に生きられない。いつでも正面からぶつかってしまう。
それが、自分を傷つける事になると分かっていても。

あの時、見ないフリして逃げていたら、この苦しみはなかったんだろうか。

それとも、戦い抜いたという記憶が、前を向く勇気を与えてくれているのだろうか。


自分の尊厳を守るために戦わなくてはいけなかった。

落ち着いてしばらくしてから、一定期間の記憶をなくしていることに気がついた。
これが解離性健忘というものか。

冷静に受け止める私がいた。
そして、心が拒否するなら忘れようと思った。
手の爪には白い縦線がみっしり出来、足の爪も全てが二重爪になっていた。

極度のストレスは、体のあちこちに見たこともない異変をもたらす。
生きるため、私の体を守るために起こる体の神秘。
自分の体が愛おしくなった。


戦い、そして勝利した。
でも、勝利と同時に経験したことのない喪失感、敗北感、絶望感を私にもたらした。
勝った喜びはどこにもなかった。
ただ、生きているだけの日々だった。

あの時、逃げていたら。
この苦しみは、なかったんだろうか。

戦わずに逃げた。
自分に嘘をついて逃げた。
そのことは、違う苦しみを私に与えないか。

今、振り返ってみても、やはり私には逃げるという選択肢はない。


生きていれば、不本意であろうが、自分を守るために戦わなくてはいけない時がある。
覚悟を決め、戦いに挑まないといけない時がある。

ただ、逃げろというのは無責任だ。

逃げて救われるなら、逃げた方が良い。
ムダに傷つく必要はない。
でも、ずっと逃げ続けることは出来ない。
どこかで向き合わないといけない時が訪れる。

一度逃げたら、逃げ続ける人生になる。

もしかしたら私は、かつて言われたこの言葉に囚われているのかもしれない。

でも、そこに真実があるようにどうしても思ってしまう。

逃げたという記憶に、きっと負い目を感じる。

出来れば戦いたくない。
争い事は嫌いだ。
周りの善意からの「やめろ」という声に、心が折れそうになる。
味方はなく、あらゆる事を一人で乗り越える覚悟が必要になる。
それでも、戦い抜いたという記憶が、この先救ってくれるかもしれない。


逃げること、戦うこと。

どちらが正しいということは、ないのだろう。
どちらも苦しみの種類が違うだけで、苦しみを伴う。
誰かに強制されるものではない。

自分が納得する道を選ぶ。

ホッカむりして、すたこらさっさと逃げる。
少し戦ってから、一目散に逃げる。
周りを巻き込み、代わりに戦ってもらっている間に自分は逃げる。
戦い、深手を負う手前で逃げる。
どんなに傷ついても、最後まで戦う。

戦い方は、人の数だけある。

どれを選び、自分の気持ちとどう折り合いをつけるか。

その時その時の、自分の気持ちに従おう。
自分を欺かない。

自分を信じることが、一番の力になる。
自分を信頼しよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?