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戦国!室町時代・国巡り(11)伊賀編

【0】はじめに

伊賀国:石高10万石(1598年)
大和、近江、伊勢に接する。

阿拝郡
山田郡
伊賀郡
名張郡

(2)年表

1560 三好氏に対抗する形で伊賀惣国一揆が結成される。
1569 伊賀惣国一揆掟書が制定される。
1579 第一次天正伊賀の乱
1581 第二次天正伊賀の乱

(3)概要
 戦国期、伊賀国は群雄割拠状態であった。北部(阿拝、山田)は六角氏派、中部(伊賀)は仁木氏派、南部(名張郡)は北畠氏派だった。
 仁木氏が国人達によって追放された後、伊賀、山田、阿拝の3郡は六角氏、名張郡は北畠氏によって間接的な支配が行われた。

 室町初期、仁木義長が伊賀守護だった。義長没落後の伊賀守護の詳細は不明だが、1429年には伊賀守護が戦死している。その後を継いだのが仁木中務少輔である。彼は1433年に更迭され、山名時熙が守護に補任。その後、山名持豊(宗全)が守護職を任された。山名持豊(宗全)は1440年頃に守護を辞し、その後は仁木氏が守護職にあったと思われる。

 将軍の足利義稙が大永年間(1521-1528)、一門・仁木兵部少輔を伊賀守護として任命した。しかし伊賀は東大寺や円徳院などの荘園がひしめき合っており、その土地を私有化して武装する悪党が割拠する状態が続いていた。柘植氏は仁木氏に従わず、兵部少輔は手勢をもって柘植氏を攻めるが逆に討たれ、後に兵部少輔の子・某が攻めるがこれも退けた、とされる。

 1487年に伊勢仁木氏の仁木貞長が伊賀守護にあったが亡くなったために、伊賀仁木氏の仁木政長が守護に就いた。その跡を継いだのは子・仁木刑部大輔。さらにその子・長政が守護職を継いだ。
 1569年、仁木長政が信長に投降。その後、長政の弟・友梅を守護として伊賀国に送り込むも、最後には国人衆の手で追放されてしまう。
 伊賀には、北畠具教が建築途中で放棄した丸山城があったが、織田信雄が家臣・滝川雄利にを修築を命じた。これに反応した伊賀国郷士衆はその完成を阻止するために攻撃を開始、第一次天正伊賀の乱に至る。この戦いは伊賀側の勝利に終わる。しかし2年後、織田信長による本格的な伊賀攻撃が開始(第二次天正伊賀の乱)。

【1】伊賀仁木氏

仁木氏(につきし)は、清和源氏の一族で、足利氏の祖・義康の長子・義清の系統である。義清の孫・実国が三河国額田郡仁木郷に移り住み、仁木太郎を称したことに始まる。また、実国の弟・義季は、隣接する細川郷を領して細川氏の祖となった。足利尊氏の下で仁木頼章・義長兄弟が各地に転戦、兄弟で丹波・伊勢・伊賀など最大9か国の守護に任ぜられる。足利義満の時代、仁木満長が伊勢守護、仁木義員が和泉守護となり、丹波・伊勢・伊賀の三家にわかれる。

仁木頼章(1299-1359)武蔵、丹波、丹後守護
仁木義長(1300?-1376;在-1360)伊賀、伊勢、志摩、三河、遠江守護
仁木頼夏
仁木義尹


某(-1429)戦死した伊賀守護。詳細不明
仁木中務少輔(;在1429-1433)


仁木政長(?-1509頃?;在1487-1509頃?)左京太夫。
仁木刑部大輔(?-1536頃?;1509頃?-1536頃?)仁木政長の子。四郎。
仁木長政(?-?)仁木刑部大輔の子
仁木義視(友梅)()仁木刑部大輔の子

(1)仁木政長

(?-1509頃?)
官位: 中務少輔、、左京大夫
子に 仁木刑部大輔、仁木民部少輔
1471年ころ、近衛家の家領である近江国甲賀郡信楽郷の代官を務める。
1487年、伊賀国守護であった伊勢仁木氏・仁木貞長が亡くなる。政長が伊賀守護となる?

