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【滋賀県】琵琶湖〜斎く島・竹生島(2024/05/25)
琵琶湖汽船の『竹生島クルーズ』で、“神の棲む島”竹生島(ちくぶしま)へ渡りました!
琵琶湖の湖西(今津港)と湖東(長浜港)、どちらからも出航しており、また、今津⇔竹生島⇔長浜と横断する利用法もあります。
今回は、いつにも増して写真がてんこ盛りです!
※写真のキャプションのカッコ内は写真を撮影した時間です。
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予約は前日までの受付。急に思い立ったので予約しておらず、なるべく早くチケットを確保したいので(長浜港10:15発の便)1時間前に乗り場に到着。すると、すでに駐車場は満車というかクルマが大きいので港の方に停めてくださいと場所を教えていただきました。
「予約はしてますか?」「してません、今からチケットを買います」「では、この整理券をどうぞ」
もう予約だけで満員に近いのだろうか。よほど利用客が多いようです。
港の駐車場は、先端の方は有料ですが手前は無料です。釣り客なども利用しているので、こちらも満車になるかも。
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この日は土曜日。いつもは土日を避けるんだけど天気予報によると翌日から荒天になるらしいので駆け込みです。
出航までは30分以上あるのに、お客さんが待合室からあふれてます。
・竹生島クルーズ|長浜港〜今津港|琵琶湖汽船 - びわ湖クルーズ
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乗船料は、大人(中学生以上)3,400円、小学生 1,700円。
けっこう大きな船なのにチケットが取れなくて乗れなかった観光客が続出。だから駐車場の警備員さんが整理券をくれたのか! ありがたい心遣い。
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明日から天気が崩れるという予報は当たるのか? 頭上には日暈が。
でも特別な気分を盛り上げてくれます!
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約30分のクルーズ。船内では琵琶湖や竹生島の案内が流れます。
日本遺産「琵琶湖とその水辺景観ー祈りと暮らしの水遺産」
人々は、琵琶湖の水や山からの湧き水を生活の中に巧みに取り入れ、水を汚さないように工夫をしながら生活を営んできました。
また、水を神として敬い、信仰の対象としてきました。さらに、湖辺の集落では湖魚を用いた独自の食生活や伝統的な漁法が育まれ、独自の景観を生み出してきました。
滋賀では、このような水と人との関わりが今も息づき、大切に受け継がれています。
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ずっとデッキにいたのですが、すごい風で避けるようにしていたら、いつの間にか竹生島にこんなに近づいてた!
竹生島は、島そのものが御神体です。
明治時代までは女人禁制とされていたそうですが、竹生島の神様は弁財天様です。
能「竹生島」(作者不詳)では、以下のようなくだりがあります。
延喜帝(醍醐天皇)の臣下が、竹生島の弁才天の社に詣でようと琵琶湖にやって来ます。臣下は、湖畔で出会った老いた漁師と若い女の釣り舟に便乗し、湖に浮かぶ竹生島を目指します。(略)
連れの女も一緒に来たので、臣下は老人に「竹生島は女人禁制ではないのか」と問いかけます。するとふたりは「竹生島は女体の弁才天を祀り、女性をお隔てにならない」と返し、島の由来を臣下に語り聞かせます。
その後女は、自分は人間ではないと明かして社の御殿に入り、老人は湖の主であると告げ、波間へ消えていきました。
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例によって下調べはほとんどしていません。あれは何だろう?
何があるのか、どんなところなのか、ワクワクします。
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予定通り、30分で竹生島に着岸。すごい観光客の多さに、まず驚きました。今津港からの船も到着しているので、拝観受付(入口)付近は長蛇の列です。
並ぶのは好きじゃないので、ここは人がハケるまで港でノンビリ。
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写真:左=なるほど、こんな感じなのね。この写真を撮っておけば迷子にはならなさそうだ。
ちなみに竹生島は無人島で、ここで働いている方々も船で通ってきているそうです。
そして人が立ち入れる区域は、この範囲だけ。島の、ほんの一部分だけでした。
写真:右=帰りの船の時間をチェックしておかねば。帰りも船で30分、入浴して〜道の駅に移動して〜と考えると遅くとも15:10に乗らないと。
今、11時だから十分だとは思うけど何があるか分からないからなぁ。
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『竹生島』と刻まれた石碑の土台に注目。何この岩? この前、沼島で見た鞘型褶曲(さやがたしゅうきょく)みたいだけど、似てるだけ? それとも運んできたのか?
