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読みやすさ

 昨日、文字組みの「禁則」について書いた。

 たしか小学5年生か6年生のころ、父から古いワープロを譲り受けて文章を書き始めた私は、中学に上がって初めてPC(Windows95)を買い与えられ、次第に書きにくさを感じるようになった。ワードはいまほど多機能ではなかったし、見た目も洗練されていたわけではなかったので、デフォルトのまま文章を書き進めていくと、どこかで禁則処理に引っかかって字間が不揃いになってしまう。あるいは、追い出しで右辺に不自然なスペースができてしまう。その不揃いが気になり始めると放っておくわけにはいかず、禁則処理を避けるためにわざわざ文字を削ったり、改行を加えたりという対策を講じ始めた。
 ところが、それはワードの画面上だけのことであって、作品をネットに掲載してみると字組みが違うから禁則処理が施される箇所も変わってしまい、不毛な作業だったことに、やがて気づく。
 そうして「ぶら下がり」やらワードの設定を独学で検索しながら弄り始めることになる。思えばあれが私の編集人生のスタートだったかもしれない。
 気にならなければなんということもない仕様だが、つい気になってしまう人が、編集などという因果な商売を志すのかもしれない。
 そもそも上の世代の方々はPCではなくまず原稿用紙に書く段階で拗促音やら2倍ダーシの行跨ぎに違和感を持ち始めたのだろうし、私なんぞは恵まれた環境にあったのだろう。

 もちろん書き手にも、見た目にこだわる方々はいらっしゃる。
 有名なのは京極夏彦先生で、絶対にひとつの文がページを跨ぐことはないし、じつは行頭行末の禁則処理も巧みに避けておられる。すべては読みやすさのため。その気概が見るだけで伝わってくるのだ。
 ほかに「章や短編の終わりはできる限り偶数ページ(右ページ)◯行くらいで」と指定なさった方もいた。改丁(次の章の始まりや章タイトルの扉が必ず奇数ページ=左ページに来る組みかた)の場合は、前の章が奇数ページで終わると、次の偶数ページが白紙となってしまう。その唐突さを嫌ってのことだ。また、たとえ改頁(偶数奇数どちらであっても次の章が扉なしで始まる)の仕様でも、前の章が奇数ページで終わるのは、ページをめくった見開きの時点で読者がひと区切りを察してしまうので、章の幕引きに狙った効果をあげにくいのだという。だからいつも、ページをめくったら◯行くらい(具体的には示さない。作家が経験によって得た独自のバランス感覚だから)で締めるのを想定して書いているらしい。
 章や短編の終わりといえば、末尾が偶数ページに1行だけ溢れて終わることを原則禁止にしている社や媒体もあるようだ。ところがどっこい、これに反して故意か偶然か、ページをめくったら1行だけ秀逸なオチが待ち構えていて鮮烈な読後感を残していく作品も、意外と多く存在する(じつは私自身も担当作品で三度ほど企図したことがある)。
 章や短編の終わりならば1冊のうち数箇所気をつければそれで済むが、もっと厄介なのが文中の「1行アキ」や「2行アキ」だ。節数字や印で区切るほどではない場面転換を示すために1行ないし2行空けるテクニックはよく見られるが、この空白が奇数ページの左隅にかかってしまうと地味に厄介だ。普通、読者はそのページの行数がほかよりも1行や2行少ないことなんて気づかずにページを捲るだろう。ページを捲ると、いきなり別の場面が現われる。これでは読書の流れを止めてしまいかねない。
「あれ? 間違えて2枚捲っちゃった?」
 と勘違いして、前のページに戻る読者も出てくるかもしれない。
 だから編集はゲラ(見本刷り)の該当箇所に∨印をつけて、ページ跨ぎのここに行アキが入ってますよーと著者に示す。そうして著者が許容とするならママとするし、気になるなら直してもらう。憎らしいことに、一箇所の行数を弄ると連動して後ろのページの跨ぎも当然ながら変わってしまうので、あちらを直したら今度は無関係だったこちらの行アキが左隅に……なんていう事故があったりする。行アキは多用しすぎると、本にするときけっこう大変なのだ。紙の出版を目指す原稿において、ページ跨ぎの場面転換が苦手な人には、節数字や記号を3行ドリで挿入することをオススメしたい。

 かように紙媒体では人知れず「読みやすさ」のためにさまざまな工夫が凝らされているわけだが、かといって「だから紙の本を買ってね」とは安易にいえない。私自身、電子書籍リーダーはとても重宝していて、自分の好みの字体・大きさ・字組みにして多くの作品を読ませていただいているのだ。「読めれば十分」という考えもあって然るべきだし、本来ならページ跨ぎなどの視覚的効果に頼らずとも、面白い作品は内容勝負で十分に面白いだろう。

 やはり編集とは因果な商売だ。

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