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【無料】おばあちゃん胃癌闘病記

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忘れたくない、祖母の胃癌闘病記。 亡くなってから5年経ち、記憶が薄れているので、記録します。 家族って素晴らしい。 その家族を作ってくれた祖母は、もっと素晴らしい。
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#大学生

#31【入院前夜】

そんな風に、おばあちゃん本人も 私たち周りの人間も辛い、2日間が 終わろうとしていた。 …

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#30【あと2日。】

祖母が入院するまで。     あと2日。     これが、壮絶だった。     もう、正直言って…

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#29【異世界へようこそ】

入院は、入浴介助をしてくれている 市民病院に決まった。 自分の家から、小さな山を 1つ越え…

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#28【つかの間の平和】

それからしばらくの間は 祖母の体調が悪化することもなく 平和な日々が続いた。     田舎か…

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#27【裸の付き合い】

昔の人はよく言ったものだ。     私が小学校高学年ぐらいから 中学ぐらいまでの間、 何か大…

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#0【記憶ではなく、記録に】

最近、亡くなった祖母が、 夢に出てくることが多くなった。     朝、その思い出に 泣きなが…

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#2【綿を食べる】

祖母がシンガポールから帰ってきて 二日後に、祖母は近くの大学病院にかかった。     その日も私は アルバイトで帰宅が遅くなり 寒い中自転車を漕ぎ漕ぎ帰宅したので ほっぺたを真っ赤にしながら リビングにたどり着いた。         「おばあちゃん、癌やねんて」 なんともいえない顔をして 母が言った。     うちの家では、 「行ってきます」と「行ってらっしゃい」 「ただいま」と「おかえり」 だけは、どれだけ喧嘩してても 言わないと行けないルールだったのに     その事

#3【変化と、覚悟と。】

私はおばあちゃんっ子だ。     母親が嫉妬するぐらい、 おばあちゃんのことが大好きだった。…

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#4【世界一悲しくて、世界一幸せ者】

それからの1ヶ月は、忙しかった。     当時おばあちゃんは、母の弟夫婦と同居していたのだ…

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#5【ちなつ、ちょっと付き合ってくれへんか】

祖母が家に来る準備をしていた頃、 電車で1時間の距離に祖母は住んでいた。     ある時、い…

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#6【3ヶ月、丈夫に使えるスマホをください】

おばあちゃんとスマホを買いに行った日は 2月にしては暖かい日だった。     いまいちスマホ…

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#8【初めての共同生活】

祖母と暮らすのは、初めてだった。     厳密には、父の職場が、一時的に 当時の祖父母の家か…

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#9【最後のお散歩デート:1】

朝、5時に飛び起きて 家から自転車で5分のファミレスで 朝食バイト(6:00~9:30) バイト先から…

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#10【最後のお散歩デート:2】

本当に気持ちのいい天気だった。 春の訪れを感じる、素晴らしい日だった。     祖母の足取りは、天気に触発されてか 家にいる時より数段軽かった。     とはいえ、今まで知ってた祖母と比べれば 5倍は遅かった。     典型的な大阪のおばちゃんである祖母は 競歩選手並みに、歩くのが早かった。 それを考慮しても、だ。     体調が悪い時に一緒に歩いたりすると、 私が息を切らすレベルで早歩きなのだ。     しかし、100メートルほど歩いて、 明らかに祖母の顔に疲れが見えた。