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分岐と添加物と同一 2023/01/30の日記

 今日はそこそこ時間があるのでそこそこちゃんと書く。
ここ2日間で書けなかったことを書きます。

 私を含めて、人は「もしあのころ○○してたら……」と考えることが多くて、その内容もそれなりに盛り上がる傾向にありますね。少なくとも昨日見た夢を話すよりは、中学の頃に別の部活に入っていたら……という話題で話したほうがまだマシだと思います。現実性を全く帯びていないという点において本質的にはパラレルをイメージするのは夢の話くらい意味のない話ですけど。
 やっぱり学生時代をコロナで滅茶滅茶にされた身としてはやっぱりたまに「もしコロナがなくてこれまでの世界通りの学校生活を送れてたら……」とか考えちゃいますね。
自粛期間中、毎朝10時くらいに起きて、朝ごはんと昼ごはんを一緒に食べて、4時までダラダラして、グダグダのまま夜になってそのまま寝るという、エモくない自堕落な生活を送ってたのがそのまましゃっきりとした学校生活に置き換わってたら……とか。まぁコロナがなくても自堕落だったんだろうな。そうに決まっている。

 自分がコロナで自堕落で無気力な人になってしまったみたいに、コロナよりもコロナにくっついてきたインターネットで狂わされた(当の本人は「覚醒めざめた」なんて言ってるけどね)人も結構いる。
 フィクションではパラレルワールド間を移動できたりして、平行世界の同一人物が邂逅を果たしたりするけど、もし「コロナがない世界」の僕たちがやってきて「withコロナ」の僕たちを見たら何と言うのでしょうね。特にコロナを機に豹変しちゃった人。どんなに2つの世界の間の変化が大きくても多分二者はそれぞれ「完全に同じ見た目だけど環境によって全く違う人になってしまった」程度の認識をするだけだから擬似的な一卵性双生児。擬似的なダイタクの気持ちになれるのかもしれないですね。




 コンビニのコーヒーは適当に買ってる。本当にコーヒーにこだわる人はまずコンビニのコーヒーは買わないから………。
 そんな「こだわらない人」向けの缶コーヒーでも購入者を引き出すために色々手を施されている。
例えば、最近の缶コーヒーって全部「最高級豆を厳選使用」している気がする。「最高」を「厳選」て。なんかめちゃめちゃすごそうな感じがしてしまいますね。でもどこもかしこもその手法を使ってるから重みが薄まります。
 最近、缶コーヒーに留まらず、「最高」「最強」みたいな、言葉の添加物が過剰すぎる気がする。辟易してしまう。消しゴムから車まで見せかけのスゴさを見せようと必死だ。どれもそんなに変わらないはずなのにね。
もし自分がそういうコピーを作れる立場になったら言葉の添加物はなるべく減らして質素なものにしたい。
「よかったら、どう?」ってやりたい。

 

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