見出し画像

「わたしは最悪。」

30歳目前の私は、Filmarksで気になる作品を見つけた。
作品名と、主人公が30歳であること、”人生の方向性が定まらない”というあらすじの一文に惹かれ、少しの警戒心を隠しながら映画館に足を運んだ。

それから数日が経ち、感想を書きたい気分になったので、仕事の合間に文章を書き出して、帰りの電車内で投稿ボタンを押した。

ユリヤと同じく30歳目前の私。
観る前はヘビーな感じかなと身構えてたけど、ほんとに日常だった。
あんなに自由に生きられるユリヤが羨ましく思えた。
でも、わかる。
今はこれが最善、と思ってたし、
全部を言語化して枠にはめようとしないでと、感じるままに生きたいユリヤに共感した。

あとは、
「何かを待っているように見える」
って言われてたセリフが刺さってしまったなあ…

結局ユリヤは自分の人生をちゃんと生きてて、その姿がかっこよくて私は好きだった。
私は最悪だけど、君は最高だよって思った。
(Filmarksでの私のレビュー)

家に帰って改めて自分の感想を読み返すと、1件のコメントがついている。
「素敵な感想。こう思えるあなたも最高ですよ!」

私は一人、薄暗いキッチンで泣きそうになってしまった。
突然現れた誰かに、背中をさすってもらったような感覚になった。
初めてもらった知らない誰かのコメントに、救われた気がしたのかもしれない。
SNSでも他者と交流することを極力しない私は、映画の鑑賞記録として投稿するだけで、感想は数えるほどしか書いていない。
そこに現れた知らないあなたへ、私は慣れない手つきでお礼の返事をした。
与えられる人、になりたいと思った。

私にとって映画を見ることは、自分と向き合う時間だった。
それは見たい作品を選ぶところから、無意識に始まっている。
映画を見た自分から、自分の感情や気持ちを教えてもらい、自分の存在を思い出す。
この行為が好きだったんだ。

どこかに置いてあった遠い記憶に、色がついてゆく。

私はかつて、映像制作の学校に通っていた。学生だけで映画を作った。製作スタッフとして、初めての経験をたくさんした。
寝ずに運転した雪道の機材車。
使われていない家屋のキッチンに寝そべって血糊まみれの廊下に腕を伸ばし、この一家の死体になった夏の日。
みんなで撮ったホラー映画に盛り上がる観客を見て高揚した映画祭。
今もこの部屋で眠っている脚本。

レンタルショップの棚の前で、友達が延々とする映画の話を聞くのが好きだった。
彼のぼろアパートに飾られた「バッファロー’66」のポスターを見てプレゼントしたデニーズのマグカップ。
誰に教えてもらったか思い出せない「トゥルーマン・ショー」。
グリーンブック」を見た帰り、今度一緒にケンタッキーを食べようと話してまだ実行されない約束。

映画が好きだと大きな声では言えない。
けれど、映画には大事な思い出がある。
忘れてしまいたいほど、あった。
楽しかった記憶、後ろめたい気持ち、誰にも言えない経験がこの体にずっと染みついていて、その時々に蘇る。
忘れてしまいたいけど、どれも忘れたくない。
私は最悪。


映画が好きだと大口を叩けない私のデスクには、今日、社員の経費精算書がたくさん届いている。あと1時間もすれば、定時で会社を飛び出して、家で「キャメラを止めるな!」を見るんだ。

THE FIRST SLAM DUNK」は思ったほど私には刺さらなかったって伝えて、言い合いしよう。

RRR」も、いいかげん見に行かなきゃ。
私のキャラメルポップコーンと、ふゆちゃんの塩味ポップコーンをまた、はんぶっこしよう。


#映画にまつわる思い出

#わたしは最悪

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?