(2)仁木刑部大輔

(?-1536頃?)
仁木政長の子。四郎。
子に長政、義視。
細川高国の従弟。その縁から1509年、細川高国を匿う。

(3)仁木長政

(?-?)
仁木刑部大輔の子。四郎。
1569年7月に滝川一益を通じて織田信長に降った。

(4)仁木義視(友梅)

(?-?)
仁木刑部大輔の子。通称:左京大夫
信長の支援を受け、1571年に伊賀国に入国。伊賀守護職となる。しかし、1578年には伊賀の国人衆らの手で追放され、甲賀へと逃れる。
1581年、伊賀平定後、織田信雄に取り立てられ、平楽寺を与えられた。
その後は医師として活動する。
1588年頃には記録から姿を消す。

【2】伊賀の国人

(1)阿拝郡

柘植氏
 
桓武平氏の末裔で伊賀国阿拝郡・柘植郷より興る。平家の家人で、右衛門尉に任じられた平宗清が祖。
日置氏(へぎ)
 
柘植氏一門で柘植宗清の長男・宗俊が日置氏祖となる。下柘植を拠点とする。柘植氏一門である日置氏・北村氏・福地氏を柘植三方と呼ぶ。
 関氏と対立し、1487年に六角高頼と同盟。
福地氏
 
柘植氏一門で柘植宗清の子・清春が福地氏祖となる。本城は福地城。一族の一部は"松尾"と改姓し、松尾芭蕉を輩出する。
 関氏と対立し、1487年に六角高頼と同盟。
北村氏
 
柘植氏一門で柘植宗清の子・俊忠が北村氏祖となる。中柘植を拠点とする。
 関氏と対立し、1487年に六角高頼と同盟。
服部氏
 
服部氏は桓武平氏忠正流で、伊賀国阿拝郡・服部郷が発祥地とされ、小宮神社の神主と伝わる。
 服部半蔵の家系の由来については、戦国時代に千賀地保長(半蔵保長)が服部姓に復し服部保長と称したという。保長は、はじめ将軍足利義晴に仕え、のちに三河へ移り住み松平清康・広忠に仕えた。
藤林氏
 藤林氏は伊賀流の上忍三家の一つ。服部家の支流とされる。伊賀の北東部阿拝郡・東湯舟郷を治める。
町井氏
 
町井氏は新田義貞の子孫・新田義家の末裔、伊賀国阿拝郡・木興庄の地頭。
 町井左馬允貞之は伊賀十二人衆の一人で木興城主。
音羽氏
 
伊賀国阿拝郡・音羽郷の豪族。
 伊賀十二人衆の一人。
百田氏
 
伊賀国阿拝郡・長田の豪族。
 伊賀十二人衆の一人。
福喜多氏
 
伊賀国阿拝郡・朝屋郷の豪族。
 伊賀十二人衆の一人。
中林氏
 
伊賀国阿拝郡・比土の豪族。
 伊賀十二人衆の一人。
家喜氏
 
伊賀国阿拝郡・西ノ沢庄郷の豪族。
 伊賀十二人衆の一人。
富岡氏
 
伊賀国阿拝郡・島ヶ原郷の豪族。
 伊賀十二人衆の一人。
田矢氏
 
伊賀国阿拝郡・河合郷の豪族。
 伊賀十二人衆の一人。
稲増氏
 
稲増氏は伊賀国阿拝郡・下友田の豪族。
木津氏
 
木津氏は伊賀国阿拝郡・大野木の豪族。
城戸氏
 
城戸氏は伊賀国阿拝郡・丸柱の豪族。

(2)山田郡

植田氏
 
植田氏は山田郡・下阿波の豪族。伊賀十二人衆の一人。
奥氏
 奥氏は山田郡・喰代の豪族。

(3)伊賀郡

森田氏
 森田氏は伊賀国伊賀郡・猪田郷の豪族。伊賀十二人衆の一人。
小泉氏
 小泉氏は伊賀郡・依那具の豪族。伊賀十二人衆の一人。
内保氏

(4)名張郡

滝野氏
 
滝野氏は伊賀国名張郡・柏原城主。伊賀十二人衆の一人。

百地氏
 
百地氏は伊賀国名張郡から大和国宇陀郡に渡る地域である竜口の武士。伊賀黒田荘で悪党として活動した大江氏一党が南下して竜口にまで進出したもので、戦国時代までには同地の地頭となっていた。伊賀流の上忍三家の一つともいわれれる。

吉原氏
 

(5)十二家評定衆(伊賀十二人衆)

