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2023/08/01


着物の寸法を測る作業が好きだ。
畳んである着物を開く。
衿→胴裏→左前→右前→袖→背面の順番で汚れやシミを確認する。
裄と身丈、前幅と後ろ幅を測る。
タグに書いて着物につけて、畳む。

お店番中に着物の寸法を毎回測るわけではない。
時々頼まれる。
この作業がとても好きだ。
お店に並ぶ前の着物を見られるという特権でもある。


先日、中学校の同窓会の連絡が来た。
以前の同窓会の時に引越間近だったためにメールアドレスを幹事に伝えていた。
今は、伝えなければよかったと思っている。
卒業して何周年だかの区切りの同窓会らしい。
メールは削除したので覚えていない。
メールが届いて本当はすぐに欠席の連絡をしてしまいたかったけれど、数ヶ月先の日付に対してそんなに早く欠席の旨を出すのはいかがなものかと、余計な思考が回って、数日おいた。
今考えれば、わたしの精神衛生を考えればすぐに欠席のボタンを押してしまえばよかったと思う。

義務教育期間は、決してすべてがいやな思い出なわけではない。
よい思い出も沢山ある、はず。
でもどうしてもいやな思い出の方が先に出てきてしまって、それはわたしの脳内のせいなんだと思うけれど。
とにかく、あの頃はわたしは踏み躙られることが多かった、という思い出なのだ。

かと言って高校の同窓会があったら行くか、と問われたら、やはり行かないような気はする。
結局、学生時代とその土地にもう何の感情も持ちたくないんだろうなと思う。
その土地で一番大好きだった人も、もういない。


断捨離をしようと思う。
今月はイベント出店があるので、いや毎月あるけれども、どこかで時間を作りたい。
後生大事に取っておいてある学生時代の思い出の品とやらを、手離してしまいたい。
こんな楽しい行事もあったのにな、と思うのをやめたい。
わたしが生きているのは「今」で、あの頃のわたしは少しかわいそうだったけれど、物を見るたびにそれを思うのは「今」のわたしが削られてしまう気がする。

大人になってよかったと思うのは、友人を自分で決められるようになったことだ。
義務教育期間なんて、強制的に「この中で友人を作れ」と言われているようなものだった。
高校に入ってそれは薄れたが、「学校」という限られた場所での世界は、わたしをいつも萎縮させたし、あまり優しくはなかった。
それはわたしが捻くれていたせいもあるのだろうけど。

女性に嫌われやすいと思っていた。
わたしの言動は、好かれやすくはないのだと思っていた。
生意気だとか、善人ぶっているとか、いい子ぶっているとか…同じことか…、男子に媚を売っているとか、先生に媚を売っているとか。
とにかく色々な理由がわたしを嫌っていた彼女たちにはあって、だから女性好かれないんだなと諦めていた。

大人になった今、わたしには友人たちがいて、かつてのわたしが女性から嫌われやすいということはどこにいったのかと思うような、友人に恵まれたと思うことばかりで。
今更彼女たちに好かれたいなんて微塵も思わないけれど、あれは何だったのかと時々思う。
いや、たぶん生意気だったし口も達者だったし、他にも色々な理由で好かれていなかったんだろうな。


明日はゲリラ豪雨がないといい。
お店の外に出してある着物を着たトルソーや籠に出してある帯を、急いで中に入れないといけなくなるから。


紫水

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