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エンタメにおける「集める」行動

 先週観た映画『レディ・プレイヤー1』が期待以上に優れたエンタメで感動してしまった。
 我が家のシアターオーディオを監修してくれたアンプの代理店の人が推薦していた映画でもあるので、音響的な面白さについてはまた機会があればじっくり書きたい。

 ストーリーの運びはブロックバスターに相応しい王道型だが、VR世界と現実世界との対比、そしてその世界の監督たる「ハリデー」の人物像が素晴らしかった。
 簡潔に乱暴にまとめてしまえば、ゲーム的世界観で「3つの鍵」を探すというだけの物語。
 この「探して集める」という行為は、エンタメにおける王道のひとつだ。7つの球を集めれば龍が現われて、願いが叶うかもしれない。両面宿儺の指を20本食べたら、果たしてなにが起こるのか。破れた宝の地図、飛び散ったオーブの欠片など、集めるものはなんだっていい。
 倒すべき敵キャラたちの格を明示する手法もこれの亜種といえるだろう。やっていることはアイテム集めと同じで、つまり「首級集め」だ。四天王のなかには最弱がいれば最強もいるし、2番目に出てきた四天王のひとりは「おまえが倒したあいつは四天王のなかでは最弱……」とか言っておきながら自分も負ける。下弦の壱をようやく倒したと思ったら、さらに強いという上弦の何某が出てきたりもする。

「探して集める」という行為は、エンタメの文脈で非常に使い勝手がいい。集めるべきものは全部でいくつあるのか? どこにあるのか? 誰がどのように隠したのか? という謎はそれ自体がツカミとなり、物語を読み進める原動力となりうる。
 また、拡大再生産される物語のインフレ化=レベルデザインもしやすい。下弦の鬼を倒してもなお上弦の鬼が待ち受けているとなれば、さらなる激闘が予感されるだろう。同時に、あらかじめ集めるべきものの総数が明示されていると、物語の進行度がいま全体の何割ほどなのか、読者に類推させることができる。
 四天王のうち最初に倒す敵が最強で残りが雑魚というのは(それはそれで読んでみたい気もするが)興醒めだし、読者もそこまで序盤から身構えてはいないはずだ。初戦に最強の敵と当たるなら、主人公は一度負けるかトドメを刺し損ねるか、いずれにせよ「勿体をつけられる」だろう。
 そしてカウントダウンが「残り1」になったとき、読者はクライマックスを予感して身構える。この「身構える」感じが好きという読者は私だけだろうか。

 使い古されて手垢のついた手法だが、クライマックスを前につい「身構えさせられた」とき、私はその作品を面白いと感じる。

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