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どのように生きるか?「三相」(無常・苦・無我)②

ポー・オー・パユットー氏の「仏法」を学ぶシリーズです。
なんか続いてます。。ここまできたら、続けようと思います😆🙏
私自身の学びが大きいです。
読んでくださっている方には感謝です😊🙇‍♀️

私は上記のホームさんの仏教講座で、学ばせていただいただいております。私の学びの共有として書いておりますので、私のフィルターがあります。そこはご了承の上、ご覧いただければと思います😊🙏

今日はここから。

※三相を学ぶことの倫理面から見た価値

♢ 無常性の原理

無常性とは、一切のものは、具体的なものも抽象的なものも含めて、さらに最も細かな部分まで確固不変ではなく、生じ、存在し、滅することを示している。
 様々な細かな部分が不変ではないことが、人間が観察できる多くのところに結果として現れると、それは変化と呼ばれ、これらの様々なものに自我があって、以前はある種の状態であったその自我が、今や別の形に変化したかのように理解させるか、感じさせる。
 このような理解、感じは一種の誤解であり、執着をもたらす原因となり、自分を真実とは異なるある種の考え、思いに結び付けられることになる。実相をしっかりと覚知しないまま生活を続ければ、自分自身をでっち上げで騙している像によって、そわそわと落ち着かないで過ごすことに引き込まれるが、これを奴隷のように生きるという。しかし、実相を覚知する者は自由に過ごせて、これらの自然の法則を役立てることができる。
 倫理面では、無常性の原理は非常に役に立つだろう。特に二つの大きな原則がある。

(I)外部に対して放逸ではなく、因縁について正しい知識で、改良改善の努力を急ぐ、慧のある生き方
 無常性は、そのものの自性に従って言えば、当然中立で、善くもないし悪くもない。人間の生きることに関係する事柄であれば、変化の一面を繁栄、もう一面を衰退と定める。しかしながら、変化がどちらの面でどのようになるかは、当然のことながら、そうさせる因縁次第である。
 そこで倫理面では、衰退と繁栄の事柄の理解に従い、繁栄しているものは衰退しうるし、衰退しているものは繁栄しうるし、繁栄しているものはより一層繁栄しうる。これらは様々な因縁次第である。そして、多くの因縁の中で、人間というものが最も重要な因縁で、ほかの因縁に大きな影響を与える。このように無常の原理を適用して教える。
 この意味において、繁栄も衰退も風まかせということではなく、如業( Yathakamma)と言われているように、人間が関係し、処置し、創造できることなのである。つまり、自然を超越する主はいないから、その自然を超越するほかの主が介入することを警戒する必要はなく、人間が作る因縁次第なのである。
 したがって、倫理面における無常は、それを変化と呼ぼうとも、人間に希望を与える自然の法則である。というのは、自然の法則は(偏りのない)中立であって、どうするかというのは、そのようにする因縁を起こすことにかかっているからである。よくするための変化は起こせることなのだ。物質面での繁栄を築くことも、精神的な繁栄を築くことも、愚かな人間を賢くすることから、凡夫を阿羅漢にすること、心を入れ替えてすべてを自己改良することまで含めて、そのようにする因縁は何かを知り、理解して、その因縁を作ることである。
 要約すれば、無常は変化と呼ばれる水準の理解において、次のようなことを教える。繁栄を築く人、あるいは繁栄している人は、その繁栄を衰退させたくないなら、放逸であってはならない。衰退する変化を起こさせるような因縁を避け、除かなければならない。その繁栄を維持するような方向で変化するような因縁を築き、その因縁に道を開く努力をすべきことに気付かなければならない。一方、失敗して衰退した人は、改善することができる。その衰退した因縁を捨て、逆に今後繁栄する因縁を築くことができるのだと。
 さらに、繁栄の方向にある変化については、繁栄を増すような因縁を一層増やすとともに、その繁栄にうつつを抜かして放逸になり、衰退する可能性と衰退をもたらす様々な因縁を見落とすようなことがなければ、ますます繁栄をもたらすことができる。
 ここまで述べて、真諦と倫理とを結び付ける最も重要な原理について触れる所へきた。すなわち、慧を持たなければならないということであ
る。衰退とは何か、求める真の繁栄とは何か、求めるような変化をもたらす因縁は何か、そして様々な因縁に関係して押し進める人間の能力を増すにはどうしたらいいか、それらすべてを知ることである。
 このように無常性の原理は繁栄を築く。また、行為の結果に希望を持たせ、よい結果を生む様々な変化を起こすため、慧を学ぶことの大切さ
を強調する「業の原理」を保証している。そうした意味で無常性の原理は、倫理面で重要な意味を持つ。

