観劇後に思うあれこれ。これは個人の感想です。~少女東京奇襲・Peachboys~

少女東京奇襲『in the park』

少女東京奇襲『in the park』

消えた男性アイドルが残した「約束の言葉」を信じ、とある公園で彼を待つ人々。彼は現れるのか現れないのか。という、いわゆる「待ちながら」系。
観劇時、全く入り込むことができずどうしたものかと思ったのだけど、どういうわけか観終わってから、あれこれ考えてしまう部分があり、ジワジワ来ている。
入り込めなかった要因は大きく2つあって、1つは推し活をする人々というのが僕にはすごく非日常な存在だということ。オタク的性質が市民権を得た現在において、これはもう僕が時代について行けていないということが原因なので芝居の内容の良し悪しとは全く関係ない。若い女性が多い客席は、総じて集中して見ているように感じた。彼らの中では共有できるネタなのかなと思った。本当のところどうなんだろうか?答えはわからない。
もう1つは、キャラクター芝居が強かったこと。あまりにもオタクキャラクターの典型例だったので、観ていてちょっと恥ずかしい気持ちになってしまった。とはいえ、これも1つ目と同様、実際そういうものなのかもしれないし、そういう「キャラもの」も受け入れられる時代なのかなとも思う。
とはいえ、僕は序盤でその2点に引っかかってしまったので、なんだか集中できず終始モゾモゾが止まらなかった。
中盤以降、それぞれの登場人物が想いや事情を語る。
いちいち誠実なのでなんだか居心地が悪かった。なんというか、僕はそんなに誠実な人間じゃないので申し訳ない気持ちになってしまったのだ。ひねた目線でしか物が見られなくなっている。ああ嫌だ嫌だ。よく知らないけれど花岡さんという人はとても真っすぐな人なのかも知れないと思った。これは嫌味ではなくいい意味。
コロナで中止になってしまった公演らしいので、そういう経験をするといろいろ考えることがあるのかもしれない。
いや、僕もそういう経験しているんだけど、「コロナと演劇」とか「コロナと表現」について全くといっていいほど考えたり悩んだりしなかった。東日本の震災のときもそう。別に演劇や表現に絶望もしなかったし、かといって特に期待もしてないから、強いショックを受けなかった。基本「そういうもんだし、なるようにしかならない」と思っていたし今もそう思っている。
そういう不誠実さをなんか見透かされてるようだった。ごめんなさい。
主役のように見える女性(石田茜子さん)が印象に残った。正直、主役のようでいて主役っていうほど中心にもいないし聞き役でもない。そもそも主役というのが不在の芝居なのだけど、客入れ時から舞台上にいることもあり、なんとなく彼女を主役だと認識して観ていた。時折、これは誰の何の話なんだ?と思うことはあったけれど結局、彼女がふてぶてしく主役顔していてくれるので(これはとてもいい意味です)迷わずに最後まで観られた感がある。ああいう存在の仕方ができちゃうのはすごいなぁと思った。
タテヨコの加藤くんも楽しそうに演っていた。彼はタテヨコはしばらくお休み中。タテヨコでも楽しくできるようになったらまた参加してほしいと思った。


