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カップラーメンの不具合
いつものように電気ケトルに水を入れ、スイッチを入れる。
しばらくすれば、「頑張ってお湯を沸かしていますので、今しばらくお待ちください」とでも主張するかのように、しゅんしゅんしゅんしゅんとにぎやかな音を立て始める。
スープは塩分の塊。
飲んじゃダメ。
血圧の敵です。
どうしてカップラーメンは、塩分を抑えられないのだろう。ラーメン自体が塩分が高いものなのか、それともカップラーメンの問題なのか、ラーメンにそこまで興味がないので調べたこともないが、塩分を抑えた商品を開発すればいいのに、といつも思う。爆発的にヒットしそうなのに、もったいない。カップラーメンは味が濃いから、薄味にしてくれるだけでもありがたい。
スープは、最初に一口味わうだけ。残りは、食べ進める中で麺とからまったスープを楽しむにとどめる。もったいないと思うが、血圧のことを考えればいたしかたない。
残りは排水溝行き。だから、残ったスープを流した後に、排水溝に汚れがつかないよう、沸かした残りのお湯もジャーっと勢いよく流す。そのために、いつもめいっぱいお湯を沸かす。気休めかもしれない。掃除の手間は変わらないのかもしれない。それでも、食べ終わった後、まだ熱さの残るお湯を排水溝に流すことで、カップラーメンを食べた罪悪感も一緒に流しているのかもしれない。
お湯が沸くまでの間に、透明の包装フィルムをぺりりとはぐ。底にずぼっと指を入れる瞬間は、私にささやかな背徳感をもたらす。丁寧とも美しさともかけはなれたその所作に、束の間、道徳観から解放された気持ちを味わう。
包装フィルムをはぐのは、薄皮をむくのに似ている。
らせん状のようにぐるりとむけたら大成功。横一直線にむけて切れてしまったときは、大失敗。少し落ち込む。私の中の密かな戦い。
今日は大成功。
私だけの密かな戦いを楽しんでいたら、カチッとケトルが音をたて、「お待たせしました。お湯が沸きました」と知らせてくる。
そこで私は、いつものようにチョロチョロとお湯を注ぐ。
「ん?」
ごぼごぼごぼごぼ。
お湯を注がれた麺が激しく音を立てる。
まるでマグマのようだ。
なんだ、なんだ? と思いながらもお湯を注ぎ続ける。
「え?」
もう、いっぱい?
そんなにお湯いれたっけ?
うーん、そんなにいれた感覚はないけれども、音に気を取られていたからかな。感覚は納得していないが、お湯は線まで達しており、いっぱいですよ、これ以上ムリですよ、と伝えてくる。
しばらく眺めたが、お湯は一向に減らない。まぁ、いっかとカップを手にしたら、あまりに軽い。そして、カップが熱くない。これはお湯が足りていないと確信したが、でも、これ以上入れられない。
しばし様子を見るしかない。
どこまで待てばいいのか分からなかったが、他のことをしている内に3分近くたってしまった。どんなもんかいなとフタをめくったら、お湯の姿はどこにもなく、かちかちの麺だけが「こんにちは」。まだらにスープが溶けた姿で頑張ったことを訴えてくる。
カップラーメンはフォークで食べる癖がある。だから、試しにフォークで麺をつついてみる。うん、見た目通り、がっちがちだね。底の方まで差し込んでみると、お、下は少し柔らかい。
ということで上下をひっくり返し、再びお湯を注ぐ。
さっきよりは落ち着いたが、変わらずごぼごぼごぼごぼ。なにが起きているのか分からないが、とにかく麺がお湯を頑なに拒否していることだけは伝わってくる。そこで、もうフタはせず、お湯を入れて眺めることにした。
少しするとお湯が減る、からお湯を足す。それを繰り返すうちに麺も諦めたのか何も言わなくなり、素直にお湯に浸かるようになった。
結局何分たったのか分からない上に、お湯もどれだけ注いだのか分からないが、いい感じに麺がなってくれたところで、「はて?」「食べても大丈夫なのか?」という疑問が湧いてくる。
恐る恐る麺に手を伸ばし、口に運ぶ。
ちゅるちゅるちゅるちゅる。
なんだ、いつもと変わらないじゃん。
…多分。
ごめんよ、そこまで食べないから、私には味の違いが分からない。血圧の敵でなかったら、もっと仲良くなれるんだけどね。
カップラーメンにも不良品はあるのだろうか。
それなりに生きてきて、それなりの数カップラーメンを食べてきたが、これまで一度も不良品にあたったことがないということは、考えてみたらすごいことだ。
人生初の不良品なのかしら、って思ったらわくわくしてきた。当たりをひいた気分。
さまざまなものが値上がりしている中、このような不良品も今後増えてくるのかもしれない。
レジ袋を有料にしてせこい商売をしている小売店とは違い、メーカーはぎりぎりしか値段をあげられずに、どれほどの苦労を重ねていることか。誰かが努力の上に作りあげたものをただ売っているだけの小売店がふんぞり返り、メーカーや生産者が泣きをみている状況は心が痛い。
このカップラーメンもある人の手に渡れば、ネットにさらされ、おもしろおかしく糾弾されるのかもしれない。だから、誰もかれも縮こまって冒険をしなくなってしまった。冒険には失敗がつきものだが、失敗が許されない世界になった今、わくわくするような世界はやってこない。
中途採用の条件を見ても思うが、人は誰だって初めてがある。未経験から経験を積まなければ一人前にはなれないのに、誰もが生まれたときから完璧な人間だと思っているようだ。人は育てなければ成長しないということを忘れてしまっている。自分も誰かのおかげで大きくなり、その恩を世の中に返す番になったというのに知らんぷりだ。
ひよこはいらない。誰かが立派に育て上げた、使い勝手のいいにわとりだけが欲しい。
人間にも機械にも不具合はある。
それを責めるのではなく、そうなんだと受け止める心の広さが欲しい。そうすれば、みんな生きやすくなる。
ささいなことに声をあげればあげるほど、世界は窮屈になっていく。
もう、そんな世界はイヤだよ。
日本人同士でいがみあうのはやめて、手を取り合いたい。
時間がないときや、作る気力のないとき、本当にお世話になっています。
いつもありがとうございます。
そして、ごちそうさまでした。
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