(Ⅱ)因縁を覚知して、心の中が自由で曇りなく、解き放たれて楽のある慧のある生き方

 生き方の内面、あるいは直接の心の価値の面で、無常性の原理は、真実を覚知した人として生きることを助けてくれる。
 生き方の外面では、変化・変壊に気が付くと、じっとしないで努力と不放逸で智慧を用いて学習を続けて因縁を覚知し、そのままに放置することなく改善し、衰退を避け、絶えず繁栄を築くことができる。しかし、心の内面では、因縁を覚知する智慧によって、解放され自由な心で生きることができる。衰退や繁栄の変化の奴隷に陥ることなく、その変化の自然界の法則を役立たせることを知る。どちらへ向かうのかさっぱり分からないような変化の流れの中で、あれやこれやのしがらみに執着して他人を助けることは言うに及ばず、ついには自分のことすら救うこともできずに、衝撃を受けてよりどころなく引きずられ、真っ暗な気分になるようなこともなく、その変化と関わることを知る。
 自由な心を持つ人は、一切を如実に知り理解して、渇愛と取で執着しないだけである。そこで何が衰退か、何が真の繁栄かを知る。自分と他人を奴隷として東縛したり、さらに深みに沈めるために繁栄だと称したりするのではない。そして、その築き上げた繁栄を最も役立てて、同時に、他人に対して自分を頼りがいのある者にできる。
 初めの段階の倫理の方向では、無常性の原理は一切のものの法性を教えるので、衰退や損失が生じたときに必要以上に苦を起こすことを軽減
させてくれ、繁栄のときに放逸になったり、われを忘れて浮かれたりしないようにしてくれる。
 より高い段階では、次第に真実に達して無我性が見え、真に完全な心の健康を持つと言われるように、自由で執着がなく、苦のない心を持た生き方に導いてくれる。
 様々な不幸、苦、損失が生じたときに、人は自分や他人を慰める道具として、好んで無常性の原理を使う。これも多かれ少なかれ苦を軽くできる。この面で無常性の原理を使うことは、適切な機会に使えば、それまでこの真実の原理に馴染んでいないか、原理を知らなかった人を気付かせるため、特に役に立つことだろう。しかし、もし、この種の慰めを生き方の原理にまでするなら、逆に害になることの方が大きい。というのは、この慰めによって、人は放逸になり世間の流れの奴隷に身を落とすからである。すなわち、無常性の原理を役に立てているとは言えず、業の原理に対して倫理的に間違った行動であり、仏法が与えてくれた「目標に達するための自己改良」に反する生き方である。

引用部分長い〜😂🙇‍♀️(誤字脱字があったらすみません💦)
でもここは、私のお勧めの部分だということと、一部引用だと誤解が生じたりすることもあるかもなので、という懸念があるために、全部載せちゃいました🙏

大変、勉強になります。
もうあんまり私が何かしら言わない方がいいかもなんですけど、それだと、ただの本の内容を書いただけジャンて話なので、私見を書きます。

私としては、特にここ。
「繁栄しているものは衰退しうるし、衰退しているものは繁栄しうるし、繁栄しているものはより一層繁栄しうる。これらは様々な因縁次第である。そして、多くの因縁の中で、人間というものが最も重要な因縁で、ほかの因縁に大きな影響を与える。このように無常の原理を適用して教える。」

「多くの因縁の中で、人間というものが最も重要な因縁で、ほかの因縁に大きな影響を与える。」

2回書いちゃった😂

そのくらい、ここ重要と思います。
最も重要な因縁だから、人を大切にしないといけないですね。
何より自分を大切にする必要があるのでしょうと思います。
それは、自分の幸せを高めていくことです。
ここでいう幸せとは、何かを得ることによる幸せではなく、手放すことによる幸せのことですね。心の自由とでも言いましょうか。。何かを得ることでの幸せは、その何かの奴隷であると言えるかもしれませんね。

そしてここ。

「すなわち、慧を持たなければならないということである。衰退とは何か、求める真の繁栄とは何か、求めるような変化をもたらす因縁は何か、そして様々な因縁に関係して押し進める人間の能力を増すにはどうしたらいいか、それらすべてを知ることである。」

私がすべきこと、は、この部分なんだと思います。慧を持って、知ることですね。この慧、が難しいんですけど😂
智慧ですね。私には智慧が足りないのです。
如理作意で思考すること、理性的に対応すること、如実に知るということ、だと思います。
その基本は、理解しようとすること、学ぼうとする姿勢、と思っています。

