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昔話(お金持ちと貧乏人)

内容としては、私自身の体験に基づいた仏教の慢という比べる心についてのお話です。人によっては、この慢という心。心を圧迫してしまうこともあるかもしれませんのでご注意ください。
ご興味のある方は、読んでみていただけたらと思います。

昔々、私がまだ二十代前半の頃の話です。あまりお金がありませんでした。今もそんなにお金持ちではありません。個人の資産はほとんどありません。でも儲けようとは思ってないので、お金儲けの勧誘はやめてくださいね🙏😂

友人の知り合いから100万円を借りました。
1年間、専門学校へ通って、資格を取るための生活費と学費でした。1年間働いて貯めた自分の貯金100万円と合わせて200万円で、一年を過ごしました。

贅沢はできませんでしたけど、自分が勉強したいことをやっていましたし、学校は楽しかったので、そんなに苦ではありませんでした。最後はキリキリできつかったですけど😂

卒業後、就職して初任給は手取りで12〜3万円くらいだったかも?もうあまり覚えていませんが、とても嬉しかったことを記憶しています。
毎年1〜2回ボーナスが出る時に5万〜10万円ずつくらい、返していました。

友人の知り合いから借りたので、利息はなかったんですね。今思えば、よく貸していただけたよなあと思います。私は全くその方とは面識がなかったんですよ。改めて振り返ってみるとすごい話です。有難いことです🙏

最初はいくら返したか、覚えていたのですが、途中からよくわからなくなったんです(笑)こら。
この辺が私っぽい。
なので、多いかもしれないけど、このお金のおかげで資格も取れて今の私の生活が成り立っているのだから、少々多めに返してもいっか、と、継続してお金を返していたんです。

するとしばらくして友人から連絡があったんです。Aさん(お金を貸してくださった方)から久しぶりに連絡があって、お金が多く入っているので、会って返したいと言っている、とのことでした。
最初は断ったのかな?もう大昔のことですからその辺はあまり覚えていないのですが、会って食事をすることになりました。

このお金のおかげで大変助かりましたから、会ってお礼を言って、そのまま受け取ってもらおうと思っていました。

後日、Aさんとお会いして、お礼を言ってお金は受け取ってほしいと言いました。

Aさんと色々話をする中で、私が覚えているのは次のようなことでした。
正確な言葉は覚えていませんから、私がこのように受けとったということです。

「お金を貸して、まともに返ってきたのは初めてなので驚いている。」
(私はお金を返さない人がそんなにいることに驚きました)
「Bさん(私の友人)にはとてもお世話になっていてあの頃は本当に助けてもらっていた。」
「多く入っていたお金を返したい。」

そして私が受け取ってほしいということを伝えた時、言われた言葉を今でも覚えているのですが、なぜ覚えているのかというと、心が動いたからなのです。

「貧乏人からお金をもらうわけにはいかない」

これも、正確な言葉ではないと思います。このようにはっきりとした言葉ではなかったかもしれません。私がこのように受け取ったということです。その人はいわゆるお金持ちでした。

その時の私の心は、

惨め(みじめ)

これがぴったりだった気がします。

私自身はそんなにお金に執着があるわけでもないと思っていましたし、自分が貧乏であることも、それなりに生活すればいいだけの話で贅沢もしたいわけではなかったので、そんなに気にしたことはなかったのですが、その言葉を言われた時に、惨めな気持ちになったんです。

なんでしょうね。たぶん慢でしょうね。

慢、というのは比べる心で、だいたいが人と自分を比べている心ですね。お金持ちのAさんと貧乏な私。この構図でしょうと思います。

面白いですよね。

その当時、言われた瞬間は、全く面白くなかったんですよ。涙が出そうになるくらい、惨めになったからですね😂ちろっと出てたかもな。

いや待てよと。
私は貧乏なんだから、なんで貧乏人と言われて惨めになる必要があるんだと。私は確かに貧乏人ですよと。
でも、はい、では受け取りましょう。

とはならなかったんですよね〜😂

貧乏人の意地?😂

いや、いいですよと。
私の気持ちなんで、受け取ってくださいと。

押し問答を何回か繰り返した気がします。向こうが、じゃあ現金だとあれだから、図書カード10万円分私が買って、それをあなたにプレゼントします🎁
ここも正確な言葉はちゃんとは覚えていないですけど、こんなやりとりで、一緒に本屋へ行って、図書カード10万円分をしっかりいただきました🙏
確か、10万円分だったと思います。金額も定かでなくなっているほどに昔話です。
現金は受け取らないのに図書カードは受け取るという不思議なやりとり😂