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入島入り口までの通路に、お土産屋さんが数件ありました。島にお店はないんだと思ってたので、さすが人気の観光地なんだな。でも食事ができるようなお店がなかったので、食べてきておいて正解だった。
軽食は肉まん、おでん、あげもち、ソフトクリームなどがありました。
トイレに行ったりして、空いたところでチケット購入。
拝観料は大人600円、小学生300円です。
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順路も分からないので、参拝案内のイラストマップに「→」と書かれていたとおり、まずはこちらの朱色の鳥居をくぐって行きます。
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右手を見下ろすと、先程の港が一望できます。漁船のような船は従業員さんたちの通勤用かな?
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ガァガァと声がする方に目をやれば、可愛らしいヒナを引き連れたカモさん発見。なんか1羽だけ水面を歩いてるように見えるんですけど。
上空では鳶がピーヒョロロと旋回しているので、もしかしてヒナを狙ってるのかなと不穏に思いながら、それも自然の摂理と心を落ち着かせてみたり。
安全そうな湖岸に身を寄せたので、わたしも移動。
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真っ先に手を合わせることになったのは、こちらの黒龍堂。入り口でいただいたパンフレットに載ってないではないですか。
能「竹生島」の最後に龍神が湖上に現れるシーンがあるそうですが、その黒龍が湖より昇ってくると伝えられているのが、こちらの御神木だそうです!
2枚前の写真、港の左側にちょこっと写っている仁王崎(に生えてる木々の枝先)が、黒龍大神の入り口と云われています。とっても小さい岬です。
この御神木は、その岬の上に鎮座しています。
黒龍は、八大龍王の一尊。龍王は、大海に住み雨を降らす神である。また、釈尊の誕生時には歓喜の清浄水(清めの雨)を降らせたと伝えられ、修行者の修道無難、道念増進の守護神でもある。
隣に立つ大木は、黒龍が湖より登ってくると伝えられる神木である。黒龍堂は、昭和45年(1970)大阪・岡橋氏により建立された。近年、堂の傷みが進んでいたが、平成7年(1995)解脱会有志の方々により修繕、合わせて鳥居が再建された。平成七年3月吉日 竹生島宝厳寺
扁額には、黒龍大神と黒龍姫大神の二柱が刻まれていますが、そのことには触れられていません。夫婦龍なのでしょうか。御神木も真ん中に大きなウロがあると思いきや、2つの木が合わさっているようでした。
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写真:右=招福弁財天を祀る弁財天社。
写真:左=弁才天の神使・白蛇神である白巳大神を祀る白巳社。弁財天社と隣り合っています。
白蛇信仰ということで、柱に「金寶冨貴」とあるが、招福・招財の弁才天を表す枕詞でもあり、当社と江島神社は共に「金寶冨貴の聖地」と謳われている。
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湖に面して建っている竜神拝所では、お守りや可愛い御神籤、「幸せ願いダルマ」などが並んでいます。それらの写真撮影は禁止です。
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拝所には、たくさんのお供え物が。
執筆中の今、知ったのですが竹生島のお祭りは完全予約制。
三社弁財天祭(6月10日)、龍神祭(6月14日)、例大祭(6月15日)は竹生島神社の境内で執り行われ、一般の方は14時頃まで神社境内に入ることができないそうです。
・竹生島まつり Grand festival
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写真:左=ここを訪れた方がこぞってチャレンジする“かわらけ投げ”。
2枚のかわらけのうち、1枚に自分の名前、1枚に願い事を書いて、投げたかわらけが鳥居をくぐれば願い事が成就すると云われているそうです。
戦勝祈願の一貫として、武士が出陣する際に酒を飲み、その盃を割る儀式(?)が「かわらけ投げ」の起源とされていますが、それが何時どうしてここで鳥居をくぐらせるようになったのかは不明です。
青い空、青い湖、佇む宮崎鳥居、そしてかわらけで白い砂浜のようになった岬。ここは弁財天様しか通れないと云われているそうです。
【能楽から紐解く竹生島の魅力】によると、黒龍大神も通ることができないので先程の仁王崎が黒龍大神の入り口と云われているらしい。
写真:右=奉納されていた龍神図
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国宝・都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)本殿の手前、左側には天忍穂耳命と大巳貴命、右側には江島大神と厳島大神が祀られています。
パンフレットによると都久夫須麻神社 本殿は、豊臣秀吉が天皇を迎えるために造った【日暮御殿】という伏見城内最高の建物を、神殿として寄進(移築)したものだそうです。
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写真:左=番犬代わり? 竹生島にもイノシシとかいるのかな。
写真:右=石柱に刻まれた模様に惹かれる〜
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本殿にお参り。内観はできないのですが、天井画は狩野永徳光信の作と伝わっています。(パンフレットに写真が載っています)
