見出し画像

人のお世話をすること

私の生活はほぼ人のお世話係です。
主には家族、仕事的にも人のお世話的な感じです。
人のお世話ばかりしてると疲れてくるんです。この気持ちとてもよくわかるんです。
お世話をさせていただく人が多くなれば多くなるほど、時間もかかりますから、大変になってくるし、1人1人十分にお世話できなくなってくるので、不完全燃焼感が重なってきて、ストレスにもなってくる感じがあるんですね。
そんな時に自分自身にかける言葉は、
「できることをできるだけ」
です。
十分なことはできません。
十分である必要もないかもしれません。
十分にやってあげたい気持ちがあります。
十分にやりたい、自分の自己満足感を得たい気持ちもあるでしょうね。
こんなにやってあげているのに、という心が生じることもありますね。


先日、あるご講師からお聞きした話です。
もう30年くらい前の話と思います。
そのご講師の叔父さんが医師をしていて、あるお嫁さんが、お姑さん(患者)のお見舞いに毎日来られていたそうです。数ヶ月間それは続いて、ついにお姑さんは亡くなりました。昔は長期間の入院ができていたんですね。
それを毎日見ていた医師である叔父さんが、そのお姑さんが亡くなった時にご挨拶に来られたお嫁さんに、声をかけられたそうです。
「毎日よく来られてましたね。なかなかできることではないですよ、よく頑張られましたね。」と。(以下、「」の部分は正確な言葉ではありません。そのような感じの言葉として読まれてくださいませ)
お嫁さんは泣き出したそうです。
後日、お嫁さんが病院へ来られて、叔父さんに声をかけられて、話を聞いてくれませんか、と話されたそうです。
「私は何をするにも要領が悪く、ヘマばかりするんです。そんな私を母はいつもかばってくれていました。」と。
「先生、私が母のお見舞いに喜んできていた期間てどのくらいだったと思いますか、、おそらく1ヶ月もなかったと思います」と。
その後の言葉も正確には覚えていませんが、お嫁さんは、いつまでこの日々が続くのだろうか、早くこの生活が終わればいいと思いながら毎日お見舞いに来ていたそうです。
ご講師はその時にはまだ大学生だったそうです。
お見舞いに毎日来るということ、
この大変さを当時大学生のご講師はわからなかったと言われてました。医師の叔父さんは、このように説明されたそうです。
お見舞いに来るとは、暇だから来るんじゃないんだ、と。日々の用事がある中で、その時間を作って来るのだと。それがどれだけ大変なことか、叔父さんはご存知だったんですね。
これが介護や看護という世界だよ、と。
ましてや家で介護をされているとなれば、その大変さは、想像を超えるものだと思います。

ご講師は、今はお坊さんですが、当時は仏教系の大学の学生だったそうです。
叔父さんは、ご講師によくご飯を食べさせてくれたそうです。
叔父さんが、仏教を勉強してる学生のご講師に、仏教は勉強しててどうだ、と話をきりだされて話された話だったようです。

私はこのように聞かせていただきました。
最初は慈しみの心でお世話をしていても、気づけば自分中心の渇愛の心になっている。
何度も慈しみの心に戻ろうと努力をするが、気づけば渇愛。
いつでも自分中心の心を見るしかない。
自己中心的な心を見続けることの大変さ、です。

私は、これは介護や看護に限らず、子育てや夫婦関係だって、仕事も、そうだなと思うんです。
努力して何度も慈しみでやろうとするんですよ。
でも現実はそうできない私、心を観るしかないんです。
どうしようもない心を見るんです。
どうしようもない心って、自己中心的な心なんです。

老病死は、そんな自分に立ちはだかりますね。
介護や看護、人のお世話をしていると自分の自己中心的な心と対峙しないといけなくなります。
それは自己中心的な心を学ぶ絶好の機会だなと私は思います。でも誰もがそんな風に捉えることができるだろうかと思うんです。
社会を見れば歴然です。
そんなに人は逞しく生きていけるものでもない。そう思います。

子育てもそうなんですね。子どもはわがままの塊です笑
親は子どものわがままを許すことしかできないんです。
でも子どもはいずれ自立します。そのように育てば万々歳です。
でも介護はどうでしょうか。
自立するどころか、子どもとは逆に人のお世話なしでは生活できなくなるんですね。
このようなことを簡単には受け入れることはできないのが私達なんだなと感じます。

ある人から、介護には覚悟が要ります。とお聞きしました。
介護する側の覚悟です。
この覚悟があるだけでも日々のストレスはだいぶ違ってくるなと感じています。
それでも大変ですが🫢😂

私も父の介護の真っ最中です。
父の病状がわかり、あと父に残された期間は限られたものであると判明した時に、ほっとした心を観ました。
ね、煩悩ってこんな心です。
こんなにも自分中心に生きているんです。
それを知ることができる、思い知らされるんです。

私も子どもの頃から多くの人々にお世話をかけ、迷惑をかけて、育てられてきました。
今は私の番だなと思っています。
自分のケアもしつつ、できることをできるだけ、させていただこうかなと思います。
そして、また介護により、子育てにより、自分自身の心が育てられていると、知らされるんです😊🙏

生きとし生けるものが幸せでありますように

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?