携帯は逆パカできない時代になった

#君のことばに救われた #引きこもり #留年

私は少しコミュ障です。
リアルの知り合いや家族に言わせると「何言ってんだ、こいつ?」という扱いを受けてしまうのですが、コミュ障の自覚があります。
人の顔と名前を覚えるのが本当に苦手で、今も四月から同じ職場に配属になった人の名前を覚えらていないレベルです。
結果、人と話すのが苦手になりました。
名前を間違えて怒らせてしまった記憶もあり、本当に苦手なんです。
仕事上ではだいたい皆さん名札を付けているので助かります。

ですが、そんな私にも、心の底から思う感謝している友人がいます。
大学一年生で、情報の講義1回目の時に知り合ったCです。
今回は「 #君のことばに救われた 」ということなので、そのCの言葉で、引きこもりを脱却した話をします。


私は大学の四年生の時、留年を経験しました。
留学をしていたとか、単純に講義をサボりすぎて、という理由ではありません。
とある講義で教員から、レポートが提出されていないので単位を認められないと言われ、それが卒業に関わる必修科目だったためです。

これ、自業自得じゃん。
皆さんはそう思うかもしれませんが、実情は違います。
私はその講義は必修だとわかっていたので、就活の合間を縫って出席していました。
そのレポート提出の日もちゃんと出席し、レポートを直接教壇に提出した記憶があります。

教員のミスです。
後にレポートが見つかったという報告がありましたから、確定です。

単位を認められない、卒業できないと告げられた時、すでに内定をもらっていました。
ですが卒業できないのなら意味がありません。泣く泣く内定先には謝罪の電話をしました。
当時は何回も、レポートは提出したと抗議しましたが、受け入れては貰えず、しかも時代錯誤ですがそのレポートは手書きだったため、パソコンにデータが残っているということもありません。
私は留年しました。

そもそも、ずっと精神的に不安定な時期でした。
就活での面接はもちろん、それ以上に大学のサークルで凄まじくめんどくさいことがあり、それが片付かないうちに、サークル上層部が私のことをいなくていい、役職から降ろそうとこっそり話し合っているのを聞いてしまい、人間不信になりかけていたんです。
サークルの話し合いは、私が事務仕事のかなりの部分を1人で回していて依存度が高すぎ、そこに私が気管支炎で1ヶ月以上声が出なくなってしまったことで分業の必要性がわかったためでした。
休まなければ体調が回復するはずもないと、ゆっくり休養させるために役職を降ろそうという提案でしたが、病気で呼吸さえ難しいくらいの咳で眠ることすらできず、全てをネガティブに捉えてしまうほど弱っていた私には、ひどく刺さる言葉でした。
なんで通りがかってしまったんだろう。

友人だと思っていた人たちからいらないと言われたところに、レポート紛失で卒業できず、内定先に迷惑をかけました。
未来が見えなくなりました。
折れました、心が。

そんなことがあり、人間が駄目になりました。
人が話す声は駄目。
人が動いている姿も駄目。
人の意思が感じられるものは全て駄目で、電話もメールもテレビもラジオも、本や歌付きの曲も駄目。
当時使っていたのはiPhoneなんですが、コール音が鳴ると全身が震え、触れることなんてできません。
折りたたみ式の携帯電話なら逆パカして壊していたでしょう。
さすがにそれはできなかったので、充電を一切せず、一人暮らしで固定電話などなかったこともあり、音信不通の引きこもりが出来上がりました。

それでも死にたくはなかった。
私のレポートをなくした教員を殺さねばならない。
私の人生に傷を付けた奴を生かしてはおけない。
そんな思考に呑まれたまま、夜中にコンビニへ行き、インスタント食品を買い漁ってどうにか生きつなぎました。
ちなみに、長く伸ばした髪で視界を覆い、万が一にも人の声が聞こえないようにウォークマンで鼓膜が破れるんじゃないかって音量の交響曲を流しながらの買い物です。
完全に不審者でした。
コンビニ店員さん、ごめんね。

そんな私を救ってくれたのがCでした。

Cは大学の同期でしたから、私が引きこもっていた時期は社会人1年目です。
かなり複雑な家庭で育った子で、そもそもずっと希死念慮のある私に対して
「自殺するとしてもお腹刺すのはお勧めしない。上手く刺さらないし、痛いだけで全然死ねないから。実体験な!!」
とアドバイス(?)してくれるような人でした。

社会人1年目は忙しいです。
覚えなければいけないことは多く、やらなければいけないことも多く、他人をそんなに気にしている余裕はなかったと思います。
ですが、Cは毎週のように私の部屋を訪ねてきました。
ほとんど脅しのようにドアを強く叩き、顔を見せろと何度も何度も叫ぶC。
最初は怖かったです。
「ドアの外に人間がいる!
生き物がいる!
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!!」
そう感じて、布団をひっ被って居留守を決め込みました。
けれど、それが4ヶ月ほど続くと、その乱暴なノックに対してだけ、恐怖が薄れたんです。
相変わらずその他の人は駄目でした。
新聞勧誘も、宗教の勧誘も、パニックになるほど怖かったです。

ただ、Cだけは私を傷付けないと思えました。
会話らしい会話なんて、ずっとしていないのに。

そこからはCに部屋から引きずりだされ、遊びに行くことができるようになりました。
大学にはまだいくことができませんでしたが、ゼミの教授とは連絡を取れるようになり、とりあえず卒論だけは出せました。
それから教授には件のレポートを紛失された講義の単位について相談し、隔年開催だったため、大学にも掛け合ってもらいました。

……全てどうしようもないとうなだれていた6月のある日、レポートがあったと例の教員から連絡があって本当に殺意が燃え上がる事件でしたけど。

それはさておき。
Cが私を外に連れ出してくれた言葉が、私の心を、命を、人生を救ってくれました。
すごく簡単な言葉ですが、何ヶ月もずっと反応のない相手に言ってくれる人というのはなかなかいないでしょう。

「遊びに行こう!」

理由は様々でした。
舞台のチケットが取れたから。
季節変わって、服を買いたいから。
なんとなく、などエトセトラ。

どうしてCがあんなにも私のことを気にかけてくれたのか、その理由は聞けませんでした。
ただ、彼女に救われた身としては、この恩は絶対に返したいものです。
私のことを一切責めず、ただ楽しいもの、美味しいものだけで満たされた時間をくれたC。
彼女がいなければ、本当にどうなっていたかわかりません。
事故物件を増やしていた可能性が高いとは思いますが。

ありがとう、C。
君がいてくれたから、私は今も生きている。
地元に帰ってしまったから遠すぎてなかなか会えないけど、Cが困ってるっていうなら有休つぎ込んで助けに行くよ。
助けにあまりなれなくても、絶対に駆けつけるから。
お節介って言われても止めないから。

人生で初めての、私の親友。

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