あとここ。

「心の内面では、因縁を覚知する智慧によって、解放され自由な心で生きることができる。衰退や繁栄の変化の奴隷に陥ることなく、その変化の自然界の法則を役立たせることを知る。どちらへ向かうのかさっぱり分からないような変化の流れの中で、あれやこれやのしがらみに執着して他人を助けることは言うに及ばず、ついには自分のことすら救うこともできずに、衝撃を受けてよりどころなく引きずられ、真っ暗な気分になるようなこともなく、その変化と関わることを知る。
 自由な心を持つ人は、一切を如実に知り理解して、渇愛と取で執着しないだけである。」

「衰退や繁栄の変化の奴隷に陥ることなく、その変化の自然界の法則を役立たせることを知る。」

これでしょうと思います。
私たちは、いつでも変化に一喜一憂しておるものです。してはいけない、ということではないとですね。
そんな私を知ることなんです。
そして、そのような自然の法則を知ることでしょうと思います。役立たせることを知ることでしょうと思います。
慧を持たなければならないのですね😊🙏
上記の文章のただ繰り返しやけども。。

ホームさんは、三相の真相を知ったら、あらゆるものの奴隷ではなくなっていく、どんなに好きでも、離れていく、そのものの奴隷になることなく、、
と、言われていました。

六処のところで、私たちは感受の奴隷となっているんだ。という話をしていましたが、ここではこのまさに実相を知ることによって、奴隷でなくなっていくのだ、と、いうことなんでしょうと思います。

「自由な心を持つ人は、一切を如実に知り理解して、渇愛と取で執着しないだけである。」

奴隷でなくなるとは、執着しない、ということですね。
一切を如実に知り理解するということは、一切は執着するに値しないものであると知ることなのでしょうと思います。

ここは、知識として知っていたとしても、本当の意味で理解したり、気づかないと、手放せないかもしれません。

一切のものは変化するもので、執着するに値しないんだから、あなた手放しなさいよ、と言われても、私の家、私の家族、私の金、私の地位、私の名誉、私の見解、私の気に入ったもの、私のライフスタイル、私の文章🤭などを、なかなか手放せないものなのですね。。

なぜ手放せるかと言えば、
この三相の実相をやはり垣間見る、知る、本当に理解できた。からの、ものなんでしょうと思います。
瞬間、瞬間、その都度、その都度、手放すのかもしれないな〜なんて。思います。

手放すとは、執着をしない、ということです。実際に物を捨てるとか、家族を捨てるとか、そういうことではないのですね。
家族と暮らして家族を大事にはするけど、執着しない。
今の暮らしを気に入っているけど、執着しない。
こんな感じだと思います。

私は、誰にでも執着はあると思います。
執着を自覚した時に、そこに気づきを間に合わせていくこと、これなんだと思います。
あ、私は今これに執着してるな、と確認する。
それでいい、と私はしています。

執着とは、ひっついている感覚、好きとか嫌いとかの対象にこだわる性質のもの、と私は理解しています。家族、地位、友人、資産、物質的なもの、趣味、そして何より自分自身の(と思っている)心と身体に、執着しているでしょうと思います。

この三相、ここには希望があります。

変わるものであるというのは、希望です。

そして、因縁を学べば、それを役立たせていくことができる、とあります。

ホームさんは、このように言われていたと思います。
変化とは、プラスでもマイナスでもない、ナチュラルなことで、私から見たら、都合のよい変化、都合の悪い変化と見えても、自然なものである、と。
そこには、希望があり、可能性があるものであると。
希望とは、苦しみを超えられること。けれども、うっかりするなよ、不放逸でいるんだよ、と教えてくださいました。
不放逸、とは、変化に常に注意深くあれということですね。気づいていることです。
気づくとは、変化しているこの心身(身受心法)に気づいていく、ということです。

また、このようにも言われていました。

仏教は、自分自身を鍛える教えであると。私もここは共感するところです。毎日が訓練であり、実践です。と。

さてさて、ちょっと振り返ってみて。
このように、知識的に仏法を学ぶことのいいところは、少し落ち着いて物事を捉えてみる、現実と向き合う、ということに繋がる気がします。

よく、知識が増えると、そのことに囚われる、ということを懸念されることもあるのですが、知識は実際に現実の生活に活かされることで智慧となり、そのように知識を使うことが必要ですし、可能でしょうと思います。

何か問題(と自分が思うこと)が起こった時、それは私の心に問題が生じたということだと思います。
私の、ということ(執着)から、問題となります。
解決したいと思う時には、私の、という感受から少し離れて、そのことを如実に知る、ありのままを知るようにしてみることが大切で、この三相を知ることは、とても役に立つなあと思うのでした😊🙏

あと一回か二回、苦と無我のところを引用して書いていこうと思います。

生きとし生けるものが幸せでありますように

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