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言葉の強制力

 たとえば紙に「これと同じ内容のメッセージを何日以内に何人に渡さなければ、あなた自身が不幸になる」と書いてある。誰からともなく始まったそんな手紙を受け取ったり、あるいは真に受けて書いたりしたことがあるでしょうか。俗に「不幸の手紙」と呼ばれていた、あれです。

 その内容がネガティブであるか、ポジティブであるかを問わず、不幸の手紙に類するメッセージは、ネットが普及した現代でも手を替え品を替え流布しているようです。
 最近あまり見なくなりましたが「チェーンメール」などはその典型。
 2ちゃんねるをはじめとした掲示板文化では、スレッドのタイトルに衝撃的で思わずクリックしたくなるような文言が書いてあって、いざ覗いてみると、まったくタイトルとは関係なく、たとえば「◯◯の数だけ腹筋しろ」と書いてあるような「釣り」の文化が見られました。
 ブログやmixiのようなプラットフォームでは「◯◯な人に◯個の質問」といった文化がありました。mixiの足あと機能が、その強迫性に拍車をかけていたような記憶があります。「◯◯な人」と趣味嗜好などで括ることで、同好の士が互いに見て楽しむという側面もありました。
 そしてTwitterやInstagramに代表される短文型SNSの「ハッシュタグ」文化の隆盛により「#◯◯する見た人もやる」のようなハッシュタグが散見されるようになりました。

 これらのメッセージに強制力などないし、現実に不幸になることも有り得ないにもかかわらず、こういう文化が廃れない程度には「言葉の力」はあるのかもしれません。


 はい。
 ごめんなさい。
 このnoteも、じつは「不幸の手紙」です。
 私のnoteを読んでくださるのは、おそらく小説を書いている、書きたいという人でしょう。
 とにかく書いて、書いて、書きまくること。
 それが私がオススメする、いちばんの上達の近道です。
 小説に限らず、文章力全般についていえることです。
 そして私は編集として、多くの人に書くことを推奨するアジテーターたりたい。

 だからこのnoteを読んだ人は、悪いことはいいません。


 今日のうちに400字詰め原稿用紙換算で3〜5枚くらいは、まとまった一連の文章を書きましょう。


 短いエッセイでもいいし、ショートショートでもいいし、書いている途中の長編小説を書き継ぐのでもいい。完結しなくても構いません。
 120字のツイートに換算するならば、たったの10個。楽勝でしょう? ただし、1200字以上の連投ツイートを除き、別個に独立したツイートを合算しても意味はありません。一連の、ひとまとまりの文章で少なくとも3〜5枚くらい、書いてください。
 きっと、なにかいいことがあります。
 悪いことは、あまりないと思います。

 そして、もしこのnoteで他人を釣りたいと思ったら、ぜひ「面白いよ」とだけオススメしてシェアしてください。

ちなみにこの記事は、

文字数1190
行数81
枚数4枚と1行

あります。

サポートは本当に励みになります。ありがとうございます。 noteでの感想執筆活動に役立てたいと思います。