Peachboys『ピーチボーイズ~新性器エヴァンと下痢男』

Peachboys『ピーチボーイズ~新性器エヴァンと下痢男』

今タイトル入力してみて改めてなんじゃこりゃと思った。アホか(笑)
12年続いたユニットの休止公演。そんなこともあってか、出演者の気合いがパンパンで観ていて飲み込まれたし、それと同じくらいに客席の気合いもパンパンで劇場(シアター711)がピンク色の熱気に包まれていました。
毎度おなじみの展開と言いつつも今回は「これが最後」という切り口が入ってきて新鮮でした。「ヤマダケンタロウの夢によって永遠に繰り返される童貞物語からの脱出」っていうのが『うる星やつら2』みたいでちょっと良かったよね。そことのネタのリンクは無かったけど。
エヴァンゲリオンやドリフ大爆笑のオープニング映像を超アナログな手法で再現していたのだけど、これがすごい完成度で、笑いを超えてちょっと震えました。
ここで急におじさんによる昔語り入ります。
今や小劇場演劇でも映像は普通に使われていて「かっちょえー」ってのもあれば「それ必要あんの?」ってものまでとにかくよく見かけます。なのですが、ほんのちょっと前・・・って思ったけど約20年くらい前・・・までは映像使う団体なんてほとんどありませんでした(作るのにも使うのにも今よりずっとお金が必要だったからね)その代わり、今回Peachboysがやっていたアナログ手法による映像的表現演出をやる団体や公演は結構あったんです。
ああいうの最近見かけないよね。とおじさんは思いました。
そう考えると、あのシーンはPeachboysと同世代の人間としてはより感慨深く思え、経験値がきっちり生きてるよねと勝手にウンウンと頷きが止まらなかったのであります。
昔語り終わり。
Peachboys、正直にいうと、最初の数年は盛り上がって観ていたのだけれど、中盤期の数年は観た後に「来年はもう観なくていいかな」と思っていました。観に行けば楽しく観られるのだけど、やっぱりマンネリネタがきつかったんです。あともう一つ、これは良いことでもあるんだけど、コアファンが強くなってきて、もう始まる前から笑い待ち状態になっていたこと。
笑いを提供する舞台なのでいいことだと思うんですけど、コアファンじゃない僕としてはやっぱりちょっと気圧される感があってやれやれという思いがありました。
昔、人気絶頂だった東京乾電池が、笑い待ち状態の客席を前にして絶対に笑わせない芝居をやろうということで始まったのが岩松了さんのスタイルだったという話を聞いたことがあります。ホントか嘘かは知りません。
ひねくれた人たちだなとも思えるし、そういうの大事なんじゃないかとも思えるし。まぁ僕には関係ないんですけどPeachboysを観にいくと毎度そのエピソードが頭をよぎっていました。
とはいえ、たぶんほぼ全公演観てるんですけどね。
カッコいいんです。笑い→たまにキリっの図って。結局。
ギャップっていうんですかね?
ピーチの3人がJPOPの歌詞を語りながら謎の振りで動くアレとか客演5人のSM〇Pとか。おじさんでもキュンキュンしながら観てるんです。ずるいなずるいなと思いつつも中毒性があるんですよね。
モンティパイソンやらクレージーキャッツやらドリフターズやら、最近の人のことは全然知らんけど、まぁジャ〇ーズとかもそういう感じですわな。
何が童貞3人組じゃい!モテモテやんけ!
と愚痴りたくもなるってもんです。
カッコよさともう一つPeachboysの人気には思うことがあって。ファンが怖いので、これはまぁ僕の勝手な感想ですよと改めて前置きしてから書きますが。
小劇場アイドルキャスト的な半商業公演を除けば、客席の中年層男性率がこれだけ高い公演って珍しいと思っていました。
Peachboysのネタは前説でも言ってるように昨今の演劇事情的に「コンプラぎりアウト」のラインなわけです。普通の社会で言ったら当然ドアウトです。
そんな中、ド下ネタをキャッキャッとした笑いに変えるPeachboysというのはおじさんの方々にはちょっしたカタルシス効果があったんだろうなと思うわけです(もちろん笑いに変えられる彼らの仕事はすごいものがあると思っています)
女性キャストもバンバン下ネタセリフあって、昭和テレビっ子層には懐かしいお笑いお色気みたいな部分もある。
なんかそういう部分。僕はついてけないところでした。
ジェンダーがとかそういうことじゃなくて単純に笑えないんです。
男性お笑いタレントが裸踊りすると笑いになるけど女性お笑いタレントのそれは冷笑にしかならないみたいな。いや、そもそも裸踊りなんか一つも笑えねえんだけど。
変に知り合いが出演者にいたりするから余計にそういう部分は痛かったし、客席が沸けば沸くだけ引いた部分はありました。
うぅ、なんかファンに喧嘩売ってるみたいな内容になってる気が、、いや、違うんです!ファンはファンでいいんです!熱くて素敵な客席なんです!喧嘩売ってんじゃないんです!なんならもう謝ります、僕が間違えてます、ごめんなさい。
思いつくままに書いてきちゃったのでまとまりがなくてすいません。。
12年間1つのユニットを継続させるってすごい力が必要なわけで、バカバカしさを追求していくにあたって紆余曲折あったんだろうなということは容易に想像できるわけです。
そのうえでキチンと結果出し続けてきた人たちだと思っています。
嫌なこと書いたからフォローしてるわけでも、お世辞でもありませんよ!
「またまたPeachboys」とか「Peachboysリターンズ」とか、あぶない刑事ばりに「さらば」詐欺しても誰も怒らないと思います。
なんのかんの『新性器エヴァンと下痢男』について一生懸命に書いてるわけでね・・・文句言いつつも、僕は彼らのことが好きなんだと思います。

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