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【終末のエンドロール】第一話 毎日がクリスマス

 輸入食品が並ぶ店の中で、一番飲みやすいとPOPが書いてあるコーヒー豆を袋に詰める。コーヒーを淹れるのに、どのくらいの分量が必要か分からないから、袋いっぱいに、封ができるギリギリまで詰め込んだら、レジの引き出しを漁って、ギフト用のシールを貼り付けた。これで、今夜のプレゼントは間に合った。誰もいない店内を出て、そのコーヒー豆を鞄に入れる。先に入れておいたモコモコの靴下とパーカーの包みがよれないように、慎重に。

 ショッピングモールに暮らし始めてから、いったいどのくらいの時が過ぎたんだろう。僕は誰もいないがらんどうのホールを、足音が鳴るのも恐れずに歩いていた。

 世界から人が消えてしまったあの日。それまで当たり前に過ごしていた場所に行く意味がなくなって、僕はとにかく、他に残っている人を探していた。そこで出会ったのが、いつも女装をしているマユ(本当はダイゴという名前だけど、そう呼ぶとすごく怒る)と、細いのによく食べるジョセフ、それよりももっとたくさん食べるアンナだった。衣食住全部がそろうショッピングモールに住みついた僕たちは、最初の方こそ誰かを探そうと街を歩いてはクタクタになってショッピングモールの隅にある家具売り場で泥の様に寝ていたけれど、いつしか諦めて、ただこの中で自由に暮らすことを選んだ。

 なぜか電気も水もずっと送られてきているから、どこかでまだ人が生きていることは分かっている。けれどもう、電気の来る先を探すのにも僕たちは疲れてしまっていた。車を運転できる人もいないし、電車は動くんだろうけど、それだって誰が?という話。それならもう、いっそのことここで生きながらえてみよう。僕たちはそう決めて、日々、商品を拝借している。

 居座ると決めてから、マユが「どうせなら楽しく暮らそう」と言って、「毎日クリスマス法」というのを打ち立てた。暦も何も分からなくなっていた僕たちは、毎日パーティーをして、毎日プレゼントを贈りあう。最初の方は皆、ショッピングモールから大掛かりなものを運んで楽しんでいたけれど、正直最近はネタ切れだ。ショッピングモールには何でもある様で何にもない、というのが全員の口癖になった。だから、プレゼントとは言いつつ、必要なものをそれぞれ持ってきてあげる作業になり果てた。

 家具売り場までの途中で、僕は本屋に寄った。こんなに暮らしているのに、本はまだまだ読み終わらない。本ってすごくたくさん出てるんだな。好みじゃない本を除いたとしても、僕はまだまだ暇を潰せそうだった。最近ハマッているのは、古典文学。今やその日暮らしの僕にとっては、SFチックな話よりも、月を見て誰かを思ったり、自然を見てどう感じるか、みたいな方が共感しやすい。

プレゼントを潰さないために、本は手に持ったまま家具屋の道を行くと、キックボードで家具の合間を縫って遊んでいるマユと鉢合わせた。

「おけーりぃ」

 マユは今日も、きちっとした身なりで過ごしている。といっても、彼なりのオシャレで。短いスカートにビビッドカラーの上着。最近、ネイルも覚えたそうだ。マユは僕が持っている本を見て、相変わらずジジイ趣味と鼻で笑う。マユは本を読まない。

「プレゼント、用意できた?」

「この前まとめて持ってきたから楽勝。アンタらと違って、俺は有能だし」

 鼻を鳴らして得意げになっているマユの後ろを、のそのそとジョセフが帰ってくる。手にはビニール袋が下げられて、中身が丸見えだ。スナック菓子とパン。多分、僕たちへのプレゼントだ。ジョセフはどうせすぐに開けるんだからとラッピングをしてこない。

「まぁーた食べ物? 工夫しないねェ」

 いつもの調子のマユの文句も、ジョセフは全然受け付けない。

「アンナは?」

「まだ帰ってきてないよ」

「どぅせ迷って決められないんでしょ」

「……迎えに行ってくる」

「愛だね」

「……」

 ジョセフは自分のタブレットで監視カメラの映像を表示させた。ショッピングモールで暮らしやすくなったのも、ジョセフが色々なシステムを整えてくれたからだ。電気や水が通っていることを突き止めてくれたのもジョセフ。彼がいなかったら、僕たちはどうなっていたんだろうとよく思うし、だからこそ、マユがジョセフを怒らせるたびにハラハラする。僕たち、見捨てられたらおしまいだって。でもマユは「あいつだって行く場所ないじゃん」と口をとがらせて全然反省してくれない。

 確かに、僕たちに行く場所はない。どこに行っても誰にも責められないけれど、ずっと前に至るところを歩き回って、僕たちは何度も絶望したから。もう、あんなのはまっぴらだと全員が思っていた。

