夏のはじまり
二〇二四年、七月末。
わたしは大きな選択肢を目の前にして、夏休みを迎える。
ー 大学を休学するか、しないか。
現状、ほとんど大学に通えていない。
今期取れた単位は片手に収まるくらい。
変な時間に起きて変な時間に寝て、
朝が来ることが怖いまま、月日だけが経っていった。
スーツが不釣り合いな髪色のまま始まった就活も、
どこか自分のことではないように感じて、
めまいのするほど高いビルの中で、一人置いてけぼりな気がしていた。
一年半後、わたしはどこで、何を。
児童福祉職に就くと決めて、数ヶ月。
公務員試験の問題集も、社会福祉士のテキストも、
ろくに手をつけられないままで、ぼんやりと毎日が過ぎていく。
ひとつ、ふたつと薬が増えて、
コンビニのごはんは飽きるほど食べて、
ぐちゃぐちゃの部屋で死んだように眠る。
こんなわたしに、できることなんてあるのだろうか。
就活の話が出るたびに、1年半後わたしは生きているのだろうか、とすら思う。
それくらいに、非現実的なことに思えて仕方ないのだ。
休学の二文字が頭をよぎるようになったのは、つい最近のことだ。
休学して、海外留学でも行く?
そう、母が言い出したのだ。
昔の母なら、今のわたしの状況に 何甘えてんの、と怒るに決まっている。
しかし、母は静かにこう続けた。
ちゃんと考えて、あんたにとって必要なら
休学してもいいんじゃない
鈍感な母ですら、わたしに限界が来ていることに気付いていたのかもしれない。
大学に通えなくなってから、両親には申し訳ない気持ちでいっぱいだった。決して安くはない学費を何も言わずに払ってくれていて、一人暮らしまでさせてくれている二人にとって、わたしはどんな娘に見えているのだろうか。
母もきっといろんな思いを抱えていたと思う。
普通の母娘の関係になるまでにものすごく時間がかかったせいで、
素直で自慢できるような娘とは程遠く育ってしまったけれど、
母はそんなわたしでもちゃんと見てくれているのだ。
そして、小さい頃からずっと、わたしが海外に行きたがっていたことも
母は忘れていなかった。
昨年の夏、10日間だけ留学したオーストラリアでのわたしのいきいきした姿が
ものすごく新鮮だったことも。
休学することがわたしにとって逃げや甘えなんじゃないか、という気持ちもまだ残っている。
1、2年で単位をたくさん取っていたおかげで、4年で卒業することもまだ難しくないのだ。
もちろん資金の面や実習との兼ね合いもあり、簡単に夢を見ることはできない。
しかし、休学という選択肢があることが、わたしの中の焦りを和らげてくれた。
就活、卒論、単位数、、周りと比べなくてもいいのだと。
命の危機が迫るほど、自分を追い詰めなくてもいいのだと。
秋になれば長い長い実習が始まる。
不安でいっぱいだけど、いま不安がっても仕方ない。
目の前のことを少しずつこなして、
まずはこの夏を精一杯に生きること。
それだけを目標に、長くて短い、わたしの夏が始まる。
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