御祭神は
市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)
宇賀福神(うがふくじん)
浅井比売命(あざいひめのみこと)
黒龍大神
市杵島比売命は、しばしば弁財天と同一神とされていますが、浅井比売命とは? いかにも琵琶湖周辺に縁がありそうな名前です。
最古の竹生島縁起(承平縁起)の記述が、都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)- Wikipedia に掲載されていました。
承平縁起には、キフキオノミコト(気吹雄命。伊吹山の神格。タタミヒコノミコトと同神)と、姪にあたるアサイヒメノミコト(浅井比売命)の勢力争いについての伝承が見られ、後代の史料もこれを旧記として採用していると考えられる。
その一つ、『近江国風土記』の逸文にあたる『帝皇編年記』(室町時代前期後半に成立)の養老7年条(723年の文)には、夷服岳(伊吹山)であるところのタタミヒコノミコト(多多美比古命)が姪にあたる浅井岡(※金糞岳比定説が有力)のアサイヒメノミコト(浅井比咩命、浅井比売命)と高さ比べをし、浅井岡が一夜にして高さを増したので、負けたタタミヒコノミコトが怒ってアザイヒメノミコトの首を斬ったところ、その首が湖に落ちて竹生島になったという記述がある。
(略)
また、承平縁起によれば、日本の国土がまだ固まっていなかったとき、オオナムチノミコト(大己貴命)とクエビコノミコト(久延産命)は龍神に命じて、国土を五つの神杭に結んだという。この五つの神杭とは富士山・金華山・江ノ島・厳島・竹生島であったといわれ、つまり、竹生島は日本の、すなわち「ヒノモトツノクニ(霊之本津国、霊の元つ国)」の根源の一つであったという。
(略)
『惣国風土記』は、雄略天皇3年(459年、古墳時代中期)にアサイヒメノミコト(浅井比売命)を祀る小祠が建てられたと伝えており、当社はこれをもって創建としている。
あるいはまた、天智天皇(626 - 672)による志賀宮(近江大津宮)創建の際、宮中の守護神として竹生島にアサイヒメノミコト(浅井比売命)が祀られたという。
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豊臣秀吉の御座船「日本丸」の骨組みを利用したとされる宝厳寺渡廊。通称、舟廊下(重要文化財)。
急斜面の崖に架けられた舞台構造(懸造)となってます。2枚あとの写真が、よく判るかも。高所恐怖症の人は、外を覗けないくらい高い。
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西国三十番札所 観音堂の廊下は豪華な彫刻がカラフルに彩られています。
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観音堂内部の写真は遠慮しました。
写真:右=舟廊下を外側から見たところ。この下の道を(写真:下から上へ)歩いて来ました。下側の先は黒龍堂。上の先には弁財天社・白巳社…と続きます。
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わたしは観音堂を舟廊下の方から入ってきましたが、正面である唐門から入ると真っ先に出迎えるのが、こちらの「おびんずる様」こと賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)様です。
賓頭盧(びんずる、Piṇḍola-Bhāradvāja, ピンドーラ・バーラドヴァージャ、音写:複数あり)は、釈迦の弟子の1人。獅子吼(ししく)第一と称される。十六羅漢の第一。バーラドヴァージャはバラモン十八姓の中の一つである。
(略)
日本ではこの像を堂の前に置き、撫でると除病の功徳があるとされ、なで仏の風習が広がった。この像を「おびんづるさん」「おびんづるさま」と呼んで親しまれてきた。
わたしも、お膝を撫でさせていただきました。
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唐門とは、唐破風(からはふ)をもつ門という意味です。
豊臣秀吉が建てた大阪城極楽橋の一部で現存している唯一の大阪城遺構としても注目されています。
(略)
桧皮葺(ひわだぶき)、建物全体を総黒漆塗りとした上に金鍍金の飾金具が散りばめられ、虹梁中央の蟇股の周囲には鳳凰や松・兎・牡丹の彫刻を、二枚の大きな桟唐戸や壁には牡丹唐草の彫刻を極彩色塗りとして飾っています。豪華絢爛と言われた桃山様式の『唐門』の代表的遺構です。
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写真:左=時おり空を見上げると、まだ日暈が出ていました。何だか神秘的。
写真:右=「西国三十三所 草創1300年」の幟が、あちらこちらに(草創1300年記念行事は令和5年3月31日終了)
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写真:左=またしても階段です。登ったり降りたり、かなりヘトヘト。
写真:右=ぼけ封じ、諸病封じの楽寿 観世音菩薩様にもお参り。
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ちょうど、お昼の音楽が鳴りました。港には、また船が到着。
写真を撮っておいたイラストマップが大雑把すぎて、自分がどこにいるか分からなくなってしまった。先程の観世音菩薩様もマップに載ってません。港の位置からすると「たぶん、このへんかな」という感じ。
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西国三十三所観世音奉安殿。ちょっと先の左には行尋坊 天狗堂。地図に載っている場所に出ました。
なぜ天狗?「行尋坊」というのは名前だろうけど、修験道の名残かな?
