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捨てられないものから自分が見えてくる

定期的に断捨離していて、基本1年使わなかったものはさよならしています。
通年使うもので1年使わなかったら、この先もそれを使うことはほとんどないからです。
どうしても残したいものは例外扱いします。
数は少ないですが、たま~~に、捨てるんじゃなかった、やっちまったな☆と思うときはあります笑
それでも、このルールで取捨選択していて後悔することほとんどありません。

そんなルールが確立しているのに、今回、何度にらめっこしても捨てるか残すか決めきれないものがあります。
パンプスです。

以前はパンプスを履いていたのですが、ここ1,2年ほどはオフィスでもフラットシューズを履くようになりました。
歩きやすいからということもありますが、#kuTooアクションを見て、そもそもパンプスを履くことにこだわらなくてもいいのでは?と思ったことも理由の一つです。

1年使わなかったら、この先もそれを使うことはほとんどない。
だから履いていないパンプスを捨てよう。
そうなるはずですが、パンプスに限っては、もしかしたら使うかもしれない・・・が頭をよぎってどうにもなりません。
1年使わなかったらこの先もそれを使うことはない、と分かっているはずなのですが。

こんなに決めきれないのはなぜだろう、と考えてみると、使う・使わないより、フラットシューズよりパンプスの方が正しいものだから残しておいた方がいいのでは?と考えていたことに気づきました。
だとしたら、黒のパンプスを一足残してあとはさよならしてしまえばいいわけですが、わたしの手元には、黒と、ベージュと、ツイードの3足があります。

なぜだろう。
もしかしたらフラットシューズではなく、パンプスを選び直す日が来るのかもしれない、という予防線を張っているような気もします。
だとすれば、そのときが来たら買い直せばいいだけなのに、なんでこんなに決めきれないんだろう。

まだ状態も良いし、とか、自分の足にあうパンプスを探すってなかなか骨が折れるし取っておいてもいいんじゃないか、とか他にもいろいろ理由は見つかります。
それでも、なんとなく予防線を張っているような気がしてならないのです。

わたしは何を守りたいんだろう。


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