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天狗の足音

むかーしむかし、山は生きていた。

ご神体として圧倒的な存在感を誇る山は、人々にとって神聖な場所だった。山を汚すことは罰当たりな行為。自然と共生していた。

まだコンクリートなどがなかった時代とはいえ、仮にコンクリートが存在していたとしてもコンクリートで山を埋めるなど、神を冒涜する行いだった。人々は畏怖の念を持って山と接していた。

真っ赤な顔に長い鼻、中にはくちばしのある者もいる。そして、背中には大きな翼。位の高い証である羽団扇は、持っているだけで魔物を寄せ付けない。羽団扇を振り、あちらの山、こちらの山と自在に空を翔ける。天候すら操ることができる。葉っぱを一振りして人間を困らせるいたずら好きの面も持つが、悪い人間には、葉っぱでお仕置きをする。

天狗の世界が広がっていた。


ミシュランで星を取ってから、なにかと話題の高尾山に行った。まだ行動の制限がなく、もちろんマスクとの縁もなく自由だった時代。海外にも行きたい時に行くことができた。

その日は、一日時間ができたので、朝早くから行動を開始する。新宿で京王線に乗り換え。ルートは、しっかりと頭に叩き込んだ。だが、いつでも確認できるよう、スマホには表示しておく。蚤の心臓が、世間と対峙するための対処法。嫌いな新宿を通るため、覚悟を決めての出発だ。


最寄駅を出発した電車は、予定通りに進んだ。
途中までは。

予期せぬ事態だった。
電車が遅れるとは考えていなかった。ラッシュを避けるため早目に出ていたとはいえ、朝いちで出ることは出来なかった。このままいくと、ラッシュの新宿を乗り換えなければいけない。


この頃の私は、心を病んでいた。
病院に行ったことはないので自己判断になるが、死に取りつかれていた。死んだら楽になるのかもしれない、そんなことばかりを考えていた。毎日ぼんやりし、何も考えることができなかった。

掃除をしていてもぼんやり座り込んでしまい、気がついたら2時間たっていたなどは、ざらだった。記憶力が落ち、同じものを何個も買ってしまう。家に帰り、すでに買い置きがあったことに気づき、自分を責める。何を買えばいいのかが分からず、スーパーをうろうろウロウロ。周りからみれば怪しい人。そんな毎日だった。

用事があり久しぶりに電車に乗ったときに、自分はまずい状態にあると自覚した。ホームで電車を待っているときは平気だった。だが、ホームに入ってくる電車を見た瞬間「怖い」と思い、その場から逃げ出したくなった。そう思った自分に愕然とし、自分を励まして電車に乗り込んだが人が怖くて仕方なかった。

それから私は、意識して出かけるようにした。
最初は近所から。
少しずつ、少しずつ前へ進んだ。

そんな中での新宿乗り換えは、私にとってとてつもない冒険だった。時間に追われた殺気立った人々で溢れる駅構内。その光景を想像するだけで、気持ちがひるんだ。
だが、負けたくない。
気持ちが拮抗していた。


「もったいない」

この思いが、諦めて家に帰ることより進む気持ちを後押しした。せっかく早起きしたのにもったいない。

今にして思えば、なにかに導かれていたのかもしれない。京王線に乗ったことがなかった。新宿で初めての電車に乗り換える。駅で迷うことを想定していたが、迷うこともなく呆気ないほど簡単に進み、気が付いたら高尾山に到着していた。


久しぶりに訪れた高尾山。
四半世紀ほど前に一度訪れたきり。あの時は突然高尾山に行くことになり、私はヒールだった、それしか記憶にない。

到着が遅れたこともあり、ハイカーの人々でにぎわっている。山歩き用の色とりどりの装いに身を包んだ人々が、そこかしこでおしゃべりに花を咲かせている。一方、私はと言えば、グレーの普段着。パステルカラーの華やかな世界に、モノクロの異物が混ざってしまったような居心地の悪さ。

リフトが、あんなに怖い乗り物だとは知らなかった。スキーをしていた若い頃の気持ちでうきうきしながら乗ったが、乗った瞬間後悔した。椅子が前傾しているので、滑り落ちる恐怖が常につきまとう。手すりを固く握りしめる手には、手汗がびっしょり。拭いても拭いても汗は止まらない。高所恐怖症の私には、苦行の時間だった。


途中にあった、あれは神社だっただろうか。詳しいことは覚えていないが、ほとんどの人が素通りしていた場所。

階段があった。
真ん中を鎖で仕切られ、上りと下りで分けられているようだ。一人だとゆったりだが、二人並んではムリ。そんな幅だった。

その階段を降りていた時の事だ。

後ろから、タッタッタッタッと軽快で小気味良い足音が聞こえてきた。咄嗟に黒いスポーツウェアに身を包んだ、年の頃は30代後半の壮健な男性が頭に浮かんだ。毎日の運動コース。

その足音が、どんどん近づいてくる。

まだ、階段の中ほど。
このままでは、追いつかれてしまう。ペースを乱してはいけない、先に行ってもらおうと思い振り返った。

瞬間、足音がパタリと止んだ。
そして、そこには誰もいなかった。


ああ、なんてばかなことをしてしまったんだ。天狗だったんだ。

慌てて周りをみるが影も形もなく、もう気配さえ感じない。

恐怖は全く感じなかった。ただ残念な気持ちがあっただけだった。


天狗さん、お目もじしとうございました。


今日、この出来事を思い出しながら家を出た。住宅街で、車はほとんど通らない。十字路に差し掛かった時、一台のトラックがゆっくりと私の前を通り過ぎる。

そのトラックには、天狗の顔と天狗パンの文字があった。

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