いい意味でどうせ死ぬ
占星術師のマドモアゼル・愛さんの
「金輪際の悪の世でどう生きるか」
というタイトルのYouTube動画を見ました。
「金輪際の悪の世」って、とても印象に残る言葉です。「金輪際」とは、仏語から来ていて、「底の底まで」「極限まで」といった意味。
今の社会のピラミッド構造のトップを、悪魔に魂を売ったような人が牛耳っている。そんなどうしようもない悪の世で、私たちはどう生きるのかという今一番大事であろうテーマについて語られています。
そして、今世界中で彼らがやっていることは、アフリカ大陸で人々を奴隷として連れ去った頃と全く変わっていない。
人を評して「悪魔のような」というのは、比喩としてよく使われる言葉ですが、そうではなく、本当に悪魔でないとできないようなことが行われてきたと、私自身も感じています。
怒りも悲しみも通り越して、笑うしかないような状況ですね。
誰しも、どうせいつか死ぬ。
絶望するしかないようなこの状況に対し、愛さんは、誰にも否定できない真実を一つの救いとして提示します。
「こんな世の中、生きている意味がない」とか「果たして自分や大切な人は生きていけるだろうか」と悩みや心配はつきませんが、そうしているうちにも、いつかは分からないけど必ずお迎えが来ます。
それに比べたら、日々の人間関係とか出世とか、日頃悩んでいることはちっぽけなこと。ささいなことに心を砕き、頭を悩ませて生きていくなんて、馬鹿馬鹿しい限り。
どうせ死ぬのはたしかだけれど、一方で、死ぬまでは生きるのだ。
何かやろうとするなら生きている間だけ。
なのに、くだらないことに執着して、多くのものを捨て過ぎてはいないか。
そんな時代の中で、私たちはいかに生きるかが問われている。
愛さんはそう締めくくっています。
どう生きても自由です。
目と耳を塞いで「知らぬが仏」でいてもいい。
ただ、最近はこの成句の意味が変わり、「見るべきものを見ず、無知なままでいると、仏様になりますよ」という警句になったそう。
ボーッと生きるのも命懸け、ということでしょうか。
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