まあ、記憶は曖昧ですから、色々と捏造してそうですけどね。
完全な事実としては、お金を借りて返して、返しすぎて、会って、図書券で返された。
そこで、慢という心の動きがあった。これは確かでしょうかね。

という昔話でした。

その図書カード10万円分は、ほとんど仏教書の購入(スマナサーラ長老の本が多かったですけど)に使わせていただいたんですね。私のお気に入りの「仏法」も、この図書カードで購入していたと思われます🤭😂
10万円分てね、なかなかですよ。数年は使っていた気がします。でも仏教書って、本当に高いんですよね〜😭

長めの考察

Aさんには御恩しかありませんね。感謝しかありません🙏🙇‍♀️
しかも心の気づきまでいただきました。
その当時は慢という心も知りませんでしたけど。貧乏である自分を惨めに思う。
普通に生活していたら気づきませんでしたね。
比べなければ、惨めになることもありません。
でも、そこに気づくこともなかったと思います。
傷つくということは気づくことだと私は思っています。
自分が本当はどう思っているのかが、理解される時です。その時は理解されないかもしれないですけど、気づいておくと、後から理解される時がきたりするんですよね〜。

時々、知らない方が幸せだよね。
と、聞くことがあります。
私は、これにはあまり賛成しない方なんです。
なぜなら、それは無知、無明、そのものだなと思うからです。
認知症の方は、ある意味幸せだと思う。
とも聞いたりします。
私はこれにもあまり賛成しかねるんです。
認知症になっていく過程で、一番苦しんでいるのはたぶんご本人です。
全てを忘れてしまうことの恐怖は計り知れないと思うのです。

私は、その心に苦しむのではなく、気づくこと、心を理解すること、学ぶことをお勧めします。
危険を知らなければ、生きていけません。
死んでもいい、と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、縁起とは、死んでも終わらないことなので、またどこかで生きることになります。
それをただ繰り返していることが、私は幸せとは思えないのです。
もし本当に終わらせられることができるとすれば、そのことを本当に理解した時。
そのようにしか思えなくなりました。

きっと貧乏よりお金持ちがいいでしょ。
まあ、世間的には。多くの人がそう思っていると思います。
今私は、社会人になってから、一番月給が低いです。でも心は多くのお金をいただいていた時より健全になりましたし惨めな感じがあまりしないんです。そして苦しみも減っています。(強がりではないですよ🤣)
全くないと言ってしまうと、もしかしたら嘘になってしまうかもしれないので言えません。私は私の(と思っている)心全てを把握できているわけではないと思うからです。
私は心の自由や安穏を優先させています。そこに価値を置いているんだと思います。

この貧乏人がっ!(ドラマか)と、例えば誰かに言われたとしても、今ならはい、と笑顔で言えると思います。想像でしかないですけどね。
Aさんのおかげでもありますね🙏😊
そして、何より私はそうでありたいと思っているんですね。
誰かに何かプライドを傷つけられるようなことを言われても、平気で余裕な状態。これ目指してるんです。
これは表面的ではなくて、強がるんではなくて、フリでもなくて、本当に全く心から気にならないって状態。
まだまだ修行中です😊🙏

所々そうであったり、そうでない私です。
誰かに何かプライドを傷つけられるようなことを言われたら、動揺してしまうことはあります。惨めになったり怒りが生まれたりします。
そういう私なんですね。
正確に言えば、私、と思っているんですね。

日常生活は色々起こるからですね、心が反応することに気づくんですね。その都度その都度、ただ気づいていくんです。
それってとてつもない機会と言いますか。
学ぶ機会なんです。
煩悩を理解したい、そこから学びたいと思っているんです。
なぜ煩悩が生じるのか?ここに一番興味があるんです。
面白いんです。
私はけっこうこれらを全部理解したいと思っているみたいなんです。恐ろしいでしょ。自分でもそう思います。死ぬまでに終わらない気はしてます🙏🤣
煩悩を理解したいという意欲が貪欲過ぎてひいちゃいます。
でもだから観察してるんです。
観察するしかないからです。
人生は短いんです。

学ぶなら今ここですよね。

以上、昔話とその長い考察(になってるのかな)でした。

生きとし生けるものが幸せでありますように

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