 なんとかジョセフがアンナを連れ帰ってきて、僕たちは車座になってパーティーを始めた。今日の主催はアンナ。当番制にして、出し物を決めるのだ。アンナはおもちゃ屋さんからボードゲームを持ってきた。コンセントがいたるところにあるわけじゃないから、僕たちはなるべくコンセントいらずの遊びをする。

 けれど、今日のボードゲームはルールが難しくて、アンナが最初にギブアップした。主催者が抜けたらダメだろとジョセフが一生懸命説明してあげているけど、脳みそが動かなくなっているのが顔を見ればわかる。大丈夫、自分はご飯を食べてると言って、応援部隊に回った。皆が楽しめればという気持ちが先行して、自分のことを考えられなくなるのはアンナの癖だった。けれど、ゲームで頭を痛めるより、後ろでもぐもぐとケーキを頬張っている方が明らかに幸せそうだから、それもそれでいいのかもしれない。

 アンナ抜きで白熱したゲームは、ジョセフの勝利で幕を閉じた。マユは、ジョセフが勝つようにアンナが仕組んだんだと言い、ジョセフが、アンナにそんなことができるはずがないと言って、後ろでケーキを丸かじりしていたアンナを傷つけていた。

 何時かも分からない時間まで僕たちは騒いで、ジョセフが寝ると言うので、それぞれのお気に入りのベッドに寝に行った。枕が少し汚れている気がする。明日は洗濯物をしなくちゃ……そう思ううちに、いつの間にか僕は眠っていた。

 起きると、辺りにはコーヒーの匂いが充満していた。昨日アンナにプレゼントしたものを、さっそく作ってみたようだ。アンナのベッドの方へ行くと、しょんぼりと体育座りをしているのが見えた。

「コーヒー、どうだっ……」

「美味しいよ!」

 間髪入れずにアンナが言葉を返して来る。マグカップを見ると、全然量が減っていない。多分、口に合わなかったんだろう。

「飲めないのに、なんでコーヒーって言ったの?」

「……だって、喫茶店のメニューってコーヒーが一番安いじゃない? もしいつか皆が戻ってきた時、お金返せー! って言われたら……安く済む方がいいかなって」

「でも、飲めなかったんだ」

 アンナは口をへの字に曲げた。慣れれば飲めるよと言ってはいたが、なんだか不憫になってくる。今日は紅茶かジュースをプレゼントしてあげようと思った。

 お金を返せと言われても、僕たちはどのくらいこのモールのものを使ってしまったのか、今はもう分からない。皆だって、返してとは言わないんじゃないだろうか。賞味期限が切れそうなものから食べ物は食べたし、子どもだけで生きていたのだからと許してもらえそうだ。それでも、アンナはそういうところを気にする。

 家具売り場からは外の様子がよく見える。今日は雨みたいだ。

 隅に置いておいたブルーシートを荷台に乗せて、アンナと一緒に屋上駐車場へ向かう。ショッピングモールでたくさんの水を貯めるのは骨が折れるので、雨の日に大量の水をブルーシートに貯めて風呂に使っているのだ。もともとはマユのリクエストで始めた湯船づくりだけど、雨集めにいっつもマユは参加してくれない。いつも、僕とアンナが二人でいつも肉体労働組に回されるはめになる。アンナが力持ちなのが、唯一の救いだ。

「今日の雨はあんまり溜まらなそうだね」

「もう少しブルーシート持ってきて、範囲広げておこうか」

 この間、ジョセフはホームセンターの園芸コーナーで野菜や果物を採ってくれている。申し訳ないと思いながらも、園芸コーナー全部に土を撒いて畑を皆で作ったのだ。遠くの河原まで畑を作りに行くよりは都合がいいけれど、下がタイルなので水はけが悪くて、最初はなかなかうまく育たなかったのを、ジョセフが研究して最近は好調だ。僕は、研究にちょうどよさそうな本を見繕っただけだけど、夕飯の時にジョセフが野菜を持ち帰ってきた時には、出來は小さかったけどすごく嬉しかったのを覚えている。

「今日はトマトが採れるって言ってた」

「トマトの苗、多めに植えたんだよね。アンナが好きだからって」

「優しいよねえ、ジョセフは~」

 本当はアンナにだけ特別優しいのだけど、鈍感なアンナは全く気付いていない。やきもきしながらも、ジョセフはアンナを好きなんだと僕たちがバラしてしまったらいけないような気がして、いつものようにうなずくだけだ。