長田・百田籐兵衛
朝屋・福喜多将監
木興・町井左馬充貞信
河合・田屋掃部介
音羽・音羽半六
島ヶ原・富岡忠兵衛
依那具・小泉左京
比土・中林助左衛門
布生・布生大善
柏原・滝野十郎吉政
下阿波・植田豊前光信
西之沢・家喜下総

【3】伊賀の武将

柘植氏
 柘植宗知()
 柘植宗家()宗知の子
 柘植宗能()宗家の子
 柘植清広(1540-1629)宗家の子
 柘植宗次()宗能の子、清広の養子。
 柘植保重(?-1579)福地宗隆の子

柘植保重
(?-1579)
 福地宗隆の子。
 1569年、織田信長の伊勢侵攻の際、木造具政を調略して北畠具房から離反させ、滝川雄利らと共に織田信長に降った。
 1577年、三瀬の変では織田信長の命令で、北畠北畠具教の枝連衆を三瀬御所で謀殺した。
 第一次天正伊賀の乱では、織田信雄に属して日置大膳亮らと共に伊賀国に侵攻するが、退却する殿軍の最中に植田光次に討たれた。

柘植清広
(1540-1629)
宗家の子。通称:三之丞。
養子に柘植宗次。
鉄砲に秀で、威風流砲術を開く。天正伊賀の乱に際し、徳川家康に接近。本能寺の変の際、堺にいた家康が伊賀越えを決行すると、信楽と伊勢国白子間を一族で警護した。
関ヶ原の戦いで活躍して甲賀郡300石を賜る。

日置氏(へぎ)
 日置大膳亮()
 
北畠氏家臣。
 
1577年、三瀬の変では織田信長の命令で、北畠具教の枝連衆を三瀬御所で謀殺した。
福地氏
 福地宗隆()
 通称:伊予守。
 子に柘植保重。
 柘植1,000石を領した。1581年、福地宗隆は織田信長に内通して、耳須弥次郎と共に伊賀攻めの先導役を務めた。
北村氏
藤林氏
 
保豊(長門守)
 保正()保豊の子。
 藤林保豊(長門守)
 ()
 子に保正。
 東湯船郷・藤林城主。甲賀に境を接する湯舟郷を根拠とし、甲賀にも影響力を持った。当初は駿河国の大名・今川義元に仕えて駿府に居住した。
 保豊の妹が南近江の大名・六角義賢の妾となっていた縁により六角氏と親しかった。
森田氏
 森田浄雲
(1510-1581)
猪田郷一之宮城主。
第二次天正伊賀の乱の際、一之宮城に籠城したが討ち死した。
信長に降伏して一之宮城を安堵されるが、本能寺の変後に蜂起し織田信雄に討たれた説もある。
町井氏
 
町井貞国()
 
町井貞之(貞信)(1514-1581)貞国の子。
 
町井清兵衛() 貞之の二男。
 町井貞直() 貞之の子。
 町井貞国
子に貞之。
伊賀木興荘・地頭職、木興城主。
 町井貞之(貞信)
(1514-1581)
町井貞国の子。通称:左馬允
子に貞直。
伊賀木興荘・地頭職、木興城主。十二家評定衆の一。
第一次天正伊賀の乱では、副大将・軍師を務め、織田信雄を敗走させる。
第二次天正伊賀の乱では、木興城主するも討ち死にした。
音羽氏
 音羽宗重
(?-1581)
通称:半六。
伊賀国阿拝郡・音羽の豪族。十二家評定衆の一。
1581年「第二次伊賀の乱」で討死した。
百田氏
 百田籐兵衛(?-?)
 伊賀国阿拝郡・長田の豪族。十二家評定衆の一。
福喜多氏
 福喜多将監
(?-?)
 