今(執筆中)調べてみたら、以下の文書を見つけました。
作家・白洲正子さん(1910-1998)は好著『近江山河抄』のなかで、行基の開創当時の竹生島は天狗が多く住み、首領・行尋坊は行基を尊崇し片時も傍らを離れず、「吾れ死すとも永くこの島を護らん」と誓い、証拠として生爪を剥ぎ取り差し出したという言い伝えをとりあげています。
今もそれを宝物殿のケースの中に見ることができます。
このあと宝物殿にも行ったんですが、記憶にない…。
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写真:左上=行尋坊 天狗堂、左下=紗音天堂
写真:右=水盤舎(手水舎)
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正面に宝厳寺本堂(弁財天堂)が控えています。
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その手前右手は不動明王が睨みを効かせる。
向かって右に矜羯羅(こんがら)童子、左に制咤迦(せいたか)童子を従えています。
個人的に、お不動さんは大好きです。あんまり意味とか知らないけど。真言も唱えられないけど。お不動さんは「揺るぎない守護者」。
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江ノ島・宮島と並ぶ「日本三大弁才天(日本三弁天)」の一つ、本尊秘仏・大弁財天が祀られています。
宝厳寺は、神亀元年(724)聖武天皇の夢枕に天照皇大神が立ち、「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう」というお告げを受け、行基を勅使として遣わし堂塔を開基させたのが始まりで、大弁財天は、その開山時に行基が開眼したものです。
日本三弁天のなかで最も古い歴史を持ちます。
大弁財天と、観音堂の御本尊・千手千眼観世音菩薩像は、60年に一度だけ御開扉される秘仏です。次回の御開扉は2037年。
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写真:左=開創1300年記念の刺繍御朱印、切り絵御朱印を求めて列ができていました。
写真:右=雨宝童子をお祀りする雨宝堂。
雨宝童子とは、神仏習合の両部神道における神で、天照皇大神が地上に降り立った時の姿(=化現/けげん)といわれています。
その姿は、頭上に五輪塔を掲げ、右手に宝棒、左手に宝珠を持つ童子として表されます。
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写真:左=三重塔。本来は、お釈迦様の遺灰を納めた仏舎利塔を形どったものだそうです。
平成12年(2000)、江戸時代初期に焼失したと言われている「三重塔」を、約350年ぶりに復元しました。(宝厳寺探訪(三重塔)|竹生島・宝厳寺 より)
写真:右=枝ぶりが旺盛な、樹齢400年のモチノキ。
片桐且元が観音堂などの普請奉行として来島した際に手植えしたと伝わる、いわゆる記念樹。
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写真:左=宝物殿の拝観料は300円。
左下=内部は撮影禁止なので、弁財天像をメモりました。確か北条政子が寄進したとされる八臂(はっぴ)弁財天。
写真:右=この亀さんだけ撮影OKでした。
個人的に、一番気になったのは「面向不背の珠」。水晶の中に、四方どこから見ても正面を向いているお釈迦様(っぽい)が浮かんでいます。
宝物殿のパンフレットに載ってなかったので説明書きをメモったけど、宝厳寺ウェブサイトに載っている内容と違います。
伝説などによると藤原不比等(ふじわらのふひと)は唐の皇帝である高宗から三つの宝石を送られたが、その際、宝石を積んでいた船が志度(香川県さぬき市)の海で嵐に遭遇し唐の使いは「面向不背の珠」を海神に投じて難を逃れたという。本寺への伝来の経緯は不明。
香川県にある志度寺に「海女の玉取り伝説」というお話があります。
藤原不比等が、中国の唐に嫁に行った妹からもらった『面向不背の玉』を持って都に帰って来る途中、龍神に奪われてしまいます。
藤原不比等は玉を取り返そうと志度の地にとどまり、そこで出会った海女と恋仲になります。そして、海女に自分のこと(玉のことも)を話します。すると、二人の間に生まれた男の子を藤原家の正式な跡取りにと約束し、自分の命と引き換えにその玉を取り返しに行きます。
自分の乳房を切り、そこに玉を入れて持って帰り死んでしまう悲しいお話として、能の「海士(あま)」で語られています。
『面向不背の玉』は奈良の興福寺に納められ、現在はここ、宝厳寺にあります。ただ、なぜここにあるかは今も謎のままです。
ほか、弘法大師・空海直筆の「御請来目録表」(唐から持ち帰ったお宝の目録・重要文化財)なども展示されていて、小さい館内ですが見て回るのにけっこう時間がかかりました。
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写真:左=鐘楼
写真:右=石垣が素晴らしい
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急勾配の狭い範囲に、石段がいくつも張り巡らされています。作った人は本当にすごいと思う。
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写真:左=石碑には「明治四十一年」と刻まれています
写真:右=これはセダムではないか?
