「お金の量と豊かさは比例しない」という意外な真実
お金の量と豊かさの意外な関係について書いてみます。
お金がたくさんあるほど豊か。
誰かからこう言われたとしたら、どうでしょうか?
そりゃそうでしょ。当たり前じゃないかと、つい納得しそうになりませんか。
しかし、実はそんなことはありません。
コミュニティレベルで考えてみる
まずは社会という枠で捉えてみると、それがはっきり見えてきます。
たとえば、ある特定のコミュニティAに1兆円というお金があるとします。
もう一つのコミュニティBには2兆円のお金があるとします。
ABとも人口は同じで、1兆円はお金が行き渡り取引が円滑に行われるのに十分な前提です。
ある年に、Aではお金がグルッと10回回転し、10兆円の取引が行われました。
同じ年、Bではお金は2回転しかせず、4兆円の取引が行われました。
さて、AとBどちらのコミュニティが豊かでしょうか?
価値交換の金額としては、明らかにAの方が大きいですよね。
取引の質や物価水準が同じと仮定すると、お金の少ないAの方が豊かな社会と言えます。
このように考えると、お金の量が豊かさと関係しないのは明らかです。むしろ、流通速度の方が豊かさに関係していることがわかります。
しかし、実のところ、本当はこれもわかりません。
取引の質や物価水準は必ずしも同じではないためです。
たとえば、心底価値を感じる大好きな洋服に払うお金と、全然価値を感じず欲しくもない置き物を押し売りで売りつけられて払うお金は、たとえ金額が同じでも、買い手が感じる豊かさは天地の差があります。
やや極端な例ですが、前者と後者どちらに近いものがどのくらいの割合かで、コミュニティに生まれる豊かさの量が左右され、一概にどちらが豊かとは言えないことがわかると思います。
コミュニティを例にとると納得がいきやすかったのではないでしょうか。
個人の場合
実は、上記は個人においても同じです。
いくらたくさんのお金を持っていても、持っているだけでは豊かさは生まれません。
お金を使ってサービス、商品と交換して初めて価値を受け取り、豊かさを感じることができるはずです。
取引の質に関しても同じです。
喜びの循環もあれば、苦しみの循環もあります。
さらにいうと、喜びの循環はお金を使っても返ってきやすいのに対し、苦しみで流すと回路から漏れてしまって返ってきにくいのです。
お金からしてみると、苦しんでお金を稼いだり使ったりする人のところに寄りつきたくないのは、容易に想像がつきます。
このようなに、お金の量に関わりなく、どれだけ豊かさを感じられるかはなべて自分次第なのです。
稼ぎ方、使い方の工夫によって、循環するお金の量、速度、質のすべての要素に影響を与えることができます。
お金の制限から解放されたら、稼ぎ方、使い方について、どのようにお金と付き合いたいか、考えてみるとよいように感じます。
今日も読んでいただき、ありがとうございました。
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