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婚活日報#4

あいたたた・・・から始まる婚活日報。
ぼんやりしてたらあっという間に36歳になってしまった
特にモテたことのない恋愛ご無沙汰女子(!女子!)の婚活体験記、および雑感。
頑張るべき?頑張らないべき??一体なにを頑張るべき!?
ゴールインできるのか。・・・私のゴールはどこなのか?
といった趣旨の日報です。

結婚相談所登録→プロフィール作成&写真準備→写真撮影(⇦記事ココ)→ガイダンス→お見合い(⇦今ココ)※もはや日報ではない

撮る ||| 超えられない壁 ||| 撮られる、なジレンマ

私は美人ではない。特別に可愛くもない。

少なくとも見た目で得したことはないタイプだ。

だから写真に撮られるのが嫌い、といえば理由になりそうだが、

見た目レベルの自己認識とは別に、

「写真に撮られるのが好きな人」は一定数いる。

「写真に写る」という行為は「自分の魅力をひけらかす手段」というだけのものでもないらしい。


私の場合、幼少期は撮られるのが嫌いではなかったらしく、

当時のアルバムにはあざといポーズを決めた私が自信満々で残っている。


変化が訪れるのは小学校〜中学校頃、顕著になるのは思春期頃。

わかりやすく笑顔が不自然になる。というか、笑わなくなっていく。

たぶん他者とのルックスを比較し出して、自分が特段優れていない、ということに

気づいてしまったのだ。

その事実認識に色々と肉付けを施したのち、今では立派な撮られ嫌いである。

そんなでも撮るのは嫌いではないから妙なものなのだが。


だからわざわざプロの人に自発的に自分の写真を撮って貰う、など人生始まって以来のことで、(成人式の写真は親のためなのでノーカン、)

個人的には割と大事件であった。


スマホが普及するにつれて写真撮影が日常になった現在、

プロの写真家さんと素人を分けるのは何か。


知識、技術、機材、たぶん色々あるんだろうけれど、

「どれだけ目的を外さずに撮れるか」なのかも、と

カメラを向けられて思った。


お見合い写真の目的は、

「結婚相手を探している男性に(配偶者候補として)好印象を持って貰うこと」

さらに言えば、

「いいね!やコンタクトに繋がる動線となること」だ。

身も蓋もないが、事実である。


そこのところプロはさすがで、

ちゃんと素材の自然な(自然に見える)良さを引き出す写真を撮って下さった。

ほんとうの結果は婚活が終わるまでわからないが、

とりあえず足を向けて寝られない。


振り返って、今まで私にカメラを向けて来た人といえば、

主に両親や友人であるが、

彼らが写真を撮るのに意図したことは何だったであろうか。


たぶん「楽しかった思い出を残したい」とか、

「可愛い我が子の記録を残したい」とか「記念行事だから」とか、そんなもの。

悪意がないのが大半だったろうに、

私がそいういった機会から逃げ回った理由は、おそらく

過大な期待を感じ過ぎていたからだろうと思う。


過大に美化された自画像や、

幸せであるべき風景に、

現実の自分が外見、もしくは内面からついていけない。

そのギャップが嫌だったのだと思う。


個人的に行われる写真撮影の場合、

その多くは撮影者から被写体への愛の形だ。

出力された結果を素直に受け取れるのが一番だが、

被写体がそこで傷ついたり、

わだかまりを覚えた場合はどうすれば良いのだろうか。


おそらく必要なのは話し合いだったのだ。

複数人からなる幸せな形は、調整の中でしか生まれないものだから。

そこに幸せを感じないのなら、

被害者ヅラする前に声を上げろよ、

仏頂面で固まっている過去の私に申したい。

そうすれば未来は変わっていたはずだから。


私は誰かの幸せの伴走者ではなく、幸せを感じる主体でもあったのだから。


36歳、

自動的に訪れる人生イベントが激減する時期だからこそ改めて考えたりした。

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