えりちゃんという人

  突然ですが私には、年に1度思い出す「えりちゃん」という女の子がいます。

   高校2年生だった当時の私は、学校にどうしても行きたくなくて、遅刻したり早退したり休んだりを繰り返して(のちに大学の授業で自分が不登校の定義にきっちり当てはまっていたことを知る)は、家でCSのスペースシャワーTVを観て過ごしていた、ド根暗な女子高生でした。
   周りに友達がいてもひとりぼっちだと感じたり、なんでみんなみたいに普通の高校生活を送れないんだろうと毎日思っていました。人と違う自分でいたい、って思いがあるけどどこか寂しい。きっと10代の頃って、みんな大なり小なりあるんだろうと、30代を前にした今なら思えるんだけど、当時の自分にとっては毎日がどうしようもなくしんどかった。

   そんな中でも大好きだったのが音楽とライブでした。当時はスマホもなかったので、「今アツいバンド」の情報を仕入れるのは音楽雑誌とCSの音楽専門チャンネル「スペースシャワーTV(略してスペシャ)」でした。音楽雑誌を図書館で借りては読み、お小遣いでMUSICAやCDを買う、そんな高校生時代。
   当時父親が単身赴任で、フルタイムで働いていた母親の代わりに、放課後になると夕飯を作って年の離れた弟の世話をしていた私は、月に1万円のお小遣いをもらっていました。ライブには月一のペースて行っていたし、ライブ後に耳鳴りを味わいながら1人でウォークマンでセトリを作るのが最高に幸せなひとときでした。

  そんな生活を送ってた私が、偶然にも同じ高校で知り合ったのがえりちゃん。黒髪のロングヘアでいつもヘッドホンをつけて歩いていました。進学校だったためバイトしている人が少ない中、えりちゃんは地元のコンビニでバイトをして、フジファブリックとcinema staffのライブのために県外にもよく遠征をしていました。今振り返ってもそれを16歳でやってるのがほんとにかっこいい。笑
    ひとりぼっちだと思ってたのに、自分と同じようなものを好きな人に出会えるって、ほんとうに嬉しいし、そこから少しだけ生きやすくなるのは、今も昔も変わらない気がします。

   さて、12月24日はフジファブリック志村さんの命日です。
   あの日の夜、テレビをつけると、字幕で志村さんが亡くなったということを知りました。当時はたしか金曜だったかな。今でも覚えているもんだなあ。

   えりちゃんとは高校を卒業してから疎遠になってしまったけど、仲良くなってすぐフジファブリックの良さをプレゼンされ「これは絶対聴けよ」と、アルバム「TEENAGER」を渡され、SONYのウォークマンに入れて何度も聴いたこと、リアルタイムでシングル「Sugar!!」のPVを飽きるほど観たこと、そして志村さんが亡くなってから彼女はしばらく抜け殻のようになっていたこと、毎年この日に思い出します。彼女から教えてもらったたくさんの音楽を10年以上経った今でも聴いているって、すごいね。

  えりちゃんは今でもフジファブリックを聴いているのかな。志村さんが亡くなった歳に追いついてしまいましたが、12月24日になると、 17歳のときと変わらぬメンタリティで、私はフジファブリックを聴くのです。

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