。」。
(↑ちょっと間抜けな顔文字みたいで可愛くないですか)
興味深いnoteを読んだ。
広瀬 ひとりさんによる、カギカッコと句点についての論考だ。
たしかにネットに投稿された小説には、とても巧いのにカギカッコを閉じる直前に句点が打たれている(または、打たれていたり打たれていなかったりする)「キメラ」のような作品がたまにある。
一定程度の技量を持った書き手の作品であれば、情趣や余韻を残そうと意図してあえて句点を打っているのだろうと勝手に解釈して、紙とネットは違うのだからとあまり気に留めていなかったが、仰るように不思議ではある。
普段、私が紙媒体で仕事をするとき、カギカッコを閉じる直前に句点は打たない。媒体のルールで、原則打たないことになっているからだ。正しい正しくないではなく、媒体のルール。むろん、国語教育の現場では句点を打つほうがむしろ正しいということも知っているし、著者から特段の指定があれば、原則の例外として句点を打つこともあるだろう(私自身その経験はないが)。
なぜか。
毎日新聞のこちらのページが参考になるだろう。
かつての写植の問題であったわけだ。
とはいえ現代でも、行頭に句点やカギカッコを持ってくるのは禁則となっているので、句点とカギカッコが連続して行の末尾にかかってしまうと、非常にややこしい。
これがカギカッコだけなら、媒体によっては「ぶら下がり」といって、通常の文字版面の下にカギカッコだけを突き出して処理することが可能だ。こうすることで、字間が詰まったりせずにすっきり読むことができる。原則「ぶら下がり」なしとされている媒体でも、行頭にカギカッコが送られてしまう禁則を避けるため、字間を詰めてカギカッコを改行せずに収める「追い込み」という処理が施される。追い込みは字間が詰まってしまうため不格好だが、ぶら下がりのように地側の版面がデコボコしないで済むので、遠目で見るぶんには綺麗な方形に見えるというメリットがある。
※地=本の下の辺のこと。上の辺のことは「天」と呼ぶ。
ちなみに行頭に来てはいけない禁則というのはほかにもいくつかあって、
閉じるカッコ類:」』)}】>]など
拗促音:ぁぃぅぇぉっゃゅょァィゥェォッャュョ
ナカグロ:・
オンビキ:ー(長音の伸ばし棒のこと)
ハイフン:‐
句読点:、。
その他の約物(やくもの):ゝ々!?:;/など
が挙げられる。拗促音の禁則を容認してしまっている媒体も見かけるが(じつは私も許容派だ)、版元によって見解は異なるだろう。
また、閉じるカッコとは反対に、始めるカッコ類が行末に来てもいけない。この場合は「追い込み」よりも、次の行に始めるカッコを先送りにする「追い出し」処理が行なわれることが多いだろう。ちなみに、このnoteでは各種の禁則に対し、自動的に追い出し処理がされるようになっていると思われる。
ついでに二倍ダーシ「――」や三点リーダ「……」は真ん中で改行されてぶつ切りになって行をまたいでしまうことも基本は禁止されている。いやはや、面倒くさい。
面倒くさいが、すべては読みやすさのためなのだ。
かような事情があって、閉じるカギカッコの直前には句点を打たないのが紙媒体では通常のルールとなっているのである。繰り返すが正しい正しくないではなく、ただのルールであり、紙媒体側の都合でしかない(だから、ネットに無理して援用する必要も、じつはないのだ)。
共同通信社の『記者ハンドブック』にも、その旨が記載されている。
福井県立図書館のレファレンス事例を見てみよう。
『記者ハンドブック 新聞用字用語集』共同通信社(070.1/1015712126)p122「用語について 句読点」
『最新用字用語ブック』時事通信社(813.1/1016337246)p20「区切り符号などの使い方 句点」では
括弧でくくった文の場合は
①段落全体を構成する場合は付けない。
②段落の最後にある場合も付けない。
③主語などの語句が前にある場合は「と述べた」などの述語が省略されたと考え、括弧の外に句点を付ける。
例:彼は笑いながら「頑張ります」。
孫引きになってしまい恐縮だが、このように定められている。
そうそう、カッコの外に句点を打つケースもあるのだ。
述語が省略されたと考えられる文脈では、むしろカッコの外に句点が打たれていないとおかしい。なぜなら、カッコで括られずに始まった地の文は、句点が打たれないと一連の文として締まったことにならないからだ。
乱暴なイメージだが、
句点>閉じるカギカッコ
の力関係にあると思っておけばいいかもしれない。
カギカッコには、セリフや引用を独立して始めて終えられる力を持っているが、地の文それ自体を終わらせるほどの強い力は持っていない。地の文それ自体を終わらせるためには、カギカッコより強い拘束力を持つ句点が必要なのだ。
もしかすると、この力関係が、おもにネット小説でカギカッコを閉じる直前に句点が打たれる理由のひとつなのかもしれない。句点はカギカッコよりも強い拘束力を持つから、そこに余白としての感情が生まれる。
先に挙げた広瀬 ひとりさんのnoteでも、以下のような考察があった。
原作のドラえもんはのび太に対して「きみは実にばかだな。」などの辛辣なセリフを結構言うんですが、最後の句点があることでいっそう突き放した感じがしますよね。
このように句点を付けることで「言い切った」感じになり、強意や終止の効果があります。
とても興味深いと思う。
国語教育の観点からいえばカッコを閉じる前に句点を打つほうが正しいのだから、次のような記述も誤りではないわけだ。
ドラえもんは笑いながら「きみは実にばかだな。」。
(↑ちょっと間抜けな顔文字みたいで可愛くないですか)
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