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転を書くときのメカニクス

 今日の1日1コメント(以上)は、

#小説のメカニクス

 タグを使ってくださったまさかさんの記事に書かせていただきました。

「転」を書く場面での、書き手側のメカニクスについてですね。私論でも技術的な点についていくつか触れましたが、書き手自身の感情的なテンションについてはあまり触れていませんでした。

 たしかに仰るとおり、テンションが切り替わる物語の節目だから、書き手の心境の変化が起きやすい……もっといえば、書き手側に僅かでも心境の変化が起きていなければ、完全に平坦な物語になってしまって、それではつまらなくなってしまうでしょう。第四章「伏線の回収」の項で書いたように「登場人物に感情移入(中略)しながらも、つねに小説の書き手である自分は、物語の全体を俯瞰する大局的な目を持っておくべき」です。

 書き手側の持っている絶対的な情報量の多さについては既に「ツカミ」の部分で分析しました。

 ですが、ゼロから書き進められ読み進められる動的な表現媒体であるから、当然、作品の到達地点ごとに、作中に開示されている情報の割合は次第に増えていきます。つまり、書き手側の持っている絶対的な情報量が100だとすると、たとえば起では30、承では50開示されていた情報が、転ではついにほぼ100近く提示されることになる。すべて提示されないことにはしっかりした謎の解明もできないわけで、ここでは扱う情報量が急激に上がるのです。

 起や承の部分ではまだ管理すべき情報量が少なくてよかったところ、転に至って、これまでの情報すべてを管理しながらひっくり返さなきゃいけないので、神経質になるということは考えられます。

 転から結に至る部分の執筆心理については私論の第四章「伏線の回収」の項でも書きましたが、執筆全体を通して、転の部分を書くときがいちばん俯瞰しやすい。ここまで何枚のペースで来ているから、あと何枚くらい書けば全体のバランスが取れるか、見通しが立ちやすいのです。また、結末は最初に立てたプロット通りに行かないこともあります。ここで結末を当初の予定から軌道修正することもあり得るでしょう。

 もちろん未熟な書き手であれば、ゴールが見えてくるに従って書き急いでしまうということもあるかもしれません。その場合は俯瞰というよりも、視野狭窄になってしまうでしょう。

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