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『擬娩』再創作 演出助手レポート|中村桃子

2021年10月、KYOTO EXPERIMENT 2021 AUTUMNにて、和田ながら×やんツー『擬娩』が上演されました。2019年の初演のコンセプトをもとに、新たなコラボレーターとして美術家のやんツーを迎え、公募で集まった10代の出演者とともに、『擬娩』を再創作したものです。2023年2月には、東京にて初演版の再演を予定しています。
『擬娩』再創作の現場に演出助手として参加してくださった中村桃子さん執筆のレポートを掲載します。


『擬娩』の稽古場について

■距離

 2021年の夏から秋にかけて、KYOTO EXPERIMENT 2021 AUTUMN 和田ながら×やんツー『擬娩』に演出助手として関わっていた。
 
 そして今回、その稽古場についてのレポートをこうして書くことになったのだけれど、これを執筆しているのは2022年の2月中旬から3月上旬にかけてのことで、上演を終えてから約4ヶ月が経過している。稽古期間はそれよりもさらに前のこと。
 『擬娩』は妊娠・出産をシミュレーションするものだったということもあって、4〜5ヶ月あれば胎児はこのくらい成長するし、妊婦はこれだけ変わるのだ、ということを思う。私が稽古場にいた頃に「安定期に入ったよ」と言っていた十年来の親友はつい最近無事に出産した。あのときはまだ彼女のお腹の中にいた存在が誕生するだけの月日が経ったという事実を思うと、私も、もうあの頃の私の視点で語ることはできない気がする。
 
 『擬娩』の稽古場は、誰かの経験を聞く時、あるいは自分の経験を語る時、その出来事と自分自身の距離を丁寧に扱っていた。時間の経過や環境の変化に伴う心身の変化を無視しない場だったなと思う。
 だからこそ、私のこのレポートも、「稽古当時とどのくらいの(時間的/心理的)距離が空いた上で書くものなのか」という前提は自覚しておきたい。稽古している最中や上演の直後に書いたレポートなら、きっとまた違う内容になっていただろう。

Photo by Akane Shirai, Courtesy of Kyoto Experiment.

■稽古場を目撃していた立場から

 当時私がやっていた仕事は、日々の稽古の記録とその共有がメインだった。
 鍵の開閉やタイムキーパー等のこまごました作業を含めれば他の事もしていたけれど、稽古内容や動画を共有することで俳優の振り返りに役立ててもらったり、稽古場に常にいるわけではないテクニカルの方や欠席者に進捗を把握してもらったり、演出の和田さんの脳のリソースを他のことに使ってもらえるようサポートする、という役割こそが、私がそこにいる意味だったと思う。
 当時の記録を見返したら全部で約6万6千字ほどあって、そんなにあったのかと他人事のように驚いている。書いている最中は、稽古において何が大事な情報なのかという事を私が勝手に取捨選択してはいけないと思っていて、変に主観を交えて「この部分は書かなくてもいいか」とカットしたり「これはこういうことか」と要約・編集してしまうのではなく、可能な限りフィルターをかけず、そのままを書き残そうとしていたらそうなっていた。
 
 記録というのはあとになって読まれてこそ役立つものだから、正直なところ、書いている最中には、どれだけ自分が役立てているかの実感は湧きにくい。量が多すぎて逆に読みにくかったかもしれない。
ただ、それでも、記録するために誰よりもその稽古場の全体を見ていたという自負はある。稽古を外側から眺めるばかりではなくて私自身も一緒に内側に潜るような時間もあったし、ただの記録係ではなくクリエーションに参加した一員だと思える感覚も持っているけれど、一歩引いたところから俯瞰で見ている時間が圧倒的に長かったから。

Photo by Akane Shirai, Courtesy of Kyoto Experiment.

 でも、だからこそ、何を書くのが適切なのか正直迷っている。稽古場で起こっていたことはあまりにも膨大だった。日常の全てが稽古と地続きなようでもあったし、生きててこの『擬娩』の稽古に無関係なことなんてひとつもないような気がした。
 それでもあくまで「作品」の「稽古」と割り切った切り口を探すなら?
 
 初演との違い。リサーチで得た情報。色々な人の経験談。社会的な視点と個人的な視点。参加者それぞれのこと。稽古時間の使い方。WSの種類。手法。インプットとアウトプットのバランス。人との向き合い方。テクノロジーとの向き合い方。「出演者」の定義。思考を形にしていく時の手付き。点在していた要素が繋がって形になるまでの流れ。
 終演後の感想や批評に対するアンサーめいたものもきっとその中に無くはないけど、私がここでそれを語ることが果たして良いのかどうか。
 
 本来そんな迷いは表明せず、方針を固めてからそこだけ書く方がレポートととして読みやすいとは思うのだけど、こんな迷いが生じる現場だったという事実こそが、擬娩の稽古場についてを表す大事な要素のような気もしている。
 
 単なる「その日どんな稽古をしたか」という事実の羅列ならば、自分が当時書いた大量の記録からいくらでも引っ張ってこれる。時系列を整えて情報整理する事もできる。レポートって、そういうものかもしれない。
でも、そういう性質のレポートならば(たしかに外部公開用に体裁を整えたものではないけれど)それこそ当時書いたものでいいはずなのだ。あえて今、その記録と別で私の視点から新しい文章を書く意義はなんだろう。
 