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誰もいなくて何だかも分からなかった「本坊」。
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湖底深井『瑞祥水』についても、宝厳寺ウェブサイトに記述がありました。それによると、何と…
御本尊・大弁才天様の御託宣により平成十四年(2002)十一月に掘られたのだそうです!
折りしも、昭和六十二年頃よりの川鵜の異常繁殖によって緑樹は枯れ、山崖は崩れ、全島にわたって大きな被害を受けています。
これによって山の保水能力が下がり、湧水が枯れ果て参詣の皆様・寺内関係者の飲料水はもとより環境衛生の確保も困難という事態になっていました。
そんな折、夢枕にございましたのが、ここに井戸掘れとの御本尊様よりのお告げの声でありました。
しかし、このような湖中の小島での井戸工事は前例が無く、また通常の井戸の観点より考えれば水が出る可能性は低いといわれています。
更に一枚岩盤の島なので、その工事さえも困難が予測されるという悪条件での工事でしたが、約1年の工期をかけ井戸を掘ったところ、深さ230メートル(湖底下約130m)より御本尊様の御託宣どおり清浄水が出たのであります。
どなたの夢枕に立ったのでしょう。現代でも、こんなことが起こるんですね。
ここは「水汲み専用」です。手水舎は、隣に設置されています。
ペットボトルに汲ませていただきました。
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写真:左=手水舎。ここにも「巳」の文字が。
写真:右=まさか、車いす用だろうか? 消防用?
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どの案内図にも載ってなかったけど注連縄が張ってあり、根本の窪みには賽銭箱のような竹筒が設置されています。クスノキかな。
隣の建物は現在、使われていません。昔は茶屋とかだったのかな。
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写真:左=扁額の文字が難しくて読めない。
「神□大菩薩」で検索したら「變」だった。神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)。更にググったら、役行者(えんのぎょうじゃ=役小角・えんのおづぬ)の諡号だった!
写真:右=その祠の隣に育ってるビワの葉が、めっちゃ大きい!
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ゴールが見えてきました。帰りたくないよ〜〜〜って気持ちに…
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写真:左=不明の石碑。
写真:右=石碑の下に安置されているお地蔵様と、何の像だろうか達磨落とし状態に割れてしまっている。
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写真:左=これも謎。マニ車かなと思ったけど、お経は刻まれていない。
写真:右=これも謎。上部には東西南北を表しているであろう十字が刻まれてた。
パンフレットもイラストマップも、なかなか不親切というか説明が抜けてる。紙面に限りがあるから端折ったんだろうけど。
宝厳寺ウェブサイトが一番、詳しい。助かりました。
![](https://assets.st-note.com/img/1717834534033-7PfID3jUCp.jpg?width=800)
鳥居の扁額には、宝厳寺の山号「巌金山(がんこんさん)」の文字。真下に、さきほどの瑞祥水があります。
ここを降りたら港です。名残惜しい。
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予想よりも早い、13:45発の便に乗ります。それでも、約3時間も滞在してたことになりますが。
![](https://assets.st-note.com/img/1717834605517-7Egg7p6ktT.jpg?width=800)
来た時は謎だった、突き出した白い岬の岩壁や鳥居。帰りは違って見える。
![](https://assets.st-note.com/img/1717834649645-38KeuwNw0q.jpg?width=800)
気がつけば、雲が遠のいてスッキリとした青空が広がっていました。まさに「蒼天」って感じ。
船が上げる水しぶきに虹がかかり、清々しい風に心を委ねる。来てよかった〜。
![](https://assets.st-note.com/img/1717834683478-hkugJfAJs9.jpg?width=800)
*おまけ*
帰りにお土産屋さんで「滋賀おでん」をテイクアウト。赤こんにゃく・丁時麩・伊吹たまごの3種類で450円でした。
おでんというと辛子のイメージですが、ゆずの風味で優しくまろやか。
ただ持って帰ってる途中に傾いてしまって、ツユがほぼなくなったのが無念…!
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