伊賀国阿拝郡・朝屋郷の豪族。十二家評定衆の一。
 1581年「第二次伊賀天正の乱」では、比自山城の総大将として籠城の指揮を執った。
中林氏
 中林忠昭
(?-1581)
 通称:助左衛門。
 
伊賀国阿拝郡・比土の豪族。春日山城主。十二家評定衆の一。
 1581年「第二次天正伊賀の乱」では、柘植口から滝川一益、滝川益重、藤堂高虎の隊が壬生野に侵入、中林忠昭が指揮の下、土豪衆は春日山城に籠城した。激しく抵抗するも多勢に無勢であり討死した。
家喜氏
 家喜吉近
(?-1581)
 通称:下総守。
 伊賀国阿拝郡・西ノ沢庄郷の豪族。十二家評定衆の一。
 1581年「第二次天正伊賀の乱」では、柘植口から滝川一益、滝川益重、藤堂高虎の隊が壬生野に侵入、中林忠昭が指揮の下、土豪衆は春日山城に籠城した。家喜吉近は副将を務めた。激しく抵抗するも多勢に無勢であり討死した。
植田氏
 植田光次(?-?)
 山田郡・下阿波の豪族。十二家評定衆の一。第一次天正伊賀の乱では、柘植保重を討ち取った。
 第二次天正伊賀の乱で敗北し、三河国に逃れた。本能寺の変後は、豊臣秀吉に仕官したという。
富岡氏
 富岡貞頼
(?-?)
 
通称:忠兵衛
 
伊賀国阿拝郡・島ヶ原郷の豪族。十二家評定衆の一。
 1581年「第二次天正伊賀の乱」では、織田信長勢の案内役となった。
滝野氏
 
滝野貞清
 滝野吉政
 滝野貞清
 
(?-1574)
 子に定清。
 滝野吉政
 
(?-1602)
 
滝野貞清の子
 伊賀十二人衆の一人。第二次天正伊賀の乱では柏原城に一カ月以上籠城し たものの、最後は降伏した。
百地氏
 
百地正永
 百地正西()正永の子。
 百地正行()正西の子。
 百地正西(丹波)
(1556-1640)
正永の子。通称:丹波守。
子に正行
伊賀国名張郡・竜口城主。信長の伊賀侵攻に抵抗した。
伝承上の忍者、百地三太夫のモデル。
伊賀崎道順
(?-?)
通称:孫兵太兵衛。別名:楯岡ノ道順。
柘植郷楯岡城主。伊賀四十九流の祖。
六角義賢の要請で、謀反を起こした百々氏の居城である佐和山城に忍び込み城に火をかけ、城内を大混乱させて、城を落としたという。

阿波正高
井上新左衛門
大井源兵衛
久保源八郎
出後正高
沢村重久
富野重正
沼田彦七
平野善八郎
平松源八
三輪善之助
森脇甚助

【4】織豊時代の伊賀

(1)織田信雄・織田信包
第二次天正伊賀の乱ののち、伊賀3郡を織田信雄が、残りの1郡(山田郡)を織田信包が領することになった。

(2)筒井定次
1585年、筒井定次は領国を大和国から伊賀国上野に移封された。
(伊賀一国12万石・伊勢国内5万石・山城国内3万石)

【5】城郭・古戦場・地理


伊賀上野城
伊賀郡(平山城)
北には服部川と柘植川、南には久米川、西側には木津川の本流が流れ、城と城下町を取り巻く要害の地にある。
元その場所には平楽寺、仁木氏館(伊賀守護所)があった。
第二次天正伊賀の乱後、織田信雄が家臣・滝川雄利が砦を建設、1585年に筒井定次によって改修された。さらに1611年に藤堂高虎が拡張した。

伊賀丸山城
伊賀郡(山城)
国司・北畠具教が隠居城として1576年に築城を開始。しかし、織田信長と不和になり三瀬館に引き上げた。後に織田信雄が家臣・滝川雄利に丸山城を修築を命じた。伊賀国郷士衆はその完成を阻止するために攻撃を開始、第一次天正伊賀の乱に至る。

柏原城(滝山城)
名張郡()
1558年-1570年間に滝野貞清が築城した。
1581年の天正伊賀の乱では、城主・滝野吉政や百地丹波をはじめ、1600余人で立て篭もり織田信長に抵抗した。

滝川氏城
名張郡()

千賀地氏城

(2)地形

伊賀街道
安濃津から美里を経て伊賀上野へ至る街道
岩田橋[伊勢街道]―五百野[奈良街道]―長野峠―上野城下

大和街道
関町から柘植を経て伊賀上野へ至る街道
関宿 [東海道]―加太越―柘植―上野城下

笠置街道(かさぎかいどう)
伊賀上野から笠置を経て奈良へ至る街道
上野城下 ―鍵屋辻―笠置山―恭仁京 [木津街道]―奈良坂[京街道]―平城京外京

伊賀盆地
木津川
柘植川
服部川
名張川



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