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感情が振れる

 先日書いた記事の一節。

 小説に燻製に野球にゲームに、テーマはその日の気分によって振り幅を設けず好き勝手に決めているので、ご興味のないテーマの日は無駄なブラウザバックを強いてしまうことになり、その点は申し訳ありません。

 漢語「振幅」の訓読みには「振り幅」と「振れ幅」がある。
 非常に細かなことだが、私はこれらを辞書的な定義ではなく心情的な意味において使い分けている。その「感覚」を明快に説明してくれている記事が既にあるのでご紹介したい。

「感情」に合うのは普通は「振れ幅」
言葉の作りから見ると、「振り幅」は他動詞「振る」、「振れ幅」は自動詞「振れる」が元になっています。「振る」は人の意志的な動作を表し、「振れる」は「地震計の針が振れる」のように人の意志とは無関係に揺れる様子を表します。

 いいたいことはリンク先の記事でだいたい書いてくださっているが、振り幅は「当人がコントロールできること」、振れ幅は「当人が必ずしも自分でコントロールできるわけではない感情的なこと」について用いることが多い。
 訓読みひとつとってもこのようにニュアンスが微妙に異なるのだから、日本語というのは面倒くさい。

 ところで、先の記事に触れられていなかったこと(触れられなかったであろうこと)がひとつある。新聞社の記事で引き合いに出すわけにはいかなかった例。
 差別語について厳しい世の中だが、この「振れ幅」が与える庶民的な感覚を類推したときに、

「気が触れる」

 の一語のニュアンスが誤って混同されて、本来とは違う余計な色がついてしまってはいないか、と考えることがある。
 だから、当人がコントロールできない感情について「振れ幅」を使うときにはニュアンスの出しかたに気を配るし、辞書的な定義で使い分けの方法が確定しているわけではないのだから、どちらかというとなるべく「振れ幅」よりは「振り幅」を使いたくなるのが、私自身の「心情」ではある。

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