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過疎ってるようだからシャドバと漫才の話

 遊行剣禅さんが仰っているように、たしかに年末年始のnoteは過疎っているらしい。

 まさにnoteユーザーが「げんじつでちゃんとクリスマスを楽しんで」いたであろう12月25日にがっつり小説を投稿してしまったことを反省しつつ、私自身のダッシュボードを見てもたしかに過疎っているようなので、今日も今日とてシャドウバースの話でも書いておく。

 年甲斐もなくシャドウバースにハマってしまったのには、シンプルながらも戦略性の高い、1点2点を削り合う駆け引きがかえって新鮮で面白かったからかもしれない。

 シャドウバースのカードのスタッツ(コスト/攻撃力/体力)は1から始まって、大きくともバハムートの(10/9/9)、ネクロマンス20という高コストをかければデスタイラントの(6/13/13)といった程度である。そして、最終的に削るべき相手リーダーの体力は原則として20しかない。
 画像は再掲になるが、私は最大コスト8、最大攻撃力6、最大体力8のデッキで一応のエンディングまで見てしまった。

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 最近の「過剰にインフレしていく」エンタメの風潮とは逆行するようなゲームの環境が、逆に心地よかったのかもしれない。switch版シャドバの収録内容は、シャドウバースの最初期の3パックにオリジナルカードを加えたものであるらしい。だから最近の環境がどうなっているかはまったく知らないが、やはりヒット作をヒット作たらしめた最初期の環境には、それなりの面白さがあるのだ。

 このnoteでも何度か書いているように、エンタメというのはどうしても過剰にインフレしていき、拡大再生産されるのが常であり宿命である。
 例えば同じカードゲームでいえば、ポケモンカードなどは、私が小学生のころに遊んでいた最初期の環境では、HPが120もあればかなりの圧倒的なスタッツであったように記憶している。たとえばリザードンとか。

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 それが、最近の開封動画などを見ていると、HP200だ300だというポケモンがバンバン出てくる。

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 こう見ると、隔世の感がある。
 エンタメはやはり常にインフレし、拡大再生産する(否、せざるを得ない)ものなのだ。

 M-1グランプリの採点についても同じことがいえる。
 そもそも最初から疑問だったのだが、あれは小数点を1個ずらして、審査員の持ち点を10点(小数第一位まで)とし、審査員を10人に増やして合計100点満点ではいかんのか? と思っている。
 おそらくエンタメとして見せるにあたって、640点だの648点だのといった数字は、数理的に人間の脳が処理しにくいのではないかと思う。
 64.0点、64.8点に読み換えてみるだけでも、なんとなく判りやすさが増したような気にならないだろうか。

 そして、トップバッター不利、後攻有利という構図も基本的には変わらない。インフレさせなければならないエンタメの宿命だ。
 最近、そういう流れに辟易していたところがあるのかもしれない。

 

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