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アチャン・チャー

アチャン・チャーは、私が尊敬するお坊様の1人です。タイのお坊様です。もうすでに亡くなられていますから、実際には会うことはできないのですが。
言葉って不思議ですよね。
本やご法話の中でいつでも会うことができます。noteを開けばそこにアチャン・チャーがいてくださいます。

私は英語が苦手で、読むことが難しいですから、このように日本語にしてくださる翻訳家の方にはとても感謝しています。

お蔭様(おかげさま)

このような言葉も息を潜め始めて久しい日本になってきていそうですが笑、私たちは多くのお蔭様によって幸せがもたらされていて、恵まれていて、生かされています。
日本は多くのものに恵まれている国だと思います。
でも、恵まれている、とは、恵まれていないこと、とも言えますね。苦笑
なぜなら、

放逸とは快適さという感覚と混ざり合ったもの。
安楽な生活は、人を惰弱にする傾向があります。
ビーイング・ダルマ

そうだろうなあと感じます。

そのお蔭様に一つでも二つでも多く気づき、ありがとうと感謝できていくとすれば、それは今ここにある幸せを感じて満足できることに繋がりますね。
そして決して当たり前ではない、ということに気づかされます。
多くの人の努力によって、恵みや快適さができあがってきているのです。
だからこそ、不放逸でないといけないと思うのでしょうね。
それはいつ、なくなってもおかしくない、と知るからです。

なんだか説教くさくなってきました。。
私の癖ですね!

仏教本大好きなので、けっこう仏教本についての紹介の記事も書いています。
特にご紹介したいと思う、私にとっての転機となった、と言ってもいいような本が、「ビーイング・ダルマ」という本です。先程の文章も、引用させていただきました。

「ビーイング・ダルマ」星さんが翻訳してくださった本ですが、この本、本当に最初に読んだ時、感動が止まりませんでした笑
noteにも記事を書いたくらいなんですけど、改めて少しずつ再読してみようと思いました。
仏教本の再読、お勧めです。
以前読んだ時と違う学びがあります。

ここにも多くのお陰様があって、私がまずこの本に出会ったのは、Twitterの仏教ママ友が紹介してくださったおかげですし、星さんがこの本を翻訳してくださいましたし、もちろんアチャン・チャーが生まれてきてくださって修行されて、また修行されている多くの方がいて、その方々にご法話をしてくださったこと。そしてそれが書籍になり、英訳本になったこと。が前提ですよね。

アチャン・チャーの言葉は、何と言いましょうか、本当にダンマに直接会わせていただくような、そんな言葉が多いのです。どんな表現でしょうね😂

今日は、英訳の翻訳者の方が書かれたまえがきから、少しだけ紹介しようと思います。

 アチャン・チャーは弟子たちに、断食、無言の行、または他者との接触を避けることを勧めませんでした。彼は言いました。
「わしらが修行をするときは、目を開いておこなう。 他人や感覚の対象を避けることによって悟りが開けるのなら、盲人やろう者はみな悟っていなければおかしいじゃろう」
 智慧は、色界の中で養われるものです。世間というものはそれを避けることではなく、あきらめることによって乗り越えられるものです。アチャン・チャーの僧院でおこなわれている、作務を通じて他者と交わる日常生活は、自分の癖や、自分自身が苦しみを生み出しているという事実を明らかにするのに適した環境です。アチャン・チャーはしばしば言いました。
「暑くて苦しい? 結構なことじゃ。その事実から、わしらは学ぶんじゃ」
ビーイング・ダルマ

私の解釈で申し訳ないのですが、これは在家で修行している私にとって、どんなに励ましになることか。という言葉です。
世間というものは、避けるものではなく、直面することで自分自身を乗り越えていくものであると、理解できるのです。
明らめる、とは諦める、と同じことだと思っているのですが、、
何かを諦められる時って、明らかに見た時、だと思うのです。
ですから、諦められない、執着を手放せないのは、明らかに見ていないから、なんだと思います。
ですからやっぱり、正見、が必要なんですね。
私たちはわりといつでも、偏見、邪見、自己都合の見、で見ているのだと思います。
ここに気づくことはきっと難しいことですね。

他者と交わる日常生活は、自分の癖や、自分自身が苦しみを生み出しているという事実を明らかにするのに適した環境

まさに!
仏道をよちよち歩み始めてからというもの、いつもこの現実、事実を突きつけられていて、何度も何度もそれを体験しています。
自分の癖や自分自身が苦しみを生み出しているんです。これを観るんですね。
これが、知識としてでなく、本当に理解した時、その癖を止めることができますし、苦しみを生み出すことを止めるんですね。徐々にです。変化は徐々にです😂
ほんの少しですが、実感しているところです。
やめたい!嫌だ!という感情では止めることができないんですね。
この度の浦崎さんのこのnote。

有料ですので、少しだけ引用させていただきます。

そしてその時に
心の置き所が正しくないと

「あー、なんて私の心は
 こんなに飾り立てられてしまうのだろう。

 嫌だ嫌だ、飾り立てられることを
 なくしてしまいたい!

 静かでないのは嫌だ!」

と、次の飾り立てが、さあもう
始まっていますよ(笑)。

心って面白いですよね😂😅

「暑くて苦しい? 結構なことじゃ。その事実から、わしらは学ぶんじゃ」

頼もしい有難いお言葉です。
これからも学んでいこうと思います🙏

生きとし生けるものが幸せでありますように

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