 水を貯めたら、トイレに洗濯物を運んで足で踏んで洗濯する。マユは僕が洗うのを嫌がるので、アンナが自分のと一緒にやる。僕はジョセフと自分の分を。洗濯機を運ぶのも大変だったから、手洗いにしているけど、激しい汚れはつかないのでそれで十分な出来になる。雨が降っているから、ショッピングモールのメインロードにある木に物干し竿を引っかけて干した。ここはあんまり陽が当たらないからと、扇風機まで持ってきて乾かす。そうしないとマユが……。僕たちはほぼマユのために働いている。

 肝心のマユは、僕たちの仕事を気分によって見に来たり、そうじゃない時は町を出歩いて帰ってくる。最初の方はショッピングモールの服を全部着ると言っていたけれど、すぐに飽きたようだった。どこに行っているのかは本人が言わないので、僕たちも聞かない。危険なことはしないと思う。彼は自分の身体が傷ついたり疲れるのが何よりも嫌いだから。

 洗濯物を干し終わって、食材を集めにスーパーに行く。生ものはもう終わってしまったので、缶詰やレトルトがメインだったけれど、一部賞味期限がまずそうなものが出始めていた。調味料がけっこう軒並みマズい状態。これがなくなったら調理に困るな……と、僕たちは顔を見合わせた。調味料ってどうやって作るんだろう。

 集めた食材を屋上まで運んで、たまった水をお風呂に入れ、またビニールシートを張っておく。また溜まる間に食材を下まで運んで行って、今度は調理タイムだ。IHヒーターで熱して調味料をかければ大抵のものは食べられると、この生活で学んだ。それに、調味料は選び放題だ。……今のところは。

 昼食をジョセフの所へ運びに行くと、ちょうど収穫したものを持ち帰ってほしいと言われて、カートに詰めてもらう。アンナが好きなトマトがたくさん。一度にたくさん食べたがるからきっと喜ぶだろう。ジョセフと並んでお昼ご飯にした。アンナは時間がかかるからと、今日の分のプレゼントを探しに行った。

 ジョセフは昼を食べている間、タブレットでアンナが今どこにいるのか逐一チェックしていた。ショッピングモール内は安全なはずだけど、やっぱり心配らしい。これが終わったら、今度はペットコーナーの動物たちに餌をやる。僕はそれを手伝ったら、カートに乗せた野菜たちを持ち帰って冷蔵庫にしまう係だ。

 取り残されたペットたちは、小さい檻に入れられたままだ。可愛そうだけれど、放し飼いにして収拾がつかなくなるのも困る。せめてもの償いに散歩をさせてあげるのは、朝と夕方、マユの役目だ。マユは面倒くさがり屋でサボり魔だけど、今日もきちんとやったらしいことが、リードがほっぽり投げてあるので分かる。片付けは僕らの仕事だ、ということだ。けれど、散らかっているのを見れば散歩してもらえたことが分かるから、僕たちは特に注意もせずにいた。マユは、動物には優しい。

 僕はここに来るまで、ペットを飼ったことがなかったから最初は怖くて仕方なかった。爪を切ったり、毛を切ったり、お風呂に入れるのだって、何か間違いをして怪我をさせてしまったらどうしようとびくびくしていた。けど、それももうすっかり慣れている。餌を持ってきたら喜んでくれるのも、嬉しい。名前を付けたら情がうつるからとジョセフに言われて、皆名無しのままだけど、それでもすっかり、僕は彼らを大切に思っていた。

「明日雨じゃなかったらゴミ焼きだな」

 うん、と僕は頷く。燃えるゴミだけは外の駐車場で燃やす。分別を面倒くさがるマユのせいで、一度すごい臭いのガスが出てから、ゴミ焼きの前の日はゴミのチェックをすることにしている。灰は野菜の肥料にしたり、近くの河原に捨てに行ったり。燃えないゴミはどうしようもないので、なるべく出ない様に気を付ける。僕たちはこうして、自分たちの生活が、全て人ありきだったことを今更、毎日少しずつ学んでいくのだ。

 今日のプレゼントは、ジョセフにバスタオル、マユにネイルシール、アンナに紅茶を持って帰った。

 僕が貰ったのは、ジョセフからノート、アンナから万年筆、マユからスーツのジャケット。全部一気に持ってみたら、文豪みたいだとマユが笑った。アンナは、本をたくさん読んでいるから、僕に小説を書いてみたらと思ったらしい。ジョセフも、同じことを考えていた。マユは、今時紙に書く人なんかいないよとまた笑ったけど、脳を整理するのは手で書くのが一番だとジョセフが反論した。

 議論が白熱する中で、僕は自分に書きたいものがないことに気づいて、こっそり焦っていた。読むのと書くのは、全然違うから。

 けれど、貰ったノートに何も書かないのも、万年筆のインクが使う前に揮発するのも申し訳なくて、僕はベッドの上で日記を始めることにした。昔つけた日記は1週間も経たずに書くことがなくてやめてしまっていたけれど、今度は少しだけ、気合を入れて長く続けてみたいと思った。

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