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人間は一番偉いのか

 メディアを通じて入ってくる環境や自然、動植物の課題に関する情報の多くは人間の上から目線である。獣害のニュースを目にするが、そもそも、その害は人間の価値観から見た害なのであり、獣の方は本能に従い行動しているだけでなんの悪気もない。熊がなぜ畑の作物を食べるのか?開発・開拓等により生息域が狭まり食物が不足するから、又はたまたま行動範囲の中に畑があるからである。他の多くの害獣も同じようなもの。生息域を狭め、荒らしたのは誰か。人間である。多くの動物からしてみれば人間こそ害獣である。他方、畑を荒らされる当事者からしてみれば、丹精込めて作った農作物がダメになることは非常に痛い。そのあたりの背景を勘案したうえで、「我々は熊の生息環境を脅かしてしまった。そのため熊が仕方なく我々の畑に来て、作物を食べてしまった。我々人間も動物なので、生き残らなければならない。なので不本意ながら熊を殺めて、その肉を食料や飼料、動物園の動物の餌とするなど有効に使わせもらう」という対応・報道ならまだ納得がいく。しかしそれとて彼らの生息域を狭める行いのお詫び・言い訳にはならない。
 外来種の問題もしかりである。例えばアメリカザリガニは1927年に食用ガエルの餌として日本へ輸入された。繁殖力が高く、環境への適応能力も高いため、その後、日本全土に生息地を広げた。昨今、政府やメディアはこのアメリカザリガニを「悪者」として扱い、排除するよう広報を進めている。本当にアメリカザリガニは「悪者」だろうか。アメリカザリガニにしてみたら、勝手に日本に連れてこられ、そこに住んで、普通に生活してたら「悪者」になってしまった。この観点ではアメリカザリガニは「被害者」である。そもそも生物は空間を多かれ少なかれ移動しており、その媒体は空気であったり、他の生物であったり、水だったりするわけである。人間も自然の一部だとしたら、その人間により異国へ連れてこられた生物、即ち外来種の移入も自然の摂理といえる。原風景・生態系を保ちたい気持ちはわかる。それにはある程度のコントロール(しかし、本当に必要なのは開発と人口のコントロール。このコントロールの必要性をきちんと説明すべき)も必要であろう。しかし、その際、移入・侵入してきた生物を「悪者」として扱うのは間違っている。 
 アマゾンの原住民やアメリカ大陸の先住民は自然に対する敬意があると聞く。日本もかなり昔は少なからず自然に感謝する催事やマインドはあったであろう。いつからこんな上から目線の人種になったのか。西洋的な思想が入ってきた頃と察する。もうその弊害を認めて行動を悔い改める時代が来たと痛感する。人間は自然に対して謙虚にならなければならない。


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