 文章を、思考を綺麗に整えれば整えるほど、なんだか『擬娩』からは遠ざかる気がする。
 
 そう思うとやっぱり、個別具体的なエピソードのどこかだけを取り出してここで語ることにはあまり意味がないような気がするのだ。となると、抽象的な話にはなるけれど、私が語りたいのは、「EXPERIMENT」の意味くらいかもしれない。
 
 『擬娩』の稽古場はたぶん、「いわゆる普通の演劇の稽古場」ではなかった。何をもって「普通」とするかは難しい(本当は普通の作り方なんてものは無いかもしれない)けれど、少なくとも、台本や役が先にあって配役をして読み合わせをして……というような手順ではなかった。もっと愚直で有機的な、何が生まれるのかは生まれてみるまでわからないような「試み」が繰り返されていた。

Photo by Akane Shirai, Courtesy of Kyoto Experiment.

■EXPERIMENT

 稽古場を思い返して強く感じるのは、この『擬娩』がプログラムされていた『京都国際舞台芸術祭』の英語での呼び名が、単なるKYOTO THEATRE FESTIVALとかではなくて『KYOTO EXPERIMENT』であったことの重要さだ。
 上演の最中だけではなく稽古場においても、私たちは常に「EXPERIMENT」し続けていたように思う。妊娠・出産とはどういうことなのかを、ひたすら。
 
 最終形態は、上演を迎えるまでわからなかった。稽古場の時点ではただの一度も“わたしたちの擬娩”は生まれてなかったと思う。ゲネプロを終えたとき初めて、あ、生まれた、と思った。本番の上演は3回あったけど、毎回違うものが生まれた。それは、未熟さゆえに同じクオリティを担保できないみたいな意味ではなくて、たとえ今回の出演者が超ベテランの俳優だったとしても毎回違うものが生まれていたと思う。『擬娩』という行為がそういう性質のものだったから。
 
 形や答えの決まった「作品」を綺麗に仕上げるための稽古ではなかったと思う。稽古場は、『擬娩』をテーマに据えた物語を作る場ではなくて、『擬娩』という演劇的行為をするための練習の場だった。その人にとっての『擬娩』をいかに行うかを模索して、頭と身体を使って、インプットとアウトプットを繰り返す時間だった。
 演出の和田さんは、和田さん自身の価値観を参加者に押し付けるのではなくて、参加者自身から出てくるものの整理をしているように見えた。どうやったら『擬娩』ができるのか、参考になりそうなものは渡して、迷っているときは道標を示して、でも、一貫して本人に考えさせていた。ガイドラインとなるようなテキストはあったけれど、台詞を言わせる、ということはほぼしていなかったと思う。
 やんツーさんの美術もまた(美術と呼ぶのが適切なのか議論の余地はあるのだけれど)『擬娩』という行為そのものをぎりぎりまで模索し続けていた。
 
 構成する要素が変われば最終的な形が異なってくるのは必然で、だから、初演の時と今回が全く別のものであったのは至極当然のことだったと思う。宣伝や批評の場においては、やんツーさんとのコラボという点や、10代の参加者という要素が大きくフォーカスされていた。このわかりやすい「初演との違い」がもたらした影響はたしかに大きかった。
 でもある意味、稽古場では、これらの違いは全て関係のないことだった。見えている景色の違いという意味において、その人を構成する全てが『擬娩』との向き合い方に影響はするのだけれど、そこに参加しているのが誰であろうと、年齢・性別・経歴関係なく、妊娠出産が未経験であるという地平からみんなでスタートするしかなかった。属性や肩書は等しく無関係だった。
 同じものに向き合っても、どんな景色が見えているのか、何を感じてどう表現するのかはその人によって異なる。先に書いたような年齢・性別・経歴といった属性の違いは、どんな場所に立っているのかをわかりやすく他者に示す要素のひとつではある。でも、その人が感じること、表現するものは、必ずしも「10代だから」とか「男だから」という要素によるものではない。その人を構成する一部ではあるかもしれないけど、属性が先に立つものではない。だから今回の『擬娩』が今回のようなものになったのは、あくまで、その人だったからそうなった、という事にすぎない。
 たとえ初演時と全く同じ属性を持った人を集めたとしても、結局初演とは違うものになったと思う。同じ属性、というか、初演時と同一人物での再演であったとしても、そもそも社会の姿も変わっているいま、過去のその人と現在のその人は同じ状態ではないわけで、同じ前提条件を揃えること自体が無理なのだ。立っている場所が永遠に同じ人なんていない。 

Photo by Akane Shirai, Courtesy of Kyoto Experiment.

 演劇においても、出産においても、一度だって同じものは生み出せなくて、その時そこで生み出されるものは、その時生まれるべくして生まれた形にしかなりえないということを日々教えられる稽古場だった。
それは時に怖くて、でも、とても貴重なことだな、と思う。(ここで「私は」そう思うけれど、この事実に対する認識や意味付けは、人によって異なって良いと思う。)
 あたりまえのようであたりまえじゃない瞬間に立ち会えて、よかった。

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