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水族館の記憶


同じ景色を見ていても、見えている色はお互いに違っているのが好きだな、と。
撮影した三枚の写真を見て思う。
その写真の二枚は水面を泳ぐ光ときた。
写真とは記憶の抜け殻のようなもので、のちに見返すと、鮮明に残った抜け殻に感情の宿し所が分からなくなる。
写真に残しすぎるのは、後々何も残らなかったりするんだと思った。


僕は勝手に、"抽象的に生きる"と言ってるけど、どの景色にも共通しそうな写真を見返して、記憶を探る作業は、鮮度を長く保つ手段とすら思っている。
とは言っても、いつかは全て忘れてしまうものだから...という気持ちも当然あるのだ。

人と行動をともにしていても、情報の消化に時間を使いすぎて、一人の世界で、静かに、騒がしく、美しく、進行している。

入口のエスカレーターに身を任せると目に飛び込んだのは、忙しない小魚や、這う鮫が静かに流動する水槽だった。
よく見てみると、一つの空間で、魚種ごとにグループを作っていて学校みたいだなぁと思っていると「クラスみたい」と、一緒に行動してた人も、同じことを思っていたみたいで、心の中